十月二十六日 『最後の審判』まであと五日――其の弐
尾行なんてものを、もちろん、人生で一度もしたことがない。
だが、五十嵐を尾行するのはそれほど難しい行為ではなかった。五十嵐が長身で、とても目立つからだ。お陰で、こちらはそれなりに距離を離して彼を追うことができた。
五十嵐を追うことにした理由は、そうすればバオバブに繋がると思ったからだ。三人目のバオバブのメンバーである彼は、組織の中でもそれなりに高い地位にいるに違いないと睨んだ。安食との繋がりもあるに違いないと。
言うまでもないことだが、五十嵐が既にバオバブを抜けている可能性もあった。しかし、もし彼がまだあの組織に身を置いているなら、彼はなにかを持っているはずだ。俺が十年前に失ってしまった、安食との繋がりを。
ただ、五十嵐に直接声をかけなかった理由はよくわからない。
よく分からないまま彼を追ううちに、五十嵐は墓地に入っていった。途中で一度コンビニに入ったが、それはトイレを借りただけだったようだ。
あいつは先の花屋で買ったバラの花束を抱えて歩いていた。大男が花束を持ち運んでいる様子は衆目を引いたが、お陰で俺の視線に五十嵐が気付いた様子はなかった。ただ、花束を抱えた男の後ろを花束を抱えて歩くのは目立つと思って、俺は途中にあったゴミ箱にせっかく買ったガーベラを捨てた。花屋の彼女への申し訳なさだけはある。
五十嵐が墓地の敷地内に足を踏み入れたとき、最初はただのショートカットだと思った。墓地を通り抜けて、別の場所を目指すのだろうと。もしかしたら、そこに安食がいるかもしれない。そういう期待をした。
しかし、五十嵐が墓石の前で足を止めて、持っていた花束を捧げた瞬間、心臓が捻り上げられたのかと思った。
まさか、安食が……。
そんな考えが、否応なく脳裡を駆け巡る。
そんなわけがないと本能が騒ぎ立てるが、理性が否定する要素もないと囁く。瞬間的に安食との掠れた思い出が脳裡を駆け巡って、身体がぶるりと震えた。
安食が死んだのだとしたら。
俺は、どうすればいいのだろう。
もうすぐ終わるかもしれないこの世界で、なにを目的に五日間を過ごせばいいのだろう。わからないまま、思考が空転する。わからないことだけわかる。
ああ、もしかして。
だから、バオバブはああなってしまったのか。理想に満ちた指導者を失い、その目的だけが形骸化して、暴力などという、あってはならない形でその思想を発露しているのかもしれない、なんて思って、胸が軋んだ。
俺と安食が作り上げたバオバブが、そんな風に利用されているのだと思うと、激しい怒りに視界が赤く染まった。
結論から言って、それはすべて勘違いだった。
五十嵐が花束を捧げた墓には『早乙女家之墓』と刻まれていた。五十嵐が去ったあと、その墓の前に立ち、墓石に刻まれたその文字を読んだ俺の心境は、きっとどの世界のどんな言葉でも言語化できないだろう。
安食が死んでいなくてよかった、なんて、白々しくも思った。同時に、やはりバオバブのリーダーは、テロリストの親玉はあの安食なのだと再確認して、また、表現の難しい怒りに思考が沈んだ。
「………」
墓は真新しいものだった。俺が無宗教だからか、そこに仏の気配を感じることはない。
それでも、なんとなく、その墓に手を合わせた。
誰とも知らない人間に祈る。
なにを祈ったのかは鮮明には思い出せないけど、頭の片隅に安食の顔が浮かんでいたように思う。いつか対面する彼女との会話に想いを馳せていたような気もするし、そうでない気もする。
ただの自己満足でしかないそんな行為を終えて、俺は立ち上がった。なにか食べ物があればお供え物にしてもいいかと思ってポケットを漁ってみたが、特になにもなかった。
そしてふと疑問に思った。
五十嵐はどうして、花を供物台に捧げているのだろう。そこは食べ物を供える場所だ。もちろん、花を捧げてはいけないなんて決まりはないが、しかし、花は花で、別に花立という専用の筒が存在している。
どうして花を一本も花立に移すことなく、束のまま供物台に置いたのか。そもそも赤いバラの花は献花に相応しい物なのか。
なんとなく、だった。
手を合わせたときのように、なんとなく、その花束を持ち上げた。
そして、その慮外の重さに驚く。驚くというか、純粋に疑問を抱く。ただの花束にしては、やけに重い。包み紙の中に、なにか重量のあるものが入っている感触があった。紙越しに触れてみると、それは硬くて冷たい、L字型の物体だった。
頭の裏側で、いつか見たニュースがリフレインする。
「は、はは……まさか……」
自分の妄想に自分で笑ってしまう。
しかし、頭の隅から滲み出たその可能性を、俺はもう無視できなくなっていた。
不作法と理解しつつ、包み紙を開ける。お供え物を暴くなんてとんでもないことだとわかっているけど、そうせずにはいられなかった。
バラの花が一本、また一本と手から零れ落ちていき、墓前に散る。墓は死者の安らかな眠りを阻むかのように、鮮烈な赤に彩られていた。
いや、死者すら、本当はここには眠っていないのかもしれない。
冷たい風が一陣吹いて、俺の手から包み紙を奪っていった。
そして俺の手の中には、ただ、一丁の拳銃だけが残っていた。




