奇襲と観察
少々戦いの場面が出てきます。苦手な方はご注意ください
大の大人に囲まれて、なぜかちやほやされながら口々に心配されているレイゼン。アルフレートとしては、仕事上で付き合いのある優秀な武官たちが人が変わったように家族を甘やかすのが、何度瞬きしても消えてくれない幻のように思えた。なにしろ、真ん中にいるのが日ごろこき使いつつその無能さをこき下ろしているレイゼンだけに、よけいに信じられない。
ハルフォンド家の面々が集まれば、なにもなくとも目を引くのは当然である。家名が名高いだけでなく、父親は戦争の英雄。そして個々それぞれにも衆目を集めるだけの実力と名声、そして容貌を備えていた。
長兄ルシフェルは、王の剣と呼ばれる近衛部隊の長。纏う色は黒。瞳だけがわずかに灰色であり、剣技の鋭さとともに有名である。彼はその色彩をそっくり父親から受け継いだことからも、英雄の後継として目されてもいる。
次兄であるカイル・ハルフォンドは、王都守護の要と言われる第一騎士団の団長だ。白皙の美貌は、彫刻よりも美しいと評判で、貴族の娘なら一度は噂したことのある貴公子でもある。金の髪色と澄んだ翠の瞳は女性よりも美麗だが、槍を扱わせたらこの国に右に出るものはいないという強者だ。
そして長姉、マリアン。彼女もまた騎士団の団長を務める。だがその位置づけはカイルが指揮する第一騎士団と同列と言われる実力のある、特別捜査騎士団。いわば一般的な警備とは違い、戦時であれば諜報部員を担い、平時であれば表立った捜査の難しい事件を扱う。正確な所属人数はマリアンしか把握していないと噂され、かつ一癖も二癖もある変わった団員が多い。それらを見事にまとめあげる手腕を持っている女傑だ。
が、今の彼らにそんな面影はない。出来の悪子ほどかわいい、というやつだろうか。別人過ぎて、どちら様と訊きたくなるような甘い雰囲気に、ややげんなりしつつあった。
大体、すっかり失念していたが今日は貴重な休暇の一日目だ。仕事で疲れた体に、さらに重ねて森を走り回る羽目になったアルフレートとしては、そろそろこの集まりを解散してほしいところだ。そして、この騒ぎが余計な仕事につながらないことを祈りながら、家に帰りたい。休みが返上になれば、今度こそ逆上して宰相のところに怒鳴り込んでやるつもりだ。
ようやく目を離せたばかげた光景を、できるだけ頭の隅に追いやりながら、アルフレートは周囲を見回した。すでに号令がなくとも撤収の準備に入っている。選りすぐり精鋭を連れてきた、というのは本当だったらしい。彼らの動きには統率がとれた無駄のなさが見て取れた。
不意に、目が留まった。その動きを、一点だけ乱す場所があった。一人の兵士と、とらえられたごろつき。どちらも顔を伏せていて表情は読み取れない。だが、目についたまま、そこから視線が動かなかった。そして、アフルレートが注目する中、無頼漢の背後に立っていた兵士が、ゆっくりと傾いて――倒れた。
拘束されていたはずの男が、一気に飛び出した。
兵士の剣を奪い、振り上げて奇声を叫びながらまっすぐに向かってくる。反射的に退こうとした身体が、腕をとられて身動きを封じられた。脇には、先ほどアルフレートを気遣った兵士が、無表情で彼を捕まえていた。
「なっ……」
なにを、か、なぜ、と続くはずの言葉は、次に起きたことによってかき消された。
兵士が、鎧ごとぶっ飛んだ。それも派手に、そして顔面から地面に突っ込み動かなくなる。
ものすごい既視感がアルフレートを襲って、眩暈まで感じた。そう、これは、あれだ。この騒ぎの始まりともいえる、あの馬車で起きたことと同じだ。
飛び蹴りを決めたレイゼンが、音もなく地面に膝をついた。その手には剣がある。間髪入れず、目前に迫ったごろつきとアルフレートの間に割って入り、勢いよく振り下ろされた剣を、己の得物で斜め下から跳ね上げた。ガィンと金属のぶつかる音の後に、敵の正面が大きく開く。そこに、振り上げた剣の柄頭を、相手の頬に水平に叩き入れた。形容しがたい鈍い音がして、唾液と血が飛んだ。
そのまま倒れる男に持ち手を変えて剣を振り上げた。切っ先は、まっすぐに男に向かっている。
さあっと血の気の引く思いがして、アルフレートは叫んだ。
「レイゼン!」
「リゼ!」
ザン、と剣が振り下ろされた。いくつか声は重なった。とっさに動けないまま、倒れた男を踏み敷くレイゼンを凝視する。違えず、剣は首に……
刺さって、いなかった。
出血はなく、レイゼンが引き抜いた切っ先にも、ほんの少し土が付着しているだけだ。男は、顔への一撃ですでに気絶している。固まったままのアルフレートに、ご心配なく、とレイゼンが声をかける。息ひとつ乱さず、淡々と宣言する。
「兄上の剣を、穢したりはいたしません」
確かに、ルシフェルの腰からは剣がなく、空の鞘だけが腰に差されていた。あれは確か、彼の功績をたたえて前王自ら下賜したという、国宝級の一品だった。いや、そうではなく。
「問題はそこではありませんっ」
相変わらず頓珍漢な部下に、場所もかまわず襟首を引っ捕まえて、アルフレートは延々と続く説教に突入した。
***
繰り広げられる睦まじい兄妹たちの様子を、ほかの兵士や騎士たちとは違った目線で観察する人間がいた。ギル・イーハンである。すでに不埒な無頼漢どもはとらえられ、緊張感も和らいでいる中で、ほとんどの視線が一点に集まっていた。疑問符が飛び交い、羨望がレイゼンに向かっているのを、ギルは察知していた。背の高い三人に囲まれ、目当ての人物はほとんど見えないが。
そんな有名すぎる三人のなかで、ちんまりと立っているのがレイゼンである。取り立てて目立った功績があるわけでもない。それどころか武官ですらない。彼らと血を分けた兄妹だと言えば、ほとんどの人間が信じられない、というだろう。だがギルには、全く違って見えた。
彼女は、三人の中に立っている。それだけで十分、兄妹であると言えた。
何しろ、目立つ三人なのだ。普通の人間なら、埋没してしかるべきだ。陰になって見えなかったとか、どこにいたのかわからなかったと思われるのが当然だろう。それなのに、レイゼンは小柄でありながらも、兄弟たちに埋もれることなく、人々の視線を集めている――やや種類が違うとはいえ。
彼女もまた「特別」ではないかという推測という名の期待は、すぐに答えが出ることになった。
突発的な事故のように起こった事態に、誰より早く反応したのは、レイゼンだった。
彼女は兵士が倒れた直後に、シャラリと己の兄の剣を抜いた。驚く兄弟たちを後目に、伏兵だった男に見事な飛び蹴りを正確な位置に入れた。鎧を着ていたとはいえ、急所への攻撃と吹っ飛ばされたことによる鎧の重さを含んだ衝撃に、耐えきれずに兵士が気絶する。確認もせずにもう一人をあっという間に切り伏せた。
と、思ったのは間違いだった。
皮一枚。どころか、皮膚をこすりもしない、けれども髪一本分の隙間だけを残した位置へ振り下ろされた刃先。周囲はおそらく、血だまりに男が残されることを覚悟したはずだ。それは慈悲か温情をかけたせいか、名を呼ばれてとっさに軌道を変えたせいか、どちらかだとギルは想像した。
けれど。
ご心配なく、と発せられた声は、いっそ清々しかった。
『兄上の剣を、穢したりはいたしません』
彼女にとって、目の前の男の命など、目に入れる価値もなかった。生殺与奪を握る場面であってもなお、人命はその瞳に映ることもない。
他人も、そして、おそらく己自身も。
間違いなく、彼女は特別だった。そして――
戦の、天才である。




