招集命令
なにをしているのかしら、と何度目になるかわからない問いかけを、ラビは心の中でつぶやいた。
レイゼンがあの後すぐに向かったのは、図書室だ。それも城内一の規模を誇る、大図書室。知らない者が入り込むと、書棚や机がまるで迷路が迷宮のようで、あっというまに現在位置を見失うと言われている、恐ろしい部屋だ。
どうやらある程度常連らしいレイゼンは、迷うことなくとある一角にたどり着き、ラビに向かってあれこれと指示を出した。主には題名と著者を告げられ、高い本棚から探し出し、さらに不要と見做されたものを元に戻す、という作業だ。
このあたりには貴族年間や歴史など、国と、そして主要な貴族たちに関わる情報がまとめて置かれている。大量の本を読み込む、というよりは、どうやら記憶を頼りに目当ての情報を探してるようだった。ということは当然、すべて一度は目を通したことのある本ということで……
今までラビは、文官として全くレイゼンを見たことがなかった。が、これだけの本を読んでいるということは、ラビにとって途方もない驚異だった。実は優秀なんじゃ……などとうっかり思ってしまうほど。仕事の合間に、紙を折って遊んでいたことを思い出すまでの幻だった。
いや、結局仕事はしてないじゃん、と。
それから、ギル・イーハンは付いてきたままだった。当たり前だが、ラビの敵う相手じゃない。そして、単純に力だけなら、レイゼンだって及ばない。彼を「返して」くることは不可能だった。
邪魔するつもりはないのだろうが、レイゼンの読む本を横から覗いたり、折角積み上げた既読の山を崩したりと、ちょいちょい余計な事を仕出かしている。注意するのもおかしいので、ラビはあえて何も言わない。
それにしても、と疑問は尽きない。
どうして、誘拐事件が起こって真っ先に来るのが、図書室なのか。
散らかされたレイゼンの周りを、ある程度片づけながらじっと少女を観察する。
今読み散らかされているのは、主に肖像画だ。版の大きな、両手で抱えるほどの本には、歴代の王族が描かれている。現国王の三代前の姿絵はとても美しい。金髪に緑眼。ラビの知識では、確か彼は有能な武王だったはずだ。その隣には、その妹君。こちらはさらに色素の薄い銀髪で、それでも瞳の色が共通している。目を引くほどの美貌ではないが、凛とした気品ある姿だった。それぞれの功績が、絵とともに隣のページに記されている。彼女はその後、グレイデン公爵の妻になっていた。
同じような本は、ハルフォンド家でも作られていた。王家の姿絵が絢爛に装飾されているのに対し、こちらは驚くほど簡素だ。ともに描かれている装飾品も、武骨なものが多いし、人物もまたたくましい。肌が黒かったり、鎧姿であったり、いかにも「軍人」という印象そのままだった。
目立つのはその二冊だが、ほかにも主だった貴族たちの肖像画が広げられていた。グレイデン、セニア、ホートン、カルデナリア、エスラム、ローウェンなど。ざっと手近なのを上げただけでもこれだけある。
ラビ自身は平民で、苗字はない。知識と教養の一環として貴族の家名は学んだが、それだけだ。ギリギリ覚えているだけで、レイゼンのように本を取り出せるほどではない。
彼女が熱心にページをめくっている横で、早くも飽きたらしいギル・イーハンが、人目が無いのをいいことに、机に突っ伏して寝ていた。いくらなんでも早すぎる。
と、その体がふっと起き上った。レイゼンの手も止まる。はてと思って二人が見た方向をラビが振り返ると、そのタイミングで人が現れた。
兵士でも衛兵でもない。文官姿の男だ。彼はこちらに気付くと、一礼してから歩み寄ってきた。
「お探し申し上げました、ギル・イーハン様」
「自分をですか。申し訳ないが、どちら様で?」
即座に切り替えてあくまで事務的な受け答えをする。相手は失礼いたしました、とすぐに名乗った。
「宰相様付き、第二補佐官を拝命しております、一等書記官キース・ラド・セニアと申します。ギル・イーハン様、先ほど開かれました緊急議会において、招集命令が出されました。大会議室へお越しください」
丁寧ではあったが、これは明らかに命令だった。この、かなり高位な書記官を伝令扱い出来るほど、権力のある人物からの、命令。
「確かに承りました。用意が整い次第、すぐに伺いますとお伝えください」
さすがにくだけたシャツのままではまずい。制服の上着は軍部の方に置いたままだった。察したのか、うっすらと上品に微笑んだ後、文官は三人の前から下がった。
後ろ姿が見えなくなり、足音が遠ざかるや、ギル・イーハンは苦い顔つきになった。
「呼び出しか。なにがあったんだろうな」
「身代金の要求とかですかね」
「物騒だな、レン」
「冗談です」
真顔のまま淡々と言われると、否定されても妙に真実味がある。まったく動揺なんてしてない二人の前で、止めてください、とラビは懇願した。
「アルフレート様、本当に大丈夫でしょうか? 怪我とか、してませんよね」
「多分平気……」
あいまいな言葉ながら、レイゼンは確信しているのか、どこか呑気だ。そうなると、ラビとしては不安よりも不思議な気分が大きくなる。
「あの、レイゼンさんはどうしてそんなに落ち着いているんですか? 普通、誘拐って聞いたら攫われた人はかなり危険だと思うんですけど」
「だってほら、一応王族候補だから。死なせたりはしないよ、きっと。目的も、お金とかじゃなくて、アルフ様の口から『王族だ』っていう言質取りたいだけだろうし。もしくは本当のことを知りたいから、とか」
「はあ……そう、ですかね」
危険は危険かもしれないが、そう指摘されれば怪我などを負う可能性は低い……かもしれない。納得しきれないラビを見かねたのか、レイゼンが説明を加えた。
「ラビ、よく考えて。ここは王宮だよ? 街中じゃないから、道理の通らない無法者はいない」
「それは、まあ」
そうかな、と首をかしげる。堂々と昼日中に人をかどわかした人間を、無法者と言わないなら、そうだろう。疑問は顔に出たようだ、違う違う、とレイゼンは手を振った。
「無法者っていうか……単純にお金欲しさに無茶苦茶する人間はいないってこと。ここにいるのはしがらみとか色々持ってる貴族が多いし。利権や権力が絡んでいる以上、『王族』ってキーワードに引っかかるアルフ様を、そうそう簡単に傷つけられないんだよ」
「ああ……そうですね」
「派手な事をしちゃったから、焦っているだろうけれど、とりあえず逃げられた今は、少し安心しているはずだよ」
「その点見越して、上の奴らも動いているだろうしな」
ギル・イーハンが立ち上がる。つい先ほどまでだらけていたとは思えないほどの素早さで散らかった本を片付けてしまった。まだ読みかけだったレイゼンの本も、取り上げて書棚に戻してしまう。
「あの……」
「なんだよ。お前らも来いよ。なにか分かるかもしれないだろ?」
「……」
あからさまに嫌だと主張したレイゼンと、はっとして顔を輝かせたラビ。あまりにも対照的な反応に、ギルは思わず笑ってしまった。
「そうですよね。もう調査が終わったなら、収穫があるかもしれません。行きましょうレイゼンさん!」
「やだ」
「そんなっ。こんな機会ありませんって。大会議室なんて、それこそ僕は絶対に入れないんですよ。やろうと思ったって出来ないんですから、やれるうちに情報収集しとかないと」
「私だって入れないけど、絶対に行きたいとは思わない。話なら後でギル様に聞けばいいと思う」
「消極的なこと言っていないで、動きましょうよっ」
ラビはぐいぐいとレイゼンの腕を取って立ち上がらせる。しばらく押しつ押されつを繰り返していたが、最終的にはギル・イーハンも手伝い、レイゼンを両脇から持ち上げるようにして図書室を出ることに成功した。
レイゼンの、盛大な溜息だけが、あとに残された。




