舞台が動く前
扉を開けた途端、目の前でクルリ、と人間が宙返りした。一瞬部屋を間違えたかと思ったが、ひっくり返っているのがラビで、転がしたのがレイゼンだと知れてアルフレートはため息を吐く。
身を起こしながらすごいですね、とラビが感心する。
「僕、レイゼンさんには一太刀も触れられない気がします。今のどうやったんですか?」
「相手の動きに合わせて手首をひねっただけ。難しくない」
「そうかな。でも、ちゃんと習ってないのにできるのはすごいけど、やっぱり損してますよレイゼンさん」
ずいぶんと懐かれている。相手の方が年上だが。確かまだレイゼンは十八で、ラビは二十歳になったと誰かが言っていた。言外に一緒に仕事しようと誘われているのに、気づいているのかいないのか。うーん、とあいまいに返答したきり、レイゼンは黙った。
「バカなことやっていないで、言いつけた仕事は終わっているんでしょうね?」
「はい」
「ラビも遊んでいないで、そろそろ持ち場に戻りなさい」
「遊んでいるわけでは……僕は休憩時間ですよ」
「遊んでいるのでしょう、レイゼン」
そうっと目をそらしたのが答えだ。真面目に相手などしていない。大体、床に転がされて普通に起き上った時点でおかしいと思うべきだ。
ショックを受けた顔で、ラビがレイゼンを見た。
「ちゃんとお相手してくれたんじゃないんですか」
「動きは同じ。たたき付けてないだけで」
「こんなところで訓練されても困ります」
二人掛かりでへこまされ、ラビががっくり肩を落とす。
「やっぱりギル様ぐらいのレベルじゃないと、レイゼンさんの相手役は務まらないんですね」
悲しげな声のラビ。だが内容が内容だけに、レイゼンが不思議そうに覗き込む。
「ギル様?」
「なぜそこでギル・イーハン?」
口をそろえて疑問符浮かべた上司と部下に、あれっと今度はラビが目を瞬いた。
「え、だって、告白されたんじゃないんですか?」
「……」
「……」
間。長い間があって、躊躇いがちにレイゼンが聞き返す。アルフレートとしてはあまり聞きたくなかったが。
「なにそれ?」
「だって、きいてた人がいるみたいだから」
さらに訳が分からない。
「なにを?」
「だって、俺んところに来いって言われたんでしょう」
そこでようやく、レイゼンは思い当たった。すっかり忘れていたが、そんなこともあった気がする。
「ええ、まあ。第二騎士団に、誘われました」
「それって、求婚されたってことじゃないんですか」
ぱかっと開いた口がふさがらない。
「理解不能です」
「右に同じく」
はじめて、初めてレイゼンとアルフレートの意見がそろった。仕事を共にして一年とひと月。同意見になった内容がこれ。追従したレイゼンを、アルフレートはやや睨む。
「ええっ。言われた本人がなに言ってんですか!」
そんなことを責められても、あれはどう考えてもお仕事のお誘いであって、甘い恋人の雰囲気などは欠片もなかった。あったとしても、レイゼンは分からなかったかもしれないが。
「レイゼン。どうなっているのです」
「いやー。でも、俺ん所っていうのは第二騎士団のことだとばかり……っていうか、それで話が通っていたので、間違いないと思うんですケド」
「そうなんですかっ」
今度驚いたのはラビだった。その反応から、アルフレートは嫌な予感がした。
「ラビ。それはすでにかなり噂になっていたりするのですか?」
「ええまあ。女性軍人なら今一番のネタみたいですけど」
「こちらは初耳です」
「……」
まあ、あまり女性に縁のない場所ではあるが。
ちら、とアルフレートはレイゼンに目をやった。いつもと変わらぬ無表情、のようでいて、やぱい、と告げている。珍しく狼狽えているレイゼンを上司は見逃さなかった。
「あの、ちなみにギル様って今日はどこに?」
会話をしながら手際よく机の上に茶器を置き準備しながらラビが思い出したように告げた。
「そういえば、ご出仕したのは知ってますけど、お姿を見てないですね……」
さりげない不穏な台詞。言った本人は全く自覚していないが。レイゼンがこめかみを軽くかきながらアルフレートを振り返る。
「ちょっと出てきます」
「そうなさい」
どんな心当たりがあるのか、レイゼンは迷いない足取りで出ていった。と、思ったら、扉から顔を出す。
「ラビ」
「はい」
「それ、飲まない方がいいよ。変な匂いがするから」
「?」
きょとん、と首をかしげる。これは先日のお礼もかねてラビが自分が用意したものだ。それとも古い物だという指摘だろうか。
「たぶん、中身がすり替えられてる。薬みたいなのが入れられてると思うから、耐性がないなら飲んだらダメ」
「……」
理解するのに時間がかかった。薬、みたいなもの。耐性が必要。さあっと背筋が寒くなる。
「そ、そそそれは毒です!」
「そうともいうかな。だから、飲まないで」
「なに平然としてるんですかっ。危うく僕が一服盛るところだったんですよ」
「別にラビのせいじゃないけど。大丈夫」
「どこがですか」
「私は飲んでも死なないから」
「だめですよっ。僕とアルフレート様は死んじゃいます」
涙目のラビに、何の慰めにもなっていないレイゼンの態度。混乱の極みの中で、ラビは茶器丸ごとゴミ箱に投げ入れた。捨てた後に、これは備品だったことに気付いたけれどもう遅い。器は粉々になってしまった。
「まずい……弁償だ」
「踏んだり蹴ったりですね、あなた」
とどめをアルフレートに刺されて、ラビはがっくりと膝をついた。
レイゼンの相手は、やっぱり僕には無理だな、と確信した瞬間だった。




