4.小瓶を捻る
ミラ街の噴水広場。セレナの住むタウンハウスの大家、オリバーは露店を開いていた。
売上は上々。ガラスの瓶はさすがの売れ行きだ。
「へぃ、そこの嬢ちゃん。ガラスの瓶どうだ?」
「お値段いくらですか」
「銀貨二枚!と言いたいがそんなに高くないんだよ。なんと銅貨五十枚」
「へぇー、さすが本場。破格の値段だ」
ミラ街に遊びに来ているであろう女子高等学校の娘にオリバーはガラス瓶を売りつけている。高等学生は悩んでいるようだ。
「銅貨五十枚かぁ…。一ヶ月分のお小遣い…」
魔術師兼高等学生は中々に大変だ。仕事をしてるので給金はあるが、学生の本業もこなす。その為、月に入ってくる給料は銀貨一枚から二枚。
色々な事にお金を使う女子高等学生はやりくりに苦労してるのだろう。
(あの嬢ちゃんもそうなんだろうな)
オリバーは、ふとタウンハウスに住む一人の娘を思い出した。
(嬢ちゃんがあそこに住み始めたのはいつだったかな)
オリバーが記憶の底に潜っていると、高等学生は財布を取り出し、銀貨一枚をオリバーの手に乗せた。
「おやっさん買った!」
「まいどー」
オリバーは五十枚のお釣りを返し、ガラスの瓶を袋に入れ手渡した。
(目標売上達成っ、今晩は酒でも飲むか)
数時間後の楽しみを胸に露店の整備をする。噴水がライトアップされた。
(そーいえば、こんな日だったな)
✿✿✿
オリバーとセレナが出会ったのは九年前。大家が軌道に乗り始めた頃だった。
『おねがいします』
まだ幼い高めの声が聞こえた。祭りの準備中だった大家はあまり関心がなく、無視を決め込んでいたのだ。
木材を運び、釘を打ち、怒号と笑い声が飛び交う喧騒の中で、その声だけが妙に耳に残る。
『おねがいします』
『でもねぇ─』
『おねがいします』
『その年齢だとな─』
『おねがいします』
『ごめんなさいね─』
何度も繰り返される幼い声と、それをやんわりと拒む大人たちの声。ステージを組み立て終わっても、なお耳に残り続けていた。
(……しつこいな)
そう思いながらも、なぜか頭から離れない。放っておけばいい、関わるだけ損だ。そういう類いの話だと分かっているのに。
オリバーは小さく舌打ちし、手にしていた工具を乱暴に置いた。はぁ、面倒くさい。そう思いながらため息をつきながら歩きだした。辿り着いたのは、人通りの少ない小道だった。さっきまでの賑わいが嘘のように、そこだけ空気が冷えている。
壁際に、小さな影があった。
『なぁ、嬢ちゃん。お前さん何して……』
声をかけた瞬間、オリバーは言葉を失った。まだ初等部に入ったばかりのような、小さな女の子。その細い腕が、すがるようにオリバーの服を掴む。
『おねがいします。おうちとかありませんか。じゅ、住所かけるばしょでいいんです。おねがいします』
必死だった。声も、手も、震えている。
まるで、これを逃したら終わりだと分かっているかのように。
『家って嬢ちゃん、今どこに住んでんだよ』
『……』
答えない。
いや、答えられないのだとすぐに分かった。
もう一度、少女の姿を見る。
水浴びしかしていないのだろう、髪はぱさつき、服は汚れきっている。肌には細かな擦り傷がいくつも残り、年齢に見合わないほど体は痩せていた。
(……こりゃ、放っといたら死ぬな)
オリバーは小さく息を吐く。見て見ぬふりをするには、あまりにも分かりやすい状態だった。
『お、おやはその、たんしんふにん、ってやつで……その、おうちが……』
たどたどしく並べられる言い訳。視線は泳ぎ、言葉は途切れ途切れだ。思わず苦笑が漏れる。
(下手くそな嘘だな)
けれど、それを咎める気にはなれなかった。嘘でもつかなければ立っていられない子供を、何人も見てきたからだ。
『嬢ちゃん、オレ今大家やってるんだ』
『おおや?』
『家貸してるんだ。一室どうだ』
一拍、間があった。その意味を理解するまでの、ほんのわずかな時間。
次の瞬間、少女──セレナはぱっと顔を上げた。
暗く沈んでいた瞳に、一瞬で光が灯る。
『いいんですか? わ、わたし、おかね、はらえませんけど。あ、アルバイトやっておきゅうりょうもったらはらえます』
言葉が溢れるように続く。必死に、必死に、縋りつこうとしている。
『あー、暫くはいいよ。大人になったら払えよ?』
少しだけぶっきらぼうにオリバーは告げた。
それに情けは長く続かないものだと、オリバーは知っている。
『ありがとうございます!』
力が抜けたのか、小さな肩がわずかに震えている。オリバーは視線を逸らし、頭を掻いた。
(……ま、たまにはこんな日もあるか)
祭りの喧騒が、遠くから戻ってくる。けれどこの小道だけは、まだ少しだけ静かなままだった。そう思いながら、オリバーは少女の小さな背中を見下ろしていた。
✿✿✿
(……こんな感じだったな)
今のセレナは、あの頃とはまるで違う。昔は、生きることに必死だった。金を使わずに生き延びる方法ばかり探していた。
今はどうだ。
たまにボロボロで帰ってくることはあるが、それでもあの頃よりは、ずっと生きやすくなっているはずだ。
(あの子も、あと何年ここにいるんだか)
オリバーの記憶だと現在のセレナは今、十六歳。
高等学校を卒業し、職に着いたらきっとここを出ていくだろう。そんなことを考えていると、当の本人が姿を現した。紙袋を抱え、どこか嬉しそうな顔をしている。
「よぅ、嬢ちゃん」
いつも通り声をかけたはずだったが、セレナはびくりと肩を震わせた。
(……まあ、この仕事は出会いと別れがつきもんだ)
「ひっ、あ、大家さん。どうも…」
昔とは変わりセレナは身長も伸び、自分でお金を稼いでいる。
(これも縁だ。この子が出ていくまでは、オレも大家を続けるか)
その思いを、オリバーは胸の奥の小瓶にそっと閉じ込めた。




