面談①
報告書に目を通しながら、バストラス・ハルフォンドは目の前に直立して立つ男をちらりと盗み見た。澄ました顔で第二騎士団の制服に身を包み、神妙な面持ちでバストラスが通読するのを待っている。そう命じたとはいえ、本来であればそんな必要はないが……こちらの思惑をすでに察しているようだった。
「昨日はご苦労だったね」
「自分は非番でしたので特に何も。ですが総勢十二名の男たちは、暴行、誘拐未遂、殺人未遂、および王城への不法侵入の罪により、現在も拘束されております。経過及び詳細な罪状は、今のところ報告書にある通りです」
ねぎらいの言葉をさらりとかわし、さらに含みを持たせた台詞に、バストラスの口元も危うく緩みそうになった。まったく、面白い男だ。
重厚な造りの部屋は、バストラスが退役後に就いた軍部顧問名誉職に与えられた執務室だった。木目の美しい机、身が沈むほどの革張りのソファ、陽をさんさんと取り入れる大窓の上にはステンドグラスがはめ込まれている。一日の大半を過ごす部屋には、彼の私物も多く、特に作り付けの壁一面の本棚には、必要な資料やまとめられた報告書と並んで、彼自身の蔵書も多く置かれていた。
そんな半私室状態の部屋であるから、今ここにいるのはバストラスと、ギル・イーハンのみ。警備の兵士や小間使いをすべて遠ざけて人払いしていることに、勘のいいギルは当に気付いている。だから、そういえば、と切り出された言葉に驚いたりはしなかった。
「昨日は息子たちも君の世話になったみたいだね」
「そうでしたか? 取り立てて覚えはありませんが……ルシフェル様と、お手合わせいたしたぐらいでしょうか」
「忘れてしまったかい? レイゼンは君にお礼を言ったと聞いたんだけど」
書類と眼鏡越しに覗くようにギルを試す。名前を出されても、いきなり飛びつくつもりはない。それに、声もなしに目だけで一礼されたのを、お礼と受け取っていいのかも不明だ。あくまで儀礼的な笑みを浮かべつつ、問いかける。
「ちなみにどなたからお聞きになりましたか」
返ってきた笑みが、何やら人の悪い黒い微笑みに見えた。予感めいたものは当たった。何しろ――妙に鼻にかかった、女のまね声だったのだから。危うく吹き出しそうになってぐっと腹で堪える。
「あたしが送っていこうと思ったのに、ズルい」
「マリアン様ですね」
「一人でって言われたら、ついていけなのが辛いよね」
「カイル様ですか」
「陛下の下賜した軍馬を、国一番でないとは言えない」
「……ルシフェル様……」
二人目まではなんとか耐えていたギルだったが、バストラスの口真似は特徴をついていて妙にうまい。特に最後の台詞は義務感と家族愛の板挟みが妙に哀れなのと、はたから見たときの微笑ましさに、常に律儀なルシフェルの顰めた表情が容易に想像できて、腹筋が痛かった。
何とか飲み込もうとしていたのだが。
「笑っていいよ」
真向かいにいたバストラスが的確なタイミングで変な許可を出した。げほ、と咳き込むギル。それを、きかなかったかのように微笑みを浮かべたまま動かないバストラス。
俯いていたギルの方が、徐々に震えだした。やがて――
「ははははっ」
ギルの笑いがはじけた。ひとしきり横を向いて笑ってから涙さえ浮かべてようやく正面を向く。バストラスは言葉通り、何かを咎めるつもりはないようだった。
「いやもうホント、面白いご家族をお持ちですよね、ハルフォンド様は」
「最上の褒め言葉だよ、ギル・イーハン」
「そして素晴らしいご家族ですね」
「君の言葉は嘘がない。嬉しいよ」
「やはりバストラス様のご指導の賜物でしょう」
「面と向かって言われると、照れ臭いね」
ふっと会話が途切れた。それは、まるで間合いを測るかのように。二人の会話は確かに成り立っていたが、それはキャッチボールではなく斬り合いに近かった。
「そんなあなた様が、なにゆえに末の姫君を特別扱いするのか、私は不思議で仕方ないのですが」
「娘を可愛がるのに、理由が必要かい?」
「いいえ。愛する理由ではなく、そんな愛し方をする理由を伺えれば、と思います」
それがあのレイゼンという少女の、今の状況につながっているのは、ほぼ確信していた。ふう、とバストラスが長い息を吐いた。手を組み、顎を乗せる。閉じた目を徐々に開いた時、そこにいたのは父として生きる一人の男だった。
「君は……あれをどう捉えたかね」
出来る限り抑えた口調に質問され、ギルは一瞬答えるのをためらった。おそらく、ギルの感じた答えは、バストラスにとって好ましくないのだ。それでも返答をしたのは、知りたかったから。
「……天才、でしょう」
「流石だね」
褒められた気はしない。それ以上に重たく暗い意志を秘めた声音だったから。
「剣筋も見事ですし、状況の判断もすばやく、的確です。さすがはハルフォンド様のご息女だと感心いたしました」
「まあ、あれはもっとも濃く血を引いたみたいだからね」
「……」
「でも、私はあれに剣を教えたことはない」
信じられない告白だった。言葉が、衝撃となってギルを貫いた。動けないほどの驚きをあらわすギルに、バストラスが目を細める。
「そ…れ、は。剣術、という意味において、ですか?」
ひどく震えが残る疑問の声に、ゆっくりとかぶりを振る。
「私が教えたことは二つ」
「二つ?」
たった二つ? と訴える目に、もう一度頷きを返す。
「一つ目は、剣を持つことは、命を奪う覚悟を持つということ。そして、もう一つが、ハルフォンドの流れに生まれたものは、その意味を常に背負って生きる定めにあること」
どんな技術も、方法も。彼女に自ら手渡したことはない。受け継ぐべきと教えたのは、精神と義務。時折、それさえも不要だったのではないか、と思うことさえある。
「ハルフォンド家の、義務、ですか……?」
「君も考えてみるといい。覚悟を背負うとは何か、を。私はそれを、楔のつもりで手渡した。それがどんな役目を果たすかは、あの子にしかわからんがね」
「私には、まだよくわかりません……ですが」
意味深長な態度と言葉。その裏に見え隠れするするのはなんなのだろうか。ギルにはつかめない。ただ、今思うのは。
「けれど、稀有な才能です。摘んでしまうには、あまりに惜しい芽ではありませんか?」
惜しい。レイゼンという存在が。その才能が。なぜ握りつぶされるように隠されねばならないのか。渦巻く心が、怒りに似た熱を帯びる。それを、まるでバストラスは見越しているようだった。彼が、父親から、冷静な軍人に戻った気がした。
「だがあれはある意味出来すぎた」
「出来すぎ?」
「そうだ。武の道を歩めば、己の器と技量で、なにもせずとも世を乱す」
突出した才能あふれる大貴族の人間。ハルフォンド家が王家に信頼厚く、その地位が高いからこそ懸念される、反乱という名の戦い。その気がなくとも、担ぎ出そうと画策する輩は、おそらく少なくない。
そして、いまだ新王が立って数年という短い間だからこそ、今レイゼンがあらゆる意味で「発見」されるのは、バストラスの本意ではない。そしてようやく太平と平穏を得たクレイス王国に、不必要な異分子を投げ込む事態になれば――
誰かが、排除しなければならなくなる。
その役目を負うのは、責ある立場にいるハルフォンドに回ってくる可能性が高い。やっかみや画策、そして王家がハルフォンド家を残し、異分子のみを取り除こうとすれば、その先の未来は想像に難くない。
それらすべてが見通せるからこそ、出来るならバストラスはレイゼンをすべてから遠ざけたかった。家から、政治から、王宮から――そして、家族からも。
だがそれを、ほかの息子や娘が許さなかった。なにより、レイゼンが望まなかった。
ふう、とため息がこぼれる。眉間に刻んだしわを、そっと指を当ててほぐす。この問題を考え悩んだのは、一体何度目だろうか。
「乱世に生まれればよかった。せめて、あと数年早く生まれれば、状況は違っただろう」
確かに、いまだ戦禍残る時代が、つい数年前までは続いていた。軍備拡張が議論され、周辺諸国の緊張が続いていれば、軍人として働き、才能を生かす余地があった。功績があれば、人は平和になった後も軍人を信頼するだろう。今のギルや、ハルフォンド家の兄妹達が、まさしくそれだ。
だがレイゼンの年齢では、それは適わない。
「せめて男ならな。まだ生きる道を見つけることは容易いのだが」
「そうでしょうか」
あまりに重い問題だ。性別が変わっただけで解決するのか。ギルの疑問に、バストラスは苦笑した。
「分からないかね? ……今の君が立つ位置が、男に生まれたあれの居場所だ」
「……」
最強の武人として担がれる。それは、治世を行う王を武力の部分で支え、かつその力と権勢を世に知らしめる存在。自分の立場は、嫌というほど弁えている。だが、確かに「女」では務まらない。性差に現れる身体的特徴も、戦いの激しさも、誇示して見せつけるのであれば、男の方が適している。
いつ間にか執務机に手をついていた。それをじっと見降ろす。自分。レイゼンは、まさしく影のようだった。生まれを違えたために、歩む道すらままならない背中合わせの存在。
「あとは、才に奢り、才を妬まれる人間ならもっと楽だろう。敵を作り、見方を作りながらも生きて行けた――王の器ではないが……それはそれで、頭が痛い思いをさせられそうだな」
手を振りながら、仮定の話をするバストラスはどことなく嬉しそうだ。それが、ギル・イーハンにも伝染した。自然と頬が緩む。
「どんな人に生まれても、悩みは尽きませんか」
父親の顔になったバストラスが、温かく微笑む。
「それが、親という生き物だよ」




