すべてアネモネに散る
安食と五十嵐が恋人関係に至ったのは、十二月の頭、冬の冷たい季節だった。
「へぇ、よかったじゃん」
「えー、それだけ?」
安食は唇を尖らせて抗議するように不平を吐いた。つまり、彼女は意を決した報告が思った反応を得られず、少なからず不満に思っているようだった。怒りなのか照れなのか、彼女の頬は若干上気していた。
俺も、驚いてはいた。安食も五十嵐も、そういうものに興味持つタイプではないと思っていたから。
「告白はどっちから?」
「お、聞きたい?」
「まあそこそこ」
「そこそこじゃあ、教えてあげられないなぁ」
「じゃあ別に聞かなくてもいいけど」
「なんでだよー。興味持てよー」
照れ隠しのように、彼女はふざけた調子の声を出していた。
「でも意外だな」
「なにが?」
「五十嵐が告白をオーケーしたことが」
「あれ? 私から告白したことが前提で話が進んでる?」
「違うのか?」
「合ってるけど……なんでわかったの?」
バレバレだったからだ。
五十嵐は、傍目に魅力的な男だった。身体が大きく筋肉質で、医学部なだけあって頭もよく、誠実な性格。
安食が少し前から五十嵐に惹かれているのは、俺も気付いていたところだ。
それにしても告白までのテンポが速いなとは思わないでもなかったけど、それこそ人それぞれのペースがあるだろうし、安食が恋愛においても押せ押せな性格をしているのはイメージ通りでもあった。
だから、意外なのは、五十嵐が恋人関係を了承したことだった。
「五十嵐はお前と違ってチョロくないと思ってたんだけどな」
「お前と違ってとかいう侮辱に関しては友達特権で一度だけ目を瞑るとして……うん、五十嵐くんはチョロくないよ。たぶん、私のこと、好きでもなんでもないんじゃないかな。別に嫌いでもないからとか、バオバブ内の空気の問題とかを気にしてオーケーしてくれたんだと思う」
「まあ、ありそうな話だな」
「でも、ま、たぶん最初はこんなもんだよねっ。今は惰性でも、これから好きになってもらうから無問題! 応援してよっ、紅葉」
恋人である五十嵐のことは苗字呼びで、友達である俺のことは名前呼び。それが、俺のちっぽけな自尊心を程よく擽っていた。
大学生の好いた付いた、惚れた腫れたなんて俺には露ほども興味はなく、そしてそれは安食のそれであっても変わることはなく、俺と安食の関係に変化が訪れることはなかった。彼女に恋人ができる前から、俺たちがふたりで会うような時間は減っていたからだ。
その頃のバオバブは、五十嵐の敏腕によって人数的にも活動的にも急成長を遂げていた。
ボランティアや災害支援などの活動を主催するようになっていたバオバブは、徐々にその活動を認知され始めていた。後押しをする大人まで現れ、代表である安食の存在は、学内でひっくり返ったと言ってもいい。陰口を叩かれ、爪弾き者にされていたはずの彼女は、いつの間にか一年生にして大所帯の団体の長を務めるやり手として認知され始めていた。
俺はそんなシンデレラストーリーを、傍から見守っていた。見守る役割しか、俺は担っていなかった。
五十嵐が当時の俺をどう認識していたか、気になっていた。安食の掲げる理想と現実のすり合わせを行うはずだった俺の立場は、完全に彼によって追いやられていた。五十嵐は理想を掲げることも、それを現実にするために実行に移すこともできる、俺の完全上位互換のような存在だったからだ。
断っておくが、俺は別に、五十嵐のことを妬んだことは一度もない。
安食の理想を叶えるのに、これほどに優秀な人間がそばにいるのは都合のいいことだと考えていた。安食の恋人となって、内面や私生活まで支えてくれるのも、彼女にとっていいことだと思っていた。
俺はただ、困惑していた。
ひと息に成長していくバオバブに、俺は取り残されていた。その不安感だけは、確かにあった。
安食は俺に何度も訊いた。私たちは間違っていないか。進むべき道はこっちであっているのか。取り残されてしまっても、彼女は俺を道標としていたのだろう。俺は、安食の理想が叶えられるならなんでもいいと思っていた。だから、伝えるべき不平不満なんてあるはずもなかった。
より規模の大きい活動ができるようになり、安食はとても忙しそうだった。充実してばかりでもいられなかった。安食は特別な人間だったかもしれないけど、五十嵐のように能力が飛び抜けて高い人間というわけでもなかった。から、取り返しの付かない失敗や、どうしても力が及ばない事態に直面し、何度となく苦悶に表情を歪めていた。
それでも、安食が理想を失うことなんて、歪めてしまうことなんて、あるはずがないと思っていた。安食は特別な人間だから、強いから、掲げた理想を最後まで貫き通すだろうと信じていた。
その信頼こそ、俺が当時最も嫌っていたはずの押し付けだと気付いたのは、もうずっと後になってからのことである。




