第22話:二つの戦場と見えない手
王城の深部、厳かな静寂に包まれた『円卓の間』。
そこでは今、白百合騎士団の存続を懸けた『査問会議』が行われていた。
円卓の上座には、玉座から静かに目を伏せて成り行きを見守る白髪の国王の姿がある。
「――以上の理由から、現在のスラムで蔓延している深刻な薬物汚染に対処できない白百合騎士団は、もはや治安維持の任に堪えないと断ずる!」
円卓の中央で、急進派の筆頭であるヴァレラン侯爵が、勝ち誇ったように声を張り上げた。
彼は糾弾の矛先を、下座に直立するセレスとエストへと向ける。
「被害は拡大の一途を辿っているというのに、貴様らは何度スラムへと足を運び、何度無様に逃げ帰ってきた? 王都最強などと笑わせる。ただ無能なだけではない。貴様らはあろうことか、特権を濫用して身元の知れぬ平民の男を女子寮へと連れ込み、日々快楽にうつつを抜かしているそうではないか!」
侯爵の下劣な嘲笑に、急進派に与する貴族たちが一斉に同調の声を上げる。「騎士の風上にも置けぬ」「神聖な寮を汚すとは」「卑しい男に狂ったか」と、心ない罵声が広間を飛び交う。
「風紀は乱れ切り、騎士としての誇りなど微塵もない! 斯様な腐敗組織は即刻解体し、我が私兵へと治安維持の権限を委譲すべきだ! そしてその平民の男は王都から永久追放とするのが妥当であろう!」
レオンへの侮辱。その言葉を聞いた瞬間、セレスの瞳の奥で冷たい怒りの炎が揺らいだ。隣に立つエストもまた、ドレスの裾を握りしめる手が微かに震えている。今すぐ剣を抜き、この豚共の首を刎ね落としてやりたい――そんな衝動が二人の脳裏を過ぎる。
しかし、彼女たちは一切反論しなかった。表情一つ変えず、ただ嵐が過ぎるのを待つ石像のように沈黙を貫いていた。
反論は不要だ。下手に口答えして隙を見せるより、侯爵の長ったらしい糾弾を黙って聞いている方が安全に作戦完了までの『時間』が稼げるのだから。
(もう少しだ……頼んだぞ、皆)
セレスは真っ白な手袋の中で拳を固く握り締め、心の中で愛する居場所を守るために戦う仲間たちへと祈りを捧げた。
――同時刻。旧市街の第4区画、廃教会の地下水路。
「ヒャハハハ! 懲りずにまた来やがったか、ドブネズミ共! 今日のてめェらは小せえネズミ一匹逃げられねェよう、最高のおもてなしを用意してやったぜ!」
黒蜘蛛の用心棒ガザルが巨大な戦斧を振り上げる。その巨体は不気味に脈打ち、昨夜以上の異常な筋力増強薬によって、血管が今にも破裂しそうに膨れ上がっていた。
「……長口上はいい。さっさと死ね」
神速の短刀が一閃する。シエルがガザルの死角から首元を狙い跳躍した。
だが、ガザルは獣のような咆哮と共に、常人ならざる反応速度で戦斧を振り回し、シエルの短刀を力任せに弾き返した。
「チッ……!」
「遅えんだよォ! そのまま潰れろ!」
空中で体勢を崩したシエルへ狂暴な一撃が迫る。しかし、彼女の身体が潰される直前、後方から飛び込んできたリリヤの双剣が戦斧の柄を下からカチ上げ、強引に軌道を逸らした。
「シエル、大丈夫!?」
「助かった……! あの筋肉の密度はおかしい。昨日の倍以上の薬をキメてる」
「なら、二人で削り切るだけだよ!」
リリヤとシエル――遊撃隊と暗殺部隊の連携が開始される。リリヤが正面から猛烈な連撃でガザルの注意と戦斧を惹きつけ、その僅かな隙を縫ってシエルの短刀がガザルの腱や関節を的確に斬り裂いていく。
数合の激しい打ち合いの末、ついにリリヤがガザルの手から戦斧を弾き飛ばし、シエルの最後の一撃がその両膝を深く抉った。
「グァアアアッ!? てめェら、やれェッ!!」
ガザルが血を吐きながら叫ぶと同時、奥に陣取っていた構成員たちが一斉に複数の魔導具を起動した。
展開されたのは、魔力を物理的に封じ込める『結界器』だけではない。前衛の動きを泥のように重くする『重力場』と、視界を奪う『毒煙弾』の複合トラップだった。
「くっ……! な、なんだこの異常な重さは……!」
「前衛、下がって! 矢が来るわ!」
重力場に足をとられたリリヤたちの頭上へ、容赦ない矢の雨が降り注ぐ。
しかし、その絶望的な雨を、後方から躍り出たディアンヌがすべて弾き落とした。彼女は豪腕で床から巨大な瓦礫の板を盾代わりに引き抜き、前衛への物理攻撃を文字通り『力業』で防ぎ切る。
「……私の背から出るなよォッ!」
ディアンヌが渾身の闘気で盾を支え、敵の足止めを引き受けている間。
後方では、後衛の三人が見事な連携陣形を組んでいた。
「ミレイア、的の誘導をお願い!」
「了解。結界器の核、正確に三つ……射抜きます」
ミレイアが三本の矢を同時に放ち、結界器と重力場の発生源という『点』を正確にマークし、その『的』へ向けてノア自身が魔力回路を極限までブーストさせた。
「あの人のオムライス、冷める前に帰りたいのに……ターゲット、ロック……燃し尽くしてあげる!!」
ノアの杖から放たれた極大の圧縮火炎魔法が、ミレイアの矢が示した三つの標定点へと正確に誘導され、爆発。敵の用意した周到なトラップ群が、まとめて灰燼に帰した。
「結界が……一瞬で破られただと!? ば、化け物どもが……!」
頼みの綱だった防衛網を力と戦術でねじ伏せられ、構成員たちの顔にようやく絶望の色が浮かぶ。
彼らが恐慌状態に陥ったその瞬間、重力場から解放された前衛三人――リリヤ、シエル、ディアンヌが、内に秘めた闘気を爆発させながら、狼群のように敵陣へと雪崩れ込んだ。
王都最強の女騎士団・強襲部隊の総力戦。
理不尽な暴力を振るうだけのチンピラ共が束になったところで、練り上げられた『軍』の連携の前に、結末はとうに決まっていた。
「……裏帳簿、押さえた」
無惨に転がる構成員たちの山を背に、シエルが部屋の奥の金庫から分厚い帳簿を引きずり出した。そこには、ヴァレラン侯爵の署名と、大量の違法薬物の取引記録が克明に記されていた。
「よし! 全軍、撤収だ! 一ミリの傷もつけず、胸を張って『彼』の元へ帰るぞ!」
リリヤの号令と共に、強襲部隊は証拠の手帳を片手に、水路から一気に離脱した。
一方、その直後のことである。
強襲部隊の圧倒的な蹂躙から逃れ、地下水路のさらに奥深くへと逃亡していた裏組織『黒蜘蛛』のボスは、暗闇の中で息を潜めていた。
金も帳簿もどうでもいい。あの化け物じみた女騎士どもの相手などしていられるか。この水路を抜ければ、王都の外へと通じる抜け道がある。ほとぼりが冷めるまで他国へ身を隠せば――
「……おやおや。最近の若いもんは、ずいぶんと逃げ足だけは速いねぇ」
不意に、暗闇の奥からしゃがれた声が響いた。
暗がりに浮かび上がったのは、スラムの路地裏で細々と野菜を売っているようなの老婆だった。
彼女の背後には、闇に溶け込むような漆黒の装束を着た暗殺者たちが、静かに立ち並んでいる。
「ば、ババア……てめぇ……!」
「よくもまぁこれだけ荒らしてくれたもんだ。ま、抵抗は無駄さ、早く死にな」
おばあさんが杖で軽く地面を叩いた瞬間、暗殺者たちが影のようにボスへと襲い掛かり、断末魔の悲鳴すら許さない速度でその命を刈り取った。
「さて、スラムの掃除はこれで終わりさ。……あとは任せたよ、おじいさん」
おばあさんは、遥か頭上で開かれているであろう査問会議の場へと思いを馳せるように、薄暗い天井を見上げた。
王城では今、城門とすべての隠し通路が『国王の近衛兵』によって完全に封鎖されていた。
急進派の退路は、名実ともに完全に断たれていたのである。




