荒れ屋敷にて
木箱はさほど重さのあるものではなかった。だがつなぎ目や蓋の金具が見当たらず、一見して中になにか入れられるとは思えない。だがゆっくりと指先を滑らせると、かすかに引っ掛かりを感じる。感覚を頼りに一通り撫でて、おもむろにアルフレートは一点に爪を立てた。
かちゃん、とかすかな音がして、持ち上がる。小さな木片が外れ、あとはまるで手順を知っていたかのようにするすると木枠を動かし、引出しを取り出した。中には古びた封筒が、開封された状態で十通近く残されていた。封蝋は、見覚えのあるもの。
手紙をそっと取り出す。年月のために風化しているせいか、もろい手触りが集中しろと叫ぶ。これをアルフレートの手で壊しては、今までの苦労が水の泡だ。
宛名は、ジル・ローウェン。末尾の署名はない。単語だけを拾うように最後まで目を通し、その内容にため息をつ――
「なに、それ?」
「なんっ!?」
唐突に声をかけられて、アルフレートは振り返った。木箱と手紙を背中に回す。人の気配など、全く感じなかった。無人だと思ったからこそ、手紙を開いて確認したのだ。驚いて取り落とすかと思ったが、さすがにそれは自分の理性が許さなかったようだ。握りしめないように指先に注意を向けつつ、声をかけた馬鹿者を睨みつける。いや、声をかけられずとも、既にアルフレートの中では「バカ」と認定された人間がそこにいた――二人も。
「どっから湧いて出やがりましたかこのレイゼンバカ達は」
「ひでえな。普通に馬で追いかけてきたんじゃねえか」
「後ろを取られて気付かなかったのを、こちらのせいにされても困りますよ」
「私の後ろを取れなかったら、それはそちらの恥でしょうが」
どう考えてもアルフレートが気付けるはずもない。こっちは文官であっちは武官である。それでも後悔が押し寄せた。手元の作業に集中しすぎた面が否定できない。じっと反応をうかがう。どこまで見られたのだろうか。相手を味方と信用できるほど、接点のある人間ではない。
飄々とした感情の見えないギル・イーハン。常に穏やかな雰囲気をまとうカイル・ハルフォンド。年は、そう、確か同じだったはずだ。経歴で差があるわけではないが、今はアルフレートの分が悪い。無駄と知りつつ、眦がきつく上がった。
そんなアルフレートに、一歩ギル・イーハンが近づく。いつもと変わりなさそうな表情の中で、その双眸だけが鋭い。
「なーんか、ヤバい単語が見えなよな? 王、とか御子とか。あと、託すってなにさ? それにローウェンってアンタの名字だろ? なんでこんなところに実家宛の手紙があるんだ――ってことは聞きたくないから安心しろ」
「は?」
ひらひらと手を振りながら、ギル・イーハンはあっさりと問い詰める姿勢を解いた。呆気にとられたのはついつい警戒心から飲まれたアルフレートだけで、カイルは横で苦笑していた。
「そちらの仕事に、余計な首を突っ込んだりはしない。邪魔することになるからな」
「口を挟めるかどうかを見分ける分別はありますよ。ここに来たのは別件……ではないですが、少々気になったことがあったので追いかけたんです」
「気付いたのは俺だけどな」
「担当部署は私のところです」
そのまま無用な言い争いに発展しそうになったところで、ピタリと二人が口を閉じた。短い間に自力で制御する弁えが付いたのかと思ったが……違うようだった。
今までのどこなくゆるい空気はない。ピリピリとした緊張感が二人から漂っていた。
「ところで、先ほどの別件なんですが」
「ええ。どんな問題が?」
「付き添った兵士の数が、一人多かったようでして」
端的な言葉に、アルフレートはすい、と冷たく醒めた心地がした。冷静になったのとも少し違う。言うなれば、覚悟ができた、に近い。肚が据わった、でもいい。
兵士が多い。つまり、命令系統外の人間がいた。それはいわば、間者や密告者。敵の手駒だ。十人以上の兵士たちを、きっちり見ていたギル・イーハンには驚いた。
手早く手紙と木箱を元に戻す。これを持って訊きに行きたいことが山とある。失くすわけにはいかない。
「アンタはとにかく馬車に戻れ。援護も御者も全部引き受ける。一歩も止まるなよ」
「わかっています」
武官二人の手が剣の柄にかかった、瞬間、窓や扉から、武器を持った男たちがなだれ込んできた。迷わず、アルフレートが出口に向かって走る。
耳をふさぎたくなる音がする。乱闘の音、人の倒れる音、剣の風切り音。だがアルフレートを脅かすほど近くに来る敵は皆無だ。すぐに廊下に出て、元来た道を戻る。あちこちで、護衛の兵士たちと、同じようにヘルムをかぶった伏兵たちが戦っていた。
「アルフレート様っ」
「ラビ!」
急に腕を引かれた。だがそれは正しかった。壁だと思っていた一部分が開き、そこからひときわ屈強な男が出てきた。振り上げた剣も、その体に見合うように幅広で、長い刀身には反りがあった。一撃を、ラビが両手でなんとか凌いだ。だが重量のある一振りに、剣を取り落す。
ガラン、と無情な音が響いた。次の攻撃を防ぐ手段がない。
ギル・イーハンの声がした。アルフレートは動けなかった。まるで時間を引き延ばしたかのように男が間合いを詰めて、剣がラビに向かって突き出される――時が止まった気がした。
ものすごい音とともにいきなり男が顔面から倒れた。
バダン、だったか、グジャン、だったか、床に頭と鼻っ柱を容赦なく叩き付けられて、男は完全に伸びていた。何が起こったのかとアルフレートが見まわし……男の向こうに、布を担いだような姿勢のレイゼンがいることに気付いた。足元をよく見ると、その布は敵だった男の足元までつながっている。
タイミングを計って布を引くことにより足元をすくった。らしい。
ラビはまだ呆然としている。その横をすり抜け、レイゼンはアルフレートの前に立った。
「どこで何をしていたのです?」
「すみません。少々手間取りました」
なにに、とは質問する必要もなかった。レイゼンがいた場所の向こうには、倒れた人間が廊下をふさいでいる。どうやったか、は聞かない方が、精神衛生上は無難だ。
レイゼンとラビに両脇を固められたまま、アルフレートがしばらく待機していると、ようやく物音などが落ち着いた。敵が何人いるかは分からないが、大方は取り押さえられたのだろう。ギルやカイルに目配せをすると、了解の意で頷かれたため、一足先に外に向かった。レイゼンが、やや後ろを警戒しながらついて来る。
明るい日差しが、やや傾き始めている。またしても騒動になってしまったことに、やや辟易しながら馬車に近づくと、御者が扉を開けた。乗り込もうと段差に足をかけたところで――
突き飛ばされた。
さらに腕を取られて地面に投げ出された。訳が分からないまま、土ぼこりが舞ってアルフレートは激しくせき込んだ。
ようやく立ち上がった時には、馬車は跡形もない。代わりに、誰かの怒声が聞こえたあとに、馬のいななきが響いた。駆け足で侯爵邸を出ていく。
「申し訳ありません、アルフ様」
「な、にが……」
土を払いながら、レイゼンが神妙な顔つきで謝罪する。かばわれたのはすぐに察した。彼女は敵に身をさらしてアルフレートを守った。まったく、守られてばかりなのは、ここ最近の常だ。
だが、その意味はすぐに判明した。
アルフレートの手は、空っぽだった。
あれほどの騒動の中でも手放さなかった木箱は、どこにも見当たらない。
先ほどの怒声が示したことが、アルフレートの中で形になっていく。
無駄骨、徒労、骨折り損。……そして、失態。
つける悪態もないほど、アルフレートを頭痛が襲った。




