対面(面談②)
そろそろ今日という一日が終わりかけた夕方。例によって配送の仕事を終え、あとはアルフレートに挨拶をして、帰宅するだけ。空手のレイゼンは、いつも通り、ひたすらまっすぐ進むために道ならぬ道を走っていた。景色や人はすぐに後ろになってしまうほどの速度。何度か見知った顔がちょっと驚いたようにレイゼンに視線を向けることもある。二階の窓から戻るため、最も手近な木の枝に手を伸ばして飛びついた、その一瞬で腰を浚われた。
がっちりとレイゼンを捕縛した、たくましい腕。まるで荷物のように小脇に抱えられて、何事かと腕の主を見上げた。もちろん、こんなことができる人間は限られる。兄や姉、あとは父とその知人。よく無断で出かけようと窓を乗り越えた経験があるレイゼンは、とっつかまるのにも慣れていた。だが今回は、そのどの人物でもなかった。
「ちょっと付き合え、チビ」
隊服を着崩して、不機嫌なのか無愛想なのか、窺えない顔つきのギル・イーハンがそこにいた。この状況では選択の余地がない気がしたが、一応反論してみる。
「まだ勤務中なんですが」
「気にするな。さっき鐘が鳴った」
「帰宅するまでがお仕事です……」
「お前の上司は今頃緊急会議に出てる。戻っても誰もいないぞ」
無駄と知リつつ抵抗したが、アルフレートの不在までギルが織り込んでいるとは思っていなかった。諦めて大人しくなったレイゼンを、ギルが木の根元におろす。自身はそのちょうど反対側に腰を下ろした。幹を挟んで背中合わせ。顔は、見えない。
「単刀直入に言うぞ。おまえ、俺んところに来い」
「はあ……第二騎士団ですか」
すっぱりと命令されているのに、反発するよりも先に首をかしげたくなった。ちょっと目をつぶって考え込んだレイゼンの鼻を、覚えのある香りがくすぐった。
「父に何か言われましたか?」
「――っ」
ギルは息をのんだ。驚きもあったが、それよりも強く確信したせいだ。
「なんでわかった?」
「変わった葉巻を吸う人なんですよ」
珍しい香りは分かりやすいんですと、なんでもないように告げられる。ギルには分からない残り香から、ピタリと言い当てたことでバストラスとの会話が自然と引き出される。レイゼンについて、驚くほど多くのことを彼はギルに話した。
彼の推察によれば、レイゼンの才の多くが、その鋭敏な感覚と身体能力からきているらしい。視覚、聴覚はもちろん、五感すべてが他者よりも鋭い。そしてそれらをつなぎ合わせることにより、第六感的なものの見方を可能にしているという。
『あれの見ている世界は、おそらく私たちとは全く違う』
バストラスはそう評した。
「その話は後でいい。とにかく質問に答えろ」
「はあ……特に必要性を感じないので、お断りします」
「必要性、ね。だったら、今のお前はあの男のところにいる必要性とやらがあんのか?」
とがった質問に、レイゼンは肩をすくめた。過去一年、あの場所で事務仕事をやってきた上での答えは、否だ。つい昨日までは。
「少なくとも、『今』はそうですね」
「……」
物騒な騒ぎの続くここ最近に、ギルも思うところがあったらしい。無言の肯定が帰ってきた。だが諦めたわけではなかった。
「だったら、この一件が片付いたら、動くのか?」
「先ほども言いました。必要性を感じない、と」
「それが留まる理由か? 不要とされたら出ていくのかよ」
「いらなくなったら、配置換えになりますよ」
淡々と話すレイゼンとは対照的に、ギルの言葉には苛立ちが混じる。声だけでなく、指先が地面をたたいているのが振動とわずかな音でレイゼンに伝わった。
「だったら俺のところに来い。お前は間違いなく、必要だよ」
真剣な声音が、すぐ近くで聞こえた。顔を上げると、手をついて身を乗り出したギル・イーハンの眼差しが射抜くように向けられていた。
「それはクビになったら、の話でしょう? それに、私の言っている『必要性』は私自身にとっての話で、アルフ様の意思はあまり関係ありません」
レイゼンに言外にあなたも、という含みを向けられた。だがここで引くわけにはいかない。一歩踏み込む時だ。
「だったら、あの場所がお前にとって必要性があるのか? それはなぜだ」
淡々と続けていたレイゼンの言葉が、そこで途切れた。
「好きなのか?」
なにを、とは訊かれない。だが主語を付けられたとしても、重ねて問われたところで、その答えはない。
「……よく、分かりません」
それがレイゼンの答えだった。冷静にはじき出した、答え。その、心底不思議そうな顔に、またしてもギルはバストラスが正しかったことを知る。
生まれついてもたらされた、天才と称されるだけの稀有な才能。しかし、鋭すぎる感覚が膨大な情報をもたらすため、レイゼンは無意識だけでなく、意識的に情報を「捨てて」いるとも告げた。
その中で真っ先に捨てられているのは、感情。
もっとも制御しづらく、かつ情報に左右されやすい。そして、収まりがつかなければ生活や職務を妨げるだけでなく、レイゼン自身を傷つける。
そんな馬鹿な、と思った。感情を意識して捨てることができるなら、人間は苦しみから解放され、それこそ楽土に生きた神話の「人」となれる。
そう一笑に付そうとしたギルを、あの底知れない笑みでバストラスの方が笑い飛ばした。
出来るからこその、天才だ、と。
そいつは本当に人間か、と叫びたくなった。そして叫ぶ代わりに、レイゼンと真正面から向き合うことにしたのだ。面と向かうことができなかったのは、声を上げる衝動が抑えきる自信に欠けたためだ。
けれど、話していればわかる。
レイゼンが、ただ、と続けた。
「向いていると分かりきっていることをやっても、詰まらないですし」
そう呟いたのが、妙に笑いを誘った。怖くない。恐ろしくもない。ただの、本当にただの少女だ。やや淡白で、感情ががないように見えて、とんでもない素質を持っているけれど、レイゼンは人間だ。赴くままに自由に生きている姿が、少しまぶしいけれど。
力を抜いて、その隣に座り込んだギルを、怪訝な顔でレイゼンが見上げる。
「ところで、どうして会議を知っていたんです?」
ずいぶんと前に戻った。きっと気になったことは忘れないたちなのだろう。
「報告しに行ったんだよ」
「? 誰になにをですか」
「宰相」
そんな気軽に会える身分だっただろうか。対面するのは、一握りの高官だけで、普通はその前で止められる。護衛も普通ならもっと付けて、厳重な警備がされているはずだ。さっき会ったときは、人払いの最中だったからレイゼンでさえも挨拶できたのだ。
怪訝な表情から何を読んだのか、ふっとギル・イーハンが笑った。
「一応、身内だからな。事情を知っている奴なら、顔で通してもらえる」
「身内?」
「出来の良すぎる兄なんだよ、あの人は」
そいつがこぼしたと言う目の前の浅黒い顔をじっと見上げた。昼ごろに会った細面とは、似ても似つかない。眼鏡をかけていたせいか、同じ文官であるせいか、アルフレートの方がよほど兄弟と言っても通じそうなほどだ。頭の中で、貴族年鑑を引っ張り出す。確かに弟がいたが、名前は全く違ったはずだ。
「あの、宰相様の家にはどこにもギルなんて人、いないですよね……」
「お前もしかして、全部覚えてんのか?」
やや引きつった顔で質問されたが、レイゼンは首をかしげた。別に変なことを言ったつもりはない。
「何をですか」
「貴族の名前」
「主要な方だけですよ」
主要、とはいえ、表立った功績のない宰相の弟まで覚えている時点で、範囲の広さは推して知るべしだ。頭も悪くないらしい
「言えるか?」
「はい?」
「弟の名前を、言えるかって聞いてんだよ」
沈黙が示したのは、拒絶だった。だが、否定ではない。いいたくない、という雰囲気は、言うことができる、と白状している。
「言ってみろ。覚えてるんだろ?」
「長いのは嫌いなんですよ」
口にするのは、と、心底嫌そうな口ぶりで言われて、苦笑する。確かに、己の名前でありながら、ギル・イーハンも長いと思ったことがある。それも、かなりの回数で。
「言えよ。じゃないと、貴族も知らないバカと認定するぞ。俺から何か聞くたびに、誰かの個人情報を長々と説明されたいか?」
なにが気に障ったのか、ため息をつきながら、しぶしぶとレイゼンが小さく口を開いた。だがそこからしばらく声が出てこない。
「イーノス・エルヴィア・グレイデン」
聞こえる最低限の声で発された、ギル自身の本名。仰々しすぎて、全く親近感がない。己の名であるにもかかわらず、だ。
「長い他人の名前ほど、煩わしいものはありません」
「まったくだ」
宰相家との関わりをあえて示す気にもならず、あだ名のようにやや本名をもじってつけた名前が、思いのほか売れてしまった。今ではだれも、ギルが宰相の弟だとは知らない。身内と、王家の人間、そして一握りの武官と文官のトップだけが知っている。レイゼンに話したところで、この少女は広めたりしないはずだ。
「威厳が必要だと言われたけどな」
「いらないんですか?」
「見りゃ分かんだろ。俺は王の側仕えなんてがらじゃない。どうトチ狂ったが、文官一家に紛れ込んだ武闘派なんだよ」
あきらめに似た苦笑が浮かぶ。己もまた、異分子だ。本当に、よく似ている気がした。立場も、その感性も。
空が夕暮れ色になってきた。太陽がまぶしくなり目を細める。同じように夕日を見ていたレイゼンが、ふとギルに視線を戻した。
「さっきの話、やっぱりお断りします」
「なんでだ」
「いろいろ覚えなおさなきゃならないし……」
「覚えなおす?」
「ええ。最低限、顔見たら逃げる相手ぐらいは把握しとかないと」
「……」
それはいわゆる勢力図に関係するということを、しばらく考えてから思い至った。
「それに、ハルフォンドの名前って、メンドクサイじゃないですか」
「そうか? 面倒なのは、お前の兄姉のほうだろう」
「否定できませんけど……向けられるものが、面倒くさいです。前ばかり向いていられないというか、振り払うのが、嫌なんで」
期待、不安、蔑み、まとわりつくものが多すぎる。確かにと納得する一方で、心がしきりと問いかける。バストラスの部屋で、怒りに似た熱を帯びた心が、何度も。何度も。
目の前の少女。肩ほどまでの茶色の髪。カイルやマリアンの金髪のような輝きはない。だが夕日に照らされると、あの美しい二人によく似た色合いになる。少しだけ低い位置から光がさして、あまり変わらない表情に陰影を落とした。小さな体に秘められた、無限の可能性。
見てみたいか? 欲しいか?
幾度となく問いかける。答えはおそらく、疾うに出ているはずなのに。
今日、何度目になるか。思い出すと木霊のように聞こえる、あの言葉。幾度となく、己の中で反芻した。
『君がどうしても、というなら、眠れる龍を起こしてみるかい?』
バストラスの低い、ややかすれた問いかけは、まるで悪魔の囁きのようだった。




