姉弟の憂鬱
王宮の一角にある、とある中庭。
マリアン・ハルフォンドはその形のいい唇から、ふう、とため息をこぼした。原因は言うまでもなく、昨日久しぶりに顔を合わせた可愛い妹、レイゼンである。
昼下がりの心地よい日差しと、かすかに吹くさらりとした風。気持ちを安らげるのにピッタリな情景は、今は憂鬱さを増すばかりだった。普段は団員たちをまとめる立場である手前、弱気も悩みも見せないが、今はあえて避けて休憩を取っている。わずかな時間ではあるが、一人になれる。
普段なら、そして本来なら仕事に私情を挟まないのがマリアンの流儀だ。しかし今日はどうしても、何度自分を叱咤してもいらないことを考えてしまった。そのため、あえて昼の休憩時間に、思い切り悩める時間を作ったのだ。強気で前向きに仕事をこなす自分なのに、どうにも性に合わずうじうじするのは、昨日のことがまだ尾を引きずっているせいだ。
「リゼ……」
声になるかならないか。そんな音で囁いた声は誰にも届かずに消えていく、はずだった。
「悩ましいね」
闖入者が現れるまでは。
突然、と表現できるほど、カイル・ハルフォンドは静かに表れた。ややムッとしながらも、相手が弟であったことにマリアンは安堵する。ほかの人間だったら、即座に態度を変えただろう。風に揺れる髪は同じ金色でも、マリアンが蜂蜜のように太陽を跳ね返す濃い黄金であるのと対照に、カイルの髪は光を透かすように輝く。美しい弟は、マリアンから見てもどんな男よりも美麗だった。女であり、姉である自分でさえ、嫉妬を通り越して呆れてしまうほど。さながら、春の神と言った風情か。
「何か、急ぎの仕事でも?」
「いいや? こちらも一人になりに来たんだ。やっぱり、姉弟だと同じところを見つけるみたいだね」
「それは……そうね」
二人とも同じ父親という師匠を持っている。気配の見つけ方や場所の把握の仕方は、同じ技術をもとに受け継いでいる。となれば、隙間のように空いたこの庭が、あまり人通りのない場所だと、同じように認識する。
「リゼのこと、だろ?」
「……」
問われて――もちろん、それ以外になかった。だが正直に答えるのは癪だった。そんなマリアンを見透かしたように、カイルが苦笑する。
「ショックなのは、リゼが仕事を優先したこと? 私たちよりギル・イーハンの手を借りたこと? それとも……見事に一人で切り抜けたこと?」
ずばずば言い当てられて、マリアンとしては立つ瀬がない。四つしか違わないとはいえ、相手は弟なのに。若干矜持がうずくが、そこはため息をついてごまかす。
「どれって言われても困るけど……」
「なら、あの子の世界が広がっていくのが、怖いの?」
「……」
沈黙は肯定だ。マリアンはそう認めながら、昨日のことを思い出していた。
***
思わぬ事件が起こり、またしても森の一角は騒然となった。それでも空き地に集まったのは兵士である。裏切り者を含め、すぐに捕えられた。事態を重く見た幹部たちは、事件の被害者たちを護衛して、いったん王宮に戻るという話になった。
そこで、例によって兄弟でもめた。レイゼンをどうするか、である。
ルシフェルは自分の庇護下に置くと言い、カイルは騎士団で身を預かると言った。マリアンはマリアンで、姿を隠せるように団員を手配すると言い出す。要は同じことを言っているのだが。
頭痛を感じながらそのやり取りを見ていたアルフレートが、ふと真顔になった。何かに思い当たったようにおもむろに持ち歩いているペンと小さな紙切れを出し、何事か書き付けてからレイゼンを手招きした。彼女が離れたことに、議論中の兄姉は気づかない。
「これを宰相に渡しなさい」
「はあ、今ですか」
「今すぐです」
こんな時でも緊張感のないレイゼンに、さらに頭痛が増した気がするアルフレート。さっきまであれほど素早く、機敏に動いていたくせに、今はもう普段通りだ。敵に剣を振り上げられたときには、一瞬駄目かと思ったはずなのに、なにが起こったのかを把握する前にレイゼンが形勢を逆転していた。今日ほど驚きに満ちた日を、アルフレートは知らない。
「お忙しい宰相様を探すのは、かなり時間かかりますけど……」
先を濁した形のまっとうな提案に、ふむ、とアルフレートも考え直す。確かに、王城中をくまなく移動していると言って過言でない宰相を捕まえるのは、かなり至難の業だ。では、とアルフレートは指示を変える。
「バストラス様にお渡しなさい」
「父ですか」
「職務中はバストラス様とお呼びなさい。公私混同です」
「はあ……まだ職務中でしたか」
「帰宅するまでは職務中に決まっています。いままでどんなつもりだったんですか」
すっとぼけた返事にやや声を荒げると、珍しくレイゼンが答えに詰まった。ちょっと考えてから、すみません、と謝罪が入る。
「職務中でした。ちょっと忘れてましたけど」
「忘れるんじゃありません。とにかく急ぎなさい。あまり遅くなればお帰りになってしまうかもしれませんから」
「はあ」
イマイチ手応えがない。もう一度念を押すか迷っているうちに、レイゼンはまだ小声で議論中だった兄姉のもとへ行っていた。あのう、と一言発しただけで、三人の言い合いはぴたりと止まった。
「どうしても父と二人で火急のお話ししたいので、先に王宮に戻ります」
効果は――覿面だった。
「ならば」
「じゃあ」
「だったら」
「私の馬」を、が見事に重なった。それでも話の矛先が切り替わったのだから、的確に要所を押さえたレイゼンの台詞の威力に、アルフレートは感心していた。過保護な兄姉との付き合いは、渦中の当事者が一番長いに決まっているのだから、当然と言えば当然だが。だが矛先が変わっただけで、収拾がついたとは言えなかった。
しかし。
「急ぐなら、こいつが一番速いよ」
立派な軍馬を引いて、ギル・イーハンが乱入してきた。視線の輪の中に割り込んで、さらに注目を浴びている。本人はさらりと無視しているが。
「なんてったって、陛下が軍馬一の駿馬とお認めになって下さったからね」
「陛下が?」
「そ、去年の御前試合の、まあ賞品だな」
なあ、と武官たちに同意を求めると、やや三人に気まずい沈黙が下りた。その通りだが、認めてしまうとそれぞれが面白くないのだ。
それを知ってか知らずか、興味深そうに、レイゼンは駆け寄った。
「名前は?」
「アマラ」
「ふうん」
アマラ、と口の中で転がす。変わった音だと感じた。
「乗せてやろうか」
軍馬は大きい。そして、誇り高く育てられる。小柄なレイゼンは、完全に見降ろされている。鐙も、かなりぎりぎりで足が掛けられるか、という高さだ。けれど、真っ黒な目を覗き込んでから、レイゼンは首を振った。しばらくじっとアマラと向き合った。そして。
ふわり、と身を躍らせた。
音はなかった。すでに馬上の人になったレイゼンが、ギルと、兄姉と、そしてアルフレートに向かって一礼する。見事に馬首を変えて、一気に走り去った姿を、ギル以外がやや呆然と見つめていた。
***
昨日の一部始終で、あとから地団太踏んでマリアンが悔しがったのは言うまでもない。ギル・イーハンとの接点などほとんどなかったが、彼の株はマリアンの中で大暴落していた。ゼロを突き抜けてマイナスの底まで落ちている。兵士の手前、大騒ぎすることもできなかったが、誰もいなければその場で決闘になった。断言できる。
「ホンっとムカつく!」
「まだ言っていたのか……」
「あたりまえでしょ。あんときどんだけ悲鳴あげるのに神経使ったと思ってんのよ。余計なことしてくれちゃってぇ……何が最速の軍馬よ! あたしの可愛いリゼを返しなさいよ!」
結局はただの八つ当たりに近い嫉妬である。いいところだけ持ち逃げされて、はらわた煮えくり返っているマリアンに、カイルはさらに苦笑いを深くした。
「変な虫が付いたみたいで、ホント嫌。何とかつぶせないの、あれ」
さらりと物騒な単語を出されても、カイルは動じない。マリアンが言うとシャレにならないのだが、肩をすくめただけだ。
「潰せれば苦労しないなあ。兄さんが手こずって負けてるみたいだし」
「……部下を使ってやろうかしら」
あながち冗談にならない表情で考え込んだマリアンに、カイルは駄目だよ、と手で制した。
「それはさすがにまずいって……」
「ていうか、あんな妙に余裕じゃない? 全然気にしてないの、昨日のこと?」
「まさか」
はっと冷たい笑いを浮かべる。美人が冷笑を浮かべると、それこそ大の男でさえ竦みあがらせるほどの迫力がある。
「せっかくの逢瀬の時間を邪魔されんだよ? 今日も見かけたけど、ホント暗殺してやろうかと思ったさ」
「やっちゃえばよかったのに」
「やれればよかったけどね。どうやら父さんの所に行くみたいだったから、さすがにバレるだろう? それに、あの子が家を出た時点で、遅かれ早かれこうなるのは分かっていたはずだよ?」
「……」
カイルが指摘したとおりである。レイゼンが自ら閉鎖された家を出て、世界と関わりを持ち始めた以上、彼女自身に興味を持つ人間が出てくるのは必然だ。それを嫌だと子供のように駄々をこねるのは、家族としてあまりにも間違っている。それを頭の半分では理解しているからこそ、マリアンは悩んでいるのだ。
「でも、ちょっと早すぎない?」
「全然。むしろ、これからが大変だよ? 私たちとのつながりがバレちゃって、あっという間に波にのまれるように好奇心の渦に放り込まれるさ」
人の悪い笑みを浮かべて、カイルはマリアンを揺さぶる。
「というわけで、今日は仕事を早く終わらせて、リゼの顔を見に行く予定なんだ。昼休みが終わったから、これで失礼するよ、姉さん」
「なんですってっ。ちょっと、抜け駆けはなしよ!」
「呑気なこと言っている場合じゃないって。一番でいて欲しいならちゃんと会っとかないと。すぐ忘れられちゃうよ?」
「だから、抜け駆けなしって言ってんでしょ。ズルいわよ!」
途端に武術大会レベルの姉弟喧嘩に発展した二人をよそに、昼休み終了の鐘が王城中に響いた。それってホントに妹の話だよね、と突っ込む人間は、誰もその場にいなかった。




