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十月二十八日 『最後の審判』まであと三日――其の弐

 ふと立ち返る。

 俺がやろうとしていることは、果たして本当に正しいことなのだろうか。

 今のバオバブは間違っている。それは間違いない。俺が気に入らないとかそんなこと関係ない。銃を密輸入している。無許可のデモを行っている。いずれも法に触れる行為だ。きっと、他にも種々様々な違法行為を働いているだろう。もしかしたら、人を殺したことだってあるかもしれない。

 どんな大義があっても、違法行為が正当化されることはない。

 暴力は使わず、誰も傷付けることなく、皆が納得できる方法で世界をよくする。それこそバオバブが本来掲げていた理想だったはずだ。決して……決して、テロリズムなどに堕ちるような団体ではなかった。


 安食と、話す。

 そして今のバオバブを止める。もし可能なら、バオバブを元の姿に戻す。テロ組織を吸収し続け、下品に膨れ上がったバオバブを、また、俺と安食のふたりでそうしていた頃のような、理想を追いかけるだけの組織に。


 もうすぐ終わるかもしれないこの世界で、誰もがやりたいことをやっている。

 花屋の彼女が最期の時まで花屋であり続けることを望むように、俺は俺の人生最大の後悔と向き合うことにした。


 だから。

 俺は間違ってないはずだ。これでいいはずだ。


「迷うな……」


 呟くと、怯えた表情の女性が困惑した表情を俺に向けた。

 ほどなくして、玄関を開ける音がした。「ただいま」なんて日常的な声が、非日常的な空間と化したリビングまで響いてくる。俺はいつの間にか止めていた息を吐いて、じっと、リビングの入り口を見ていた。

 足音が近づいてくる。俺は、握った拳銃の具合を確かめるように一度強く握った。それから、慎重に引き金に指をかける。


「ただいま」


 なんて言いながらドアを開けた男は、やはり知らない顔だった。

 彼はネクタイを緩めながらリビングに入ってきて、そしてその表情を凍らせる。

 さもありなん。

 仕事から帰ってきたら、自宅のリビングで妻と子が知らない男に縛られて転がされていたら、誰だって固まるだろう。彼の反応はとても当たり前のもので、こちらとしても予想していたそれだった。


「先に言っておくけど、余計なことをしたら殺す」


 機先を制するように、俺は言った。彼に銃口を向けながら。


「誰を殺すかは、その時の俺の気分次第だけど」


「な、なんだ、君は……」


「余計なことも言うな。本当に撃つぞ。この銃が偽物じゃないことは、お前ならわかるはずだ」


 銃を両手で握って、照準越しに男と目を合わせる。

 彼は手に持っていた鞄を置いて、ゆっくりと両手を挙げた。


「一応聞くけど、柴田雄三だな?」


 柴田は頷く。


「言う通りにすれば、誰も殺さない。言っておくけど、金を奪いにきたわけでもない。ちょっとしたお願いがあるだけだ。それを聞いてくれるなら、お前はなにも損することはないし、お前の妻子も開放する。約束だ。わかったか?」


 再び、首肯。


「俺の要求はひとつだ。安食に会わせろ」


「……安食?」


「安食真澄。バオバブの代表だ」


「き、君は、安食さんと知り合いなのか?」


 俺はその質問には答えず、わざとらしく大きな挙措で引き金に指をかけた。

 それが脅しただとわかるくらいの賢さはあるらしい。柴田は慌てたような表情をした。


「待ってくれ。わかった。余計なことは言わない。だが、安食さんに会わせるのは無理だ。俺は安食さんとは繋がりがない」


「……バオバブではそれなりに偉いんじゃないのか?」


「半年前にバオバブに吸収された団体で代表を務めていただけだ。小さくても、元代表だからそれなりのポジションをもらえただけで、ただのお飾りなんだ。安食さんとも一度しか会ったことはない」


「………」


「嘘じゃない! 本当なんだ! 信じてくれ!」


 たしかに、嘘を言っているようには見えない。

 ちらりとリビングの隅で縛られている柴田浩介に視線を送ってみた。彼は、本当はただのお飾りでしかなかった自分の父親のことを、心底軽蔑したような目で見ていた。


「安食とは、会ったことがあるんだな?」


 俺は、柴田を鋭く睨む。


「半年前に、一度だけ」


 柴田は恐怖を飲み下すようにして答える。


「あいつは、どうだった?」


「……どうだった、とは?」


「あいつとどんな会話をした?」


「な、名前を交わしただけだ。それ以外、特別な会話はなにもしてない」


「あいつはどんな様子だった?」


 ふと、『あいつ』という表現は、安食と俺が知り合いであること暗に明かしてしまっていることに気が付いた。


「どんな様子だった、とは?」


 困惑が、ありありと伝わってくる。


「表情は? どうだった?」


 俺の質問に首を捻った柴田だったが、銃口を軽く揺らすと、途端に顔を青くした。そして、辿々しい様子で口を開く。


「笑顔……だったと思う」


「……どんな笑顔だった?」


「どんなって……それは、普通の……」


「……ああ、そうか」


 少しだけ期待した分、落胆は大きかった。

 やっぱり、安食はもう特別な人間ではなくなってしまったらしい。普通の大人が浮かべる、普通の愛想笑いなんてものをするようになってしまった。

 あの頃の安食の笑顔が泡沫のように浮かんで、消える。


「もういい」


 俺は落胆を隠そうともせずに呟いた。


「安食には連絡が取れなくても、五十嵐には連絡が取れるんじゃないか?」


「五十嵐さん……」


「まさか、五十嵐とも繋がりがないなんて言わないよな?」


「い、いや! 五十嵐さんとは連絡が取れる」


「なら、今、電話しろ」


 もうわざわざ拳銃の存在をアピールする必要もないのか、柴田はいそいそとポケットに手を突っ込んでスマートフォンを取り出した。震える指で苦労しながら操作すると、何度かの呼び出しの後に通話が繋がる音がした。


「あ、五十嵐さん? 私です。柴田です……はい、あの……今……えっと……ひっ」


「貸せ」


 俺は柴田に近づくと、ひったくるようにスマートフォンを奪った。そして彼の胴体に銃口を密着させながら、スマートフォンに耳を当てる。


「俺だ……って、言ったらわかるか?」


「……寺島か」


 スマートフォンの向こうからは、俺の記憶のそれより幾段か低い声が聞こえてきた。そのひと言が十年の時を感じさせる。


「さすがに忘れてなかったか。俺のこと」


「今の今まで忘れてたよ。久しいな」


「惚けるなよ。俺にチンピラ差し向けたのお前だろ」


「………」


「まあいいよ、そのことは。それについて文句を言いたくてこんなことをしてるわけじゃない。俺の要求はひとつだ。安食に会わせろ」


「今さら、か?」


 鋭い矢のようなものが、俺の胸に刺さったのかと思った。

 もちろん、幻覚だ。幻覚なのに、「今さら」という単語が、痛みとして胸の内側に残留している。


 迷うな。


「今さら、でもだ」


「安食も暇じゃない。特に今、この時期はな。バオバブにとって大切な時期なんだ」


「国家転覆に忙しいのか?」


「そうだ」


 皮肉を飛ばしてみたつもりだったが、意味はなさそうだった。


「お前たちのやってることについて、お前と議論するつもりはない。もう一度言う、安食と会わせろ」


「断ればどうなる?」


「お前の大事な部下がひとり大変なことになる。もしかしたらその家族も。具体的にどうなるかは、そっちで想像してくれ」


「……奪った銃で押し込み強盗にでも入ったか」


 さすがに頭の回転は速い。

 しかし、少し外している。押し込み強盗は押し込み強盗だが、俺には柴田浩介という内通者がいた。そこまで五十嵐の考えが回らなかったのは、多分彼が、柴田浩介とは会ったことがないからだろう。


「さすがに拳銃による殺傷事件なんて起こせば、いくらなんでも警察も動くかもしれないぞ。よしんば今は警察が動かなくても、隕石はどうせ落ちてこない。数日後には普通の捜査が始まって、二週間もしない内にお前は塀の中だ」


「そうやって脅せば、俺が撃たないと思ってるのか?」


「さあな。わからない。十年も経っている。お前がなにを考え、どう行動するか、まるで予想が付かない。そもそも、お前が今頃になって彼女に会いたがるとも思ってなかった。彼女になにを話すつもりだ」


「それをお前が知る必要はない。安食と会わせろ。一対一で、だ。これ以上無駄話をするなら、引き金を絞ることになる」


「………」


 しばらく、無言の時間が続いた。

 そして、電波の波に乗って、五十嵐の深い嘆息が聞こえてくる。


「わかった。話を付けておく。一時間だ。昼の十三時から十四時まで、それくらいなら、どうにか都合を付けられる」


「……わかった」


「場所は追って連絡する。そのスマートフォンはそのまま持っていてくれ」


「ああ」


 そしてまた、しばらくの沈黙が空間を支配した。

 話は終わったのだから、もう通話は切っていいのだろうか。保護者のクレーム対応のときのように、こちらから電話を切ってはいけないのだろうか、なんて、一瞬本気で考えて、あまりの馬鹿馬鹿しさに失笑してしまった。

 もう切ろう。

 そう思って、スマートフォンを操作しようとした瞬間、か細い声で、「なあ、寺島」と聞こえてきた。


「なんだ?」


 俺は無感情で問い返す。

 五十嵐は非常に言いづらいことを言うように口籠ったあと、囁くようにして言った。


「もしもバオバブにお前が……」


「俺が?」


「……いや、なんでもない」


 そして通話は切れた。

 耳に怪音を残して。


 もしもバオバブに俺がいたら?

 そんなたらればに意味はない。それがわかったから、五十嵐も途中で言葉を止めたのだろう。そう、その仮定には意味がない。

 だって、俺はいなかったのだから。

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