密談
昼休憩のためについさっき出て行ったはずが、すぐにまた扉の開く音がした。てっきりレイゼンが間抜けにも忘れ物でも取りに帰ってきたかと顔も上げずにいたのだが、相手はアルフレートの机の前に立った。どんな用事かと書類から目を離して、絶句した。
「部屋に人が入ってきたら、いらっしゃい、と出迎えるものだよアルフレート」
「グレイデン閣下……」
上司の急な訪問に、アルフレートは仕事を中断して立ち上がった。完全実務用の部屋に、応接のための備えなどはないが、それでも予備の椅子ぐらいはある。だがそんなアルフレートを、相手が押しとどめた。
「気にしなくていいよ。ちょっと話をしに来ただけだから」
「しかし……」
「君が忙しいのは、僕が一番よく知っているし。なんたって、それもこれも僕がみーんな君に押し付けた仕事だからね」
一つ一つ指さしながら片目をつぶられて、アルフレートは半眼になった。わざわざ言うところに性格が出ている。自分は上も下も変な人間ばかりに囲まれているとため息をつきたかった。己の性格はとりあえず棚上げで。
イオネア・ヴィータ・グレイデン。
クレイス王国の政務をほぼ一手に担う宰相閣下。三年前の人事刷新の折に若干三十五歳の若さで文官トップの地位に就任した。筆頭貴族であるグレイデン家は、王家とも血のつながりが濃く、唯一の公爵家でもある。この三年の間に圧倒的な実力社会を行政体制に取り入れた切れ者で、アルフレート自身の昇進もその一つである。それまでは下っ端貴族と無能の貴族上司に蔑まれる毎日を、辟易しながら過ごしていたのだが、その首が挿げ替えられ、さらにお鉢がアルフレートに回ってきた。
もちろんその代償というか、ツケのようなものをばっちり取られているのだが。
「君がくれたメモが、私の方に回ってきたからね。その返答をしようと思って」
ふざけているのではない。大げさに言っているのでもない。イオネアは仕事がらみで冗談も嘘も言わない。たとえその口調がまるで嘘や冗談のようであっても。
ちら、と外をうかがう。なんとなく気になったが、当然、人払いをしているだろう。そんなところにぬかりある人間ではない。
「君の質問はこうだ。『犯人は、すでに取り調べを受けていただろう』」
「……」
「そして、私の答えはこうだ。『その通り』」
アルフレートは今度こそため息を漏らした。
「私の仕事が、証拠固めだと言ったのはなんだったんですか? なくとも逮捕できるなら、急がせた意味はなんです?」
「僕は別に逮捕の指示なんて出してない。先走ったやつを止めなかっただけさ。しっぽをつかんで本体逃してくれたら、ちょっと上手いこといくんじゃないかと思っただけで」
金食い虫もろとも、獅子身中の虫までも退治を目論んだらしい。時々ワンマンぶりを発揮してあとから被害を被るのは当然アルフレートだ。勘弁してほしい。そして見事に今回も、とても大きな藪をつついて蛇を出す結果になった。
「捕えられたのはアイサル侯爵。家督譲られたばかりのバカ坊ちゃん、さっそくお家を潰しちゃったね」
「お父上が草葉の陰で泣いておられるでしょうね」
「できた人だったからねえ。ホント、子供だけは上手くいかなかったみたいだ」
しみじみと親交のあった故人を偲ぶ。こんな形で思い出されるとは、さぞ前侯爵は悲しいだろう。
「で、取り調べた方がカルデナリア伯爵。まあ、今は引き離したから、あれこれ違う動きをしだすと思う。こっちのが厄介と言えば厄介だけど……『掛け違えの鎖』をどこまで手に入れたかはわからないな。前侯爵も、手紙を運んだだけで内容は知らないし」
「律儀な方でしたから、中身を見られる心配もなかった……だからこそ大役を負われたのでしたね」
「二十六年も前のことだし、今更蒸し返されたところでいくらでも逃げ道作れるけど、ちょっと時期が悪い」
新体制が発足して三年。その間、裏でも表でも王宮は大きく揺れた。ようやく静まってきたこの時期に、反体制派の旗頭ともいえるカルデナリア伯爵に、余計な情報を握られたのは、面倒である反面、放置することもできない。
だが、それ以上にアルフレートは嫌な予感がした。なにしろ、目の前のイオネアが目を細めて薄い笑みを浮かべている。何やら不穏な気配がびんびんした。
「まさか……仕組んだんじゃないでしょうね?」
「いやだなアルフレート。僕が何を仕組んだっていうんだい?」
胡散臭い。いや、目の前の男は常に胡散臭いのだが。金食い虫を餌にして、身中の虫を一掃しようと網を構えている……ように見えて仕方がない。文句の一つも付けようとしたとき――
バターン、と扉が派手に開いた。否、弾け飛んだ。
蝶番の壊れた元・扉とともに、部屋に倒れ込んできたのはヘルムをかぶった兵士。そしてそれを思い切り踏んづけながら入室したのは……レイゼンだった。
「なっ……」
「うっわすごーい」
声のないアルフレートの横で、イオネアの嬉々とした歓声が上がった。あまりのことに、額を押さえる。状況は理解できる。兵士の手には抜身の剣が握られていたし、レイゼンの制服はやや乱れている。おそらく、カルデナリア伯爵が打った「次の手」だろう。 紛れ込みやすい衛兵姿。強引な手段に失敗したため、路線を切り替えて姑息に盗み聞きをしていたのか。狭い部屋とはいえ、上級官吏の使う部屋だ。扉越しに声が漏れるなどあり得ないのだが。
「レイゼン……なにをしているんですか、あなたは」
分かっていても、つい苦言が口をついて出た。部下の方は、足元の人間とアルフレートを見比べながら、首をかしげている。
「はあ……部屋に入ろうとしただけなんですけどねえ」
話しかけられてパニックになり、剣を抜いたところ反撃されたのだろう。あまりこういうことに向いていた人間ではなかったらしい。
「部屋に入るのに、扉を壊すなんて言語道断です。その上、外部の人が来ているのですよ」
この事態においては、なにやらズレた小言と説教だが、レイゼンは素直にきくことにする。相手が途方もなくえらい人物なのは、さすがに見知っていた。
「失礼いたしました宰相様。レイゼン・パスメル・ハルフォンド、三等書記官を拝命いたしております」
すっと伸びた背筋を折り、胸に手を当てて一礼する姿は、のんびりと一日を過ごすレイゼンとは全く違っていた。凛とした涼やかな声もよく通る。
が、それも足元に兵士が伸びている時点で台無しだ。イオネアは心の中で大爆笑した。表には表情筋を総動員して当たり障りない笑顔を張り付けたが。どっちもすっとぼけた上司と部下だな、とアルフレートに聞こえたら顔面に一撃食らいそうなことを考えた。
騒ぎを聞きつけて、「何事ですかっ」と騎士が飛び込んできた。イオネアが遠ざけた護衛である。白を基調とした近衛の軍服の青年は、中の惨状で目を丸くし、さらになぜかレイゼンを見てピタッと動きを止めた。
「リ……レイゼンさま、じゃない。レイゼン殿……」
「さま……?」
さらに首をかしげたレイゼンが、じいっと騎士を観察する。見覚えはないが、なぜか相手は狼狽えて視線を違う方へ向けた。
「申し訳ありませんイオネア様。お怪我はありませんか」
「ないよ。別に敵さんも、こちらを傷つけてやり合うつもりはなかったんじゃないかな」
「すぐに応援が参ります……」
明らかにしょげ返った若い騎士を、イオネアが笑いながらいいよ、と許す。
「別室待機を命じたのは僕だ。ダメダメな間諜だったし、不幸にも、めちゃくちゃいい頃合いにあの子が帰ってきちゃっから一応問題なし。でもまあ……」
す、と冷たくなった視線に、騎士だけでなくアルフレートも寒気を覚えた。
「次はないよ?」
「は、はいっ」
裏返った声で直立不動になる青年が、やや哀れだった。にんまりした意地悪い顔つきは、明らかに他人の不運を喜んでいる。イオネアとはこういう男だ。
「じゃ、片付けちゃってくれる?」
指示に、はい、と青年がかしこまる。到着した応援部隊に、それでもてきぱきと命じる姿は、やはり彼も優秀である証だった。その騎士が、ふっと気が付いたようにレイゼンへと向き直る。
「リ……レイゼン殿。よろしければ待機室……じゃない、救護室にご案内しますが」
いろいろ言いかけて止まるのはなぜだろうか。だがこの提案にレイゼンは首を振った。無傷だし、派手に吹っ飛んだのは相手の飛びかかってきた勢いもろとも蹴とばしたからで、レイゼンはあまり強い力をかけていない。そのため、固い鎧を蹴とばした足は全く痛めていない。何処にも治療する部分がなかった。なにやら相手が気落ちしているのが不思議だが。
扉の残骸や気絶した間諜などがすべて部屋から消えると、イオネアも行儀悪く寄りかかっていた机の端から腰を上げた。つかつかとレイゼンに近寄る。
「訊かないのかい?」
「はあ……何をでしょう」
「どうしてアルフレートが変な奴らに絡まれるのか、をさ」
「誤解を招くような言い方をしないでください」
思い切りにらむが、ひらひらと手だけで軽く黙っていろとあしらわれる。命じられると動けないのが理不尽だった。どう、と目線で再度問いかけられて、レイゼンはわずかに沈黙した。
「……業務に支障がないなら、興味ありません」
「そ。そりゃ感心だ」
何がだ、とアルフレートは問い返したかったが、イオネルはレイゼンの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた後、さっさと出て行ってしまった。追いかけた視線が、戻る途中で部下とぶつかった……逸らせず、気まずい。ごまかす咳払いの後、ばしん、と積み上げられた書類の山を叩いた。
「こちらを、業務終了までに片付けなさい」
うげ、と歪んだ表情を見て満足した後は、さばいてもさばいても出てくる仕事に没入した。




