第24話:夢にも思わなかった現実
白百合騎士団の正門は、思っていたより大きかった。
アリア・ソレルは重い装備を背負ったまま、石造りの門をしばし見上げた。プラチナ色の百合の紋章が両柱に刻まれており、朝の陽光を反射してきらりと輝いている。高さは三メートルを超え、両翼に広がる石壁は王都の中でも際立った重厚さを持っていた。入団試験を突破してから今日まで、何度この瞬間を夢に見ただろう。王国最強の女性精鋭部隊に配属されるという栄誉。憧れのセレスティリア・フォン・ローゼンバーグ団長と、エスト・ヴィオラ副団長の下で働ける喜び。
「(ついに、私も白百合騎士団の一員に……!)」
アリアは無意識に背筋を伸ばし、門をくぐった。
団長室の前に辿り着いたのは、それから十分後のことだった。廊下を歩いている間、すれ違う先輩騎士たちは凛々しく、どこか疲れているようにも見えたが眼光は鋭く、確かな実力を全身から醸し出していた。制服の着こなしも、歩き方も、所作のひとつひとつが洗練されている。やはりここは別格だ——とアリアは感じ、入団を決めた選択を誇りに思った。
緊張しながらノックをすると「入れ」という澄んだ声が返ってきた。扉を開けた瞬間、アリアは深く礼をした。
「本日付で配属となりました、アリア・ソレルであります! よろしくお願いします!」
顔を上げると、執務机の向こうにプラチナブロンドの長髪を持つ女性が座っていた。セレス団長だ。その横には黒髪に眼鏡、鋭い知性的な目をしたエスト副団長が立っている。夢にまで見た光景だった。
しかし同時に、アリアはもう一人の存在に気づいた。
窓際で、ハーブのようなものをすり潰している青年がいる。
「……えっ」
アリアは思わず声が漏れた。騎士団の制服でも、従軍医の白衣でもない、作業着のような格好をした二十代前半くらいの青年。穏やかな顔立ちで、こちらの視線に気づいてにこりと会釈してきた。立ち居振る舞いは自然で、まるで最初からここにいたかのような空気感があった。
「……あの、そちらの方は?」
「ああ、紹介しよう」とセレス団長が腕を組みながら言った。「レオン・アルジェント。本団の専属ケア要員だ」
「は。……ケア要員?」
青年——レオンが穏やかに会釈する。「整体師兼治癒魔法師です。よろしくお願いします、アリアさん」
アリアは状況を理解するのに数秒を要した。
「……男性ですよね?」
レオンが静かに頷いた。「はい」
「この騎士団は、全員女性の部隊ですよね?」
セレスが短く頷いた。「そうだ」
「では、なぜ……」
エストが書類から目を上げることもなく、事もなげに告げた。「国家命令よ。特例配属。異議があるなら国王陛下に直訴しなさい」
アリアの口が開いたまま止まった。国家命令。国王陛下に直訴。その二語で、アリアの抗議は完全に封殺された。何をどう言っても覆せる問題ではなかった。
レオンはすり潰しを続けながら、こちらを気にかけるように一度視線を向けた。「環境には少し驚くかもしれませんが、慣れますよ。皆さんとても良い方々ですので」
「(慣れる、という問題ではない気がするのだが……)」
アリアは頭の中で何かが静かに崩れる音を聞いた。
---
昼食の時間になると、食堂から想像を絶するいい匂いが漂ってきた。
訓練着のまま食堂に入ると、すでに他の騎士たちが席についており、各自の前に綺麗に盛り付けられた料理が並んでいる。大きな窓から柔らかい陽光が差し込み、湯気の立つ皿に光が反射してきらめいていた。
「あ、新入りちゃん! こっちこっち!」
赤髪ツインテールの小柄な騎士——リリヤが手を振ってきた。アリアが席に着くと、ちょうど厨房の扉が開いてレオンが料理を運んでくる。手際よく、誰の皿が何かをすべて把握した上で配っている様子だった。
「はい、本日の昼食です。足りなければ言ってください」
差し出されたのは、香り高いハーブを使った肉料理と、澄んだスープ、そして丁寧に切り揃えられたサラダだ。見た目だけで高級料亭の品に見える。肉の表面には美しい焼き色がついており、皿の縁には细かく刻まれたパセリが散らされていた。
「……これを、あの方が?」
ポニーテールの騎士——ミレイアが苦々しい顔で腕を組んだ。「毎食こんなものを作られるから、外食する気が全く失せるのよね。困ったことに」
アリアはおそるおそる一口食べた。
「…………っ!?」
思わず目を見開いた。口の中で肉の旨みと香草の香りが広がり、何段階にも重なった複雑な味が舌を包む。スープを一口飲むと、深い旨みが喉の奥まで染み渡る。アリアが今まで食べた中で最高の食事と断言できる一皿だった。実家の食事が貧しいわけではなかった。騎士学校の食事だって悪くはなかった。しかしそのどれとも次元が違った。
「な、なんですかこれは……!」
ミレイアが遠い目をしながら、どこか諦めた口調で続けた。「だから言ったでしょ。これが毎日続くの。最初の一口で人生が変わるわ。あなたも今日から変わってしまった一人よ」
「変わってしまった……?」
ミレイアがフォークを置いて静かに説明した。「外の料理が美味しく感じなくなるという意味よ」
アリアはぽかんとした顔でレオンを見た。レオンは厨房に戻りながら「お口に合いましたか? よかった」と笑っている。その顔には、絶品料理を作ったことへの自覚がまるでなかった。
食事を続けながら、アリアは周囲の先輩たちを観察した。セレス団長は静かに食べているが、その口元が微かにほぐれていた。エスト副団長は書類を横に置いて珍しく手を止めている。リリヤは無心に食事を口に運びながら「今日の肉が一番うまい」とぶつぶつ言っていた。
---
食後、昼休みにレオンが「よかったら施術もしますよ。入団初日は緊張で体が固まりやすいですから」と声をかけてきた。
「い、いえ! 結構です! 騎士は自力で回復するものですから!」
思ったより大きな声が出た。レオンは驚くでもなく、穏やかに頷いた。「そうですか。無理しないでくださいね」
あっさり引き下がった。アリアはきっぱり断った自分の判断は正しいと思った。料理の腕前は認めた。施術まで認めてしまったら、それはもう完全に依存してしまうような気がした。今日は一日目だ。境界線を引かなければならない。
しかし、食後に一人で自室に戻りながら、どうしても頭の中に昼食の味が残り続けた。足の疲れを感じながら廊下を歩いて、「騎士として自力回復」と自分に言い聞かせたが、今日一日だけで脚は相当に張っていた。
「……(あの料理だけは、認めてしまいそうだ)」
アリアは静かに部屋の扉を閉めた。机の上には入団書類が積まれている。これを全部こなしながら、明日も訓練に出て、先輩たちについていかなければならない。
アリアは椅子に腰かけ、書類を手に取りながら、もう一度さっきの料理の味を思い返した。
明日の昼食も、あのくらいのものが出てくるのだろうか。そう思う自分がいることに気づいて、少し複雑な気持ちになった。




