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ハルフォンド家の兄妹

 土を踏みしめて走る。藪を突き抜け、木の横をすり抜けて直角に曲がる。獣道にすらない森を縦横に走り回って一体どれだけの時間がたったのか。レイゼンが宣言した通り、アルフレートは薄暗い森を走っていた。時折、物騒な怒鳴り声や物音を背後に聞く。そしてその度に前で手を引くレイゼンが一瞬だけ後ろに下がり、すぐに人の気配が消える。狭い森の中で動き続けているせいか、矢が飛んできたことはない。そしてたまに足を止めたレイゼンが、周囲を見回しながらあの指笛を鳴らすのだ。独特の抑揚は、何度も聞くうちに徐々に変えられているとわかった。それがなんらかの意味を持っているのも明らかだった。


 なにをしているのかは、さっぱり見当もつかないが。


 そうやって繰り返されている行為が、無意味ではないかと思いたくなってきた頃、レイゼンがまたしても足を止めて高い音を響かせる。そして――それに応えた音があった。

 全く同じではない。やや低く、そしてその抑揚が明らかに違う。耳を澄ませていたレイゼンが、ちょっと首をかしげた。が、すぐに返答するように短く高い一音を鳴らす。そこまで来て、ようやく走るのをやめた。ゆっくりと歩きながら、森の中を進んでいく。


 アルフレートは完全に息が上がっていた。あまり血の気の多くない顔も火照り、やや赤みがさしている。何とか呼吸を落ち着けようとするが、慣れない持久走じみたことをしたせいで体の外も内側も痛い。レイゼンが手を引いているために、意地でも歩みを止めない。だいたい、目の前にいる部下は相も変わらず平然としているのだ。憎らしいことこの上ないが、体力は限界である。止まってしまえば、歩き出すのは困難だろう。


「なに、が……どうなっているのです」


 打って変わってゆるい歩調の中で、逃げもせずに歩いているのが不思議でならない。だからこそ口を利けるのだが。


「もう走るのは終了です。あとはお任せすればいいと思います」

「誰に、なにを」

「すべてを、騎士団に、です」


 簡潔な質問と簡潔な答え。だが何の説明にもなっていない。アルフレートは事情を聞くのをあきらめた。最小限の答えしか言わない部下では、一問一答していくしかない。口を開くのも億劫な今では、やっていられないと見切ったのだ。


 夕暮れが近づいてきたのか、森の中はさっきよりも薄暗かった。それが急に木々がまばらになり、さらにぽっかりと空き地になった一角にでた。遮るもののない太陽の光を受けるその場所は、まだ明るい。その中央辺りで、ついに歩みが止まった。アルフレートの気が緩みそうになった、瞬間。


 バキバキと小枝の折れる音や、騒々しい足音がして、四方から十人以上の男たちが姿を現した。全員が物騒な武器を手に、にやにやと嫌な笑いを浮かべている。どう見てもごろつき、はみ出し者の集まりだ。


 ぐるりと囲まれて、脅すように得物をちらつかせられても、レイゼンのつまらなそうな無表情に変化はなかった。アフルレートはさすがに頬をこわばらせた。こんな状況は、文官一筋で生きてきた彼にとっては縁がない、どころか、想像したことさえなかった。それでもパニックにならず、冷たく相手をねめつけるだけの度胸は据わっていた。


「どういうことです」


 端的な問いは、震えてもいなければ怯えてもいない。そんな上司を、まっすぐにレイゼンは見上げた。


「誘いました」

「あなたが、ですか」

「はい……私が、です」


 ともすれば、どんな確認にもならない短い応酬。それだけで、アルフレートがさらに冷たく冴えた表情を取り戻した。態度が尊大になったのが、さすがのごろつきたちにも伝わったらしい。凄まれても一向にひるまない相手に、いぶかしげな顔になった。それでも、徐々に包囲の輪を狭めていた足を、さらに騒々しい物音が止めた。


 蹄と、人の声。そして金属のぶつかり合う音。


 そこまで、と鋭い声が、つい先ほどまで強者だったごろつきたちを、竦みあがらせた。


「お前たちに逃げ場はない。武器を捨てて投降しろ」


 朗々とした声が響き渡る。気づけば、数十人の兵士たちがごろつきたちのさらに外側を取り囲んでいた。隙を見せた者から一人、また一人と取り押さえられていく。見慣れた顔が、アルフレートに近づいてきた。彼は執務室のある官舎の見張りを務める兵士の一人だが、今日はこの捕り物に参加していたらしい。


「ご無事ですか、アルフレート様」


 気遣わしげに尋ねられる。あいさつをする程度の知り合いだが、見事に名前を言ったことに、妙に感心していた。ふざけた部下がいると、普通の人間がありがたく思える。


「特に怪我はありません。これは何事なのですか?」

「自分も詳しくは……ただ、侵入者発見の合図によって集められた兵士から、選抜されたメンバーです。取り逃がしはしません」


 ご安心ください、と微笑まれたが、アルフレートとしては逆に冷や汗が浮かぶ事態になった。


「合図とは……甲高い、指笛のような音の?」

「ええ。見張りの兵士たちに渡されている笛です。緊急事態の時のみ使用が許されます」


 ぎろ、と涼しい顔をして無関係を装っているレイゼンとにらむ。確かに彼女の言うとおり、下手をすれば首では済まない手段だった。説教しようと襟首に伸ばした手が、またしても急に騒がしくなった方角を向いたために止まる。


 ぱっと騎士たちの作る人垣が割れた。その中央に馬が駆け込み、強く手綱を引かれて急停止した。大勢が唖然とするなか、素早く地に降り立ったのは、女性騎士。長い金髪をたなびかせ、颯爽とした姿が自然と目を引く美人は、ハルフォンド家の長姉、マリアン・ハルフォンドである。


 ちょっと辺りを見回して、何かに気付いてハッとすると、彼女は一直線に駆け寄った――アルフレート、の隣に突っ立っていた、レイゼンに。


「リゼ!」


 そのままぎゅうっと抱きしめる。レイゼンは腕の中で相変わらずだが、それでもその手はそっと相手の肩に置いてある。


「ばかばかばかっ。すっごく心配したんだから。なんでこんなことに巻き込まれてんのよ!」


 巻き込まれたどころか、引き起こした張本人ですが、とは口に出していい雰囲気ではなかった。


「あの……すみません」

「ダメー! 許さないっ」


 素直に謝っても、さらにぎゅうううっとさらに力が籠る。騎士団一と称される美人に抱きつぶされるなんて、と羨望を向ける兵士も少なくない。が、アルフレートは迷惑だった。視線がついでとばかりに己にも刺さるからだ。


「そこまでにしてあげたら? リゼがつぶれちゃってもいいなら別だけど」


 苦笑を浮かべながら、ちっとも手放さないマリアンを止めに入ったのは、鎧をきっちり着込んだ白皙の男。先ほどごろつきたちの足を止めた、あの鋭い声の持ち主だが、今は柔らかく微笑みながら、耳触りのいい声を響かせている。少しかがむと、レイゼンの目線に合わせる。


「怪我はないかい?」

「特にありません。カイル兄上」


 ようやく解放されたレイゼンの頬に、手袋を外してから手を当ててちょっと上向かせる。言葉が嘘でないと確認してから、その手をそっと頭に乗せた。しばらく乱れたままだった短い茶髪を、手櫛ですく。


「……そう。よかった」


 目を丸くしているのは、アルフレートだけではない。この場にいるほぼ全員が驚きに目を白黒させている。レイゼンの身元を知らない以上、一体あの文官は何者だと囁きあうのは必然だった。


 そしてさらに、この場の人間を呆然とさせることが起こった。


 注目を浴びる三人に、全く周囲に頓着せずに大股で近づいた男。堂々たる偉丈夫、鋭い目つき。まっすぐに少し離れた場所にいた弟妹に、躊躇いもせずに歩み寄ったのは、ハルフォンド家の長兄だ。


 近衛の長ともいえる第一部隊長である彼が王城離れた森にいるなど、ほとんどありえない事態だ。幻かと目をこすった兵士さえいる。


「ルシフェル兄上」

「……無事だな」


 低く短く、それでも彼なりの安堵の声で、ルシフェルは末の妹を見下ろした。すみません、と目を伏せたレイゼンに、ほんのわずかに口角を上げる。無言であってもそれだけで伝わったのは、やはりレイゼンがかすかに微笑んだのを見てわかる。他人には、ほとんど分からない変化だ。


 久しぶりに、ハルフォンド家、四人の兄妹が顔を合わせた瞬間だった。


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