蒔かれた種
静かな、空間だった。
ただ無造作に立っているだけのギル・イーハンの背後には、見慣れた建物の壁がある。軍の司令塔とも言えるそこには、大抵の高位武官と書類仕事が詰まっていた。もちろん、ギルとて本来ならそこでつまらない机仕事をしているはずだったのだが。
さあっと風が吹くと同時に、その場の気配が変わった。
飛んできた何かを、首を傾けて避ける。勘弁してくれ、と思わずにはいられない。いや、相手だってずっと思っているかも。なにしろ、遊ぶように武器が飛んでくる以外に、実害はないから。それを害なしと言えるのは、ギルだけだろうが。
一瞬だけあらわれた人の息遣いが、またさっと消える。その場に静けさが戻る……先ほどから、これを繰り返して何度目か。変わった武器の形状や暗器らしきものから、相手はおそらく特別騎士団だろう。とすると、当然その裏にいる人物は目に浮かぶ……レイゼン大好き、マリアン・ハルフォンドだろう、と。
なれば、こんな暴挙に出た理由だって見当がつく。だいぶ誤解を含んでいるが、まあ先日の「お誘い」の噂が耳に入ったのだろう。もうずいぶん前な気がするが、まだ季節さえ変わっていない。それでも、今更な気がしてならないが。
一応、正面からケンカ売られたら、ギルとしては高くお買い上げする主義だ。だがこの明らかに気の進まない、消極的な挑発をどうすべきか、はてと頭を悩ます。引き下ろすのは簡単だが、余計な事をしてはいらぬ恨みを買って、高くついてしまう。剣を抜く必要もないが、さりとて反撃して追い返すのも、問題。この困った状況に置かれることを、マリアンは見越して部下を寄越したのだろうか。
仕事を邪魔されたと怒るべきか、それとも地味な作業から堂々と逃げ出せたと喜ぶべきか。とにかく反応に困る。飛んできた鉛の球を、手持ちのナイフで弾いた。と、その時。
「ああ。ここにいましたか」
聞き覚えのある声の後に、ふっと影が落ちた。すぐに、スタンと身軽に降下してきたのは。
「レンじゃん。なにしてんだよ?」
「……少々、野暮用が」
「はあ?」
「訳ありなので、あまり詳しくは……思った以上の平気そうですね」
「ああ。よくわからん喧嘩のことか? 向こうのやる気がないの見え見えだからな」
「姉以外の人たちは、ある程度常識人ですから」
「……意外とひどいな、その評価」
家族の溺愛を一身に受けるレイゼンは、なんというか、どこまでも淡白だ。冷静である、ともいえる。これである意味両思い、などという状況だったら、それこそハルフォンド家は終わりだとも言えるが。
「お手数かけてすみません。引いてもらえますか、サイエ様」
あらぬ方……おそらくは先ほど感じた人の気配を、正確に読み取った方向に向かって、レイゼンは声をかけた。ギルには聞こえなかったが、なにがしかやり取りがあったと見えて、一瞬だけ複数の人の気配を感じ取った後……すぐに二人だけが残された。相変わらずさりげなく凄いよな、と妙な感心をしてしまった。
「一応、無事で何よりです」
「まあ、俺もいらない怪我はしたくないからな」
「副団長のサイエ様が出向いたからですよ。これが姉に心酔する平騎士だったら、小競り合いは必至でした」
「そりゃすげえ。是非とも顔を拝みたかったな、その副団長」
同じ騎士団にいるにもかかわらず、決して会うことのない人間だ。何よりもまず好奇心が先に立った。声を弾ませると、レイゼンがちょっと考え込む。
「……止めといた方がいいんじゃないですかね。サイエ様の顔が見れるのは、あの方が負けた時だけですから」
「つまり、俺が負ける、と?」
「いいえ。勝った暁には、サイエ様に敵認定されて、この件に関しての暴挙を止める人がいなくなります。すごく面倒くさいんで、出来れば自重してください」
つまりレイゼンの目算ではそのサイエよりもギル・イーハンがやや有利、となるのだ。それは朗報だが、今この時期にあえてさらに厄介ごとを抱え込むことはない。忠告通り、好奇心は抑えることにした。
「ていうか、お前はそいつと知り合いなのか? 面を拝んだのか?」
「……姉がお世話になっている人なので、本邸にもいらっしゃいましたから」
微妙な言い回しだ。断言を避けたのがなぜなのか、非常に気になるが……そこも一応、突っ込みは控えることにした。さて、と話題を変えてみる。
「ところで、お前のところの上司もずいぶんえらい目になっているな」
「まあ、そうですね。表立ってなにもないですが、あちこちから凄い騒がれてます」
大して困った様子もなく、レイゼンが現状をさらっと告げる。ここにいたのがミケーアだったなら、「反応薄っ」と叫ぶに違いなかった。ついでに、「あんたホントにわかってる?」と念押しまでされただろう。
その話は、レイゼンがハルフォンド家の第四子であること以上の衝撃を、宮廷中に与えた。
曰く、先代王には、隠し子がいた。
曰く、それは文官のアルフレート・ローウェンである。
そんな馬鹿な、と一笑に付す者が多い中で、もし事実ならば、とこそこそ動き出す人間もいる。どんな意図で、どんな目的を持って流れた噂か誰もが見当もつかない。
レイゼンの話の場合は、あえて広めなかっただけで、特に秘密でもなんでもなかった。
だが、今回の場合はあまりにも状況が違う。
前王に非公式な御子がいたとなれば、それは王家の大きな瑕疵になる。
現王に兄がいたとなれば、それはそのまま権力争いにつながる。
ようやく落ち着きを見せてきた政界を、根こそぎひっくり返しかねない情報だった。
「上司って、二十代だっけか。俺と同じくらいだよな? その頃は丁度、戦争吹っ掛けられて負けそうになってた頃だっけか? 流石に俺も赤ん坊じゃ記憶もなにもないが……ありえるのか?」
「さあ……アルフ様は特に否定も肯定もしません。うっとうしがるだけで」
「……それでいいのか?」
「なにをしても無駄だ、とおっしゃいました」
確かに、どんなに言葉を尽くそうが、話が話だけに言い訳にしか聞こえないだろう。ギル・イーハンがやや考え込む素振りをした。言うべきか、迷うように間を置いてから……レイゼンの腕を引いて建物の一角に連れて行った。周囲には、人の気配がない。
「お前、『掛け違えの鎖』って言葉、きいたことあるか?」
ひそめた声音に、レイゼンが上目遣いにギルをうかがった。
「それって、宰相様のところで仕入れたんですか?」
「人聞きの悪い言い方するな……まあ、確かに立ち聞きすることになったんだが」
「……」
黙ったまま、レイゼンは目で訴えた。的確に、ギル・イーハンには伝わった。
「そう非難すんなって……ヤバいと思ったからお前の意見も聞いてみたくなったんだよ」
「……そうやって、こっちが巻き込まれるのを宰相様は予想した気もしますけど」
「頭良すぎて時々馬鹿じゃないかと思える兄の思惑なんざ知らん……が、最悪の事態になれば俺はかり出される可能性があるからな。言葉一つだが、重要だと勘が叫ぶんだ。とりあえずお前は中立だろ? なんかピンと来ないか?」
「また無茶振りですね……」
レイゼンの呆れたような声に、ギル・イーハンが堪えた様子はない。名の知れた武人が、平凡以下の文官になぜ意見を求めるのか、と普通なら考えるだろうが、相手はレイゼンだ。ギル・イーハンの中では最も無条件に最善に近い身の振り方を叩き出すのでは、と予想していた。
大して間を置くこともなく、レイゼンがやや目線を下げながら口を開いた。
「まあ、この時期に勘に引っかかるようなまずい話、なら、当然前王の子ども絡みですね」
二十六年前は丁度侵攻してきた隣国のアルジアナに、クレイス王国は屈服寸前だった。もし王子が生まれたとなれば人質同然に差し出す羽目になったのは、想像に難くない。
「それを避けるために子供を隠した、という理由が、今の段階では推測できます」
「王家が隠し子をする動機があった、てことか……」
「ついでにいうと、人質を差し出したら、王子の犠牲なしに戦争に勝機はありません。第一子、ということもあり、男だったなら余計に隠したかったんじゃないですか」
「確か戦争自体には、結局お前ん所の父親が奇襲攻撃を成功させて、状況を一変させたんだったな」
「そっちは短期決戦で終わっても、結局すぐに、今度はタジールとの戦争になりましたからね」
タジールは常にクレイス王国を狙っていた。停戦、休戦を繰り返し、十年近く小競り合いを続けると、相手の方が経済的に破綻し、国家は解体した。それから、十五年以上の年月がたっている。現在は小国ともいえない規模の領地をもつ元貴族たちが、己の国を統一しようと今も戦い続けていた。
現王の誕生は、長きにわたる戦争がクレイス王国に有利に傾いた時に響き渡った、国中を沸かせた朗報だった。その知らせによって、当然兵士や国民の士気と意欲が上がり、さらに戦いに勝ち続けたのだ。
その後三年で、国には平和が訪れた。
「つまり、戦争終結のために政治判断で第一子誕生がもたらされた、と?」
「まあ、そうですね。要するに……今回の噂はある意味、妙な信憑性があるんです」
子供は、誕生した瞬間が最も喜ばしい知らせになる。すでに大きく育った王子のお披露目、では国民の士気は上がりきらない。だからこそ、新しい命が生まれたことだけが、公式な事態として残った。生誕を隠された子供は、結局誰にも知られぬまま、王家とは関わりなく生かされることが決められた。
そう、筋道が立つ――立ってしまうのだ。
だからこそ、この際真偽はさほど問われない。問題なのは……対立になるか、否か。そしてそれに巻き込まれるかどうか、である。
いつもとそう変わらない表情で、レイゼンは淡々と……途方もないことを告げる。
「ギル様、ぶっちゃけると、『掛け違えの鎖』の意味は、そう難しくはないんです」
「は?」
「だって……含まれた意図の中に「子供」が入るなら……掛け違え、はあるべきところに収まっていない、という状況です。いるべき場所にいない子供……当然、親元にいない、と推察できるでしょう?」
「……」
「生まれたばかりの赤子は一人じゃ生きられない。けれど王宮の中には、当然いられません。ならば、地方貴族、それも信用ある古くから続く血筋の一家に預けられた、なんてちょっと頭を使えばすぐにわかります……それがローウェン家だったとしても、誰も意外には思わないでしょうね」
唖然としたまま、ギル・イーハンはレイゼンの言葉をただ聞いていた。呆気なくわかってしまった意味が、予想以上に、重い。
「宰相様にはお考えがあってギル様にお知らせしたと思いますけど……迂闊に動くと泥沼って認識しといた方がいいと思いますよ?」
敵味方もはっきりしませんし、とレイゼンが言い添える。あー、とギルは天を仰いだ。
「一応敵らしい貴族はいるっちゃいるみたいなんだが……まあ、そうだよな。伏兵もいそうだよな」
「むしろ、警戒していらっしゃるのはそっちではないですか? となると、伏兵というよりは黒幕って感じですけど」
「うっげややこしいな。ったく」
どこのならず者かという悪態をついて、ギルが顔をしかめた。それからふと、気になってレイゼンを見下ろした。
「てか、そうするとお前はどうするんだよ?」
「別に、私はアルフ様の部下ですから、いつも通り、書類の配送が仕事です」
「つまり、なにもしないってことか」
「その必要がありませんし。まあ……先日みたいな事件が起きた場合は、対処しますけど」
「一番賢いかもな、その選択」
「……そうもいかないかもしれませんが」
いきなり言葉をひるがえしたレイゼンに、ん、とギル・イーハンは首をかしげた。レイゼンはギルから視線を外し、あらぬ方を見ていたのだが……そちらから、見覚えのある人影が走ってきていた。
いつぞや荒れ屋敷で行動を共にした一兵卒の、ラビだ。
「レ、レイゼン……さん!」
明らかに血相変えて走ってきた、という様子のラビは、ようやく見つけた~と情けない声を出しながらレイゼンの腕を取った。
「す、すぐに……戻ってきてください! 大変なんですよ!」
「落ち着いていいよ、ラビ。なにが大変なの?」
「落ち着くなんてとんでもないですっ。だって、あの……」
興奮で気持ちばかりが先走り、なかなか結論が出てこない。すうはあと深呼吸を繰り返してから、ようやくラビは大声で叫んだ。
「アルフレート様が、さらわれてしまったんです!」




