城外活動
今日だけで信じられないものを一生分は見た、と一兵士であるラビは馬車に揺られながら数える。
一つ。機嫌と愛想よく小さな女性文官に話しかける、ギル・イーハン様。
自分が案内した文官二人のために用意された馬車に、出立前にちゃっかり乗り込んでいた。そして顔見知りらしいレイゼン殿に、あれこれと取り留めもない話を持ちかける。
二つ。第一騎士団隊長と最強の武人の攻防。
文官二人が乗り込んでそろそろ出立、と思ったときには反対側の扉が開いて、いきなり乗り込んできた。その後は無言の攻防。二人とも笑っているのに猛烈な吹雪にさらされた気分になった。
『出てけ』
『黙れ』
と声がなくてもダダ漏れのやり取り。どっちがどっちかはご想像にお任せ。
三つ。戦いを制した文官。
馬車が動き出した瞬間だった。最初から怒りがびりびり伝わってきて、実はいっちばん恐ろしかったアルフレート様。立ち上がって容赦なく睨み合っていたお二方を蹴りだした。文官とは思えない、お見事な一撃だった。
「帰れ」
お声は地獄の使者のようでした。当然そのまま馬車は走り出し、お二人は取り残される。その間、レイゼン殿は何事もなかったかのように外を向いたまま。
誰が一番すごいかな、とラビは考えて、決めようがないことに思い至った。平凡すぎる自分は確実に及ばないことは確かだ。目的地に着くまで、馬車の中は静まり返っていた。御者台のラビは時折様子をうかがったが、文官二人は会話らしい会話もしなかった。朝に出て、昼前に着いた屋敷がどこなのか、知らされていなかった。ようやく紋章の入った鉄扉を見て、アイサル侯爵の私邸だと察した。もちろん事件は知っている。ただ、なぜわざわざアルフレートほどの高官が出張しなければならないのかが分からない。今回の兵士たちは、ほとんどが彼の護衛の目的で付き従っていた。
補佐官らしいレイゼンに何しに来たのかと訊いても、要領の得ない答えしかない。そんなんでいいのか、と確認したが、
「無駄なことは、嫌いな人なんで」
信用しているのか、貶しているのか、理解しているのかしてないのか、イマイチよくわからない。
屋敷の中は荒れ放題だった。盗賊でも入ったのか、それとも横領の証拠を消そうとしたのか。足の踏み場もないうえに、碌な明かりもなくて薄暗い。あれこれと検分しながら進んで、手元の資料にアルフレートは書き込んでいく。彼が周囲を気にするなんてことはあり得ない。ラビは不安になった。
後ろにつき従って行こうとするレイゼンを引き留めて、己の短剣を差し出す。変な顔をして、剣とラビを交互にレイゼンが見比べた。
「あの、万が一ということもありますから、持って行ってください」
一応、ラビもレイゼンのうわさは聞いていた。真偽はともかく、少なくともハルフォンドの方なら扱いに不自由しないと踏んだのだが。
「はあ。いりません」
「え、でも……」
「武器を持つのは、私の仕事じゃないんで」
明確な意思は拒絶ではない。そもそも分を超えるのだと、ラビの方が諭された。驚きに、やや目を開く。
何も考えていないようで、のんびり気ままなだけかと思っていたが、レイゼンの中にははっきりとした区切りが存在するのだ。この少女もまた、聡く賢いのだとラビは感じた……ほんの一瞬は。
ふらっとアルフレートを追いかける頼りない背中を見送っていると、なんだか間違いというか、勘違いな気がしたが。
困ったなと思いつつ、配置確認の点呼をしに、ラビは屋敷の周回を始めた。
***
『確認して来い』
そう指示された以上、アフルレートは表面上の仕事もおろそかにしない。イオネアがアホな指令書を寄越したのは、もちろん冗談でも悪ふざけでもない。まるで本当にふざけているようだが、違うのだ。
アイサル侯爵が横領の金を使い込んだ調度品や貴金属、服飾品の数々。それらは主を失って荒んだ屋敷の中で、まるでごみのように打ち捨てられている。凝った彫刻の施された手職、中途半端に引き出されて、中がひっくり返された美しい飾り棚。シャンデリアはアルフレートの見たところ、名の知れた職人の業物だが、無残に割れて、鎖が千切れて傾いている。逃げるために荷造りしたのか、縄や大判の布が広げられているかと思えば、自暴自棄になって破壊されたらしい調度品もある。
いずれにせよ、これらはアイサル侯爵が、何者かから横領が明るみに出たことを知らされたために、慌てて何らかの手を取ろうとしたのがうかがわれる。それがあのカルデナリア伯爵なのか、それとも別の人間なのかはわからない。だが警告は、間に合わなかった。そしておそらく、その警告者こそが、イオネアが手ぐすね引いて捕えようとしている人物だ。
何をしでかそうとしているのかが分からない分、腹立たしいが味方であるはずのアフルレートすら、イオネルの出方を待つしかない。
書類と残されたものを照合しながら、アルフレートは一つ目の確認が終わったと認識する。あの主語のない指令書が下した命令は、アルフレートの悟った限りでは三つあった。そのひとつ目が、アイサル侯爵に密告した人間がいる気配を確かめること。
二つ目に、その証拠を見つけなければならない。手紙、人間、物、金。とにかくつながりを示す証が必要だ。あるからこそ、イオネアは確認しろと指示したのだから。
そして、三つ目には――
がたん、と音がした。ふと顔を上げると、広い寝室に来ていた。天蓋のあるベッド、その横にあるゆったりとしたビロードの布が張られた豪奢な椅子。どれも見事だが、やはり埃をかぶって煤けている。どこかで誰か足を踏み外したのかと思ったが、周りには誰もいなかった。
目についた、椅子の脇にひっそりとあったナイトテーブルの最上段。近寄ってそっと開けると、両手に乗る大きさの木箱が仕舞われていた。一見、ただの文箱のようにだったが……
やっと見つけた、とアルフレートは嘆息した。目録には、家具や宝石の名に紛れて書き込まれていた。アルフレート自身が作成したそれに、書き足されていたもの。
三つ目の「確認」。それは、もっとも確かめなければならないもの。
そして、「掛け違えの鎖」につながる鍵。
仕掛け木箱、だった。




