第6話 彼は人を見る
酒蔵副管理人、ベルナール・クロウ。
36歳。
王宮勤続11年。
問題の酒瓶から記録が途切れた40分と、2週間前に本人が変更した勤務時間が重なっている。
それだけを見れば、疑うには十分だった。
「ベルナールを拘束しますか?」
レオンハルトの問いに、アルフレッドは首を横に振った。
「まだだ」
レティシアは少し意外に思った。
「勤務変更まで一致しています」
「ああ」
「逃げられる可能性があります」
「だから見張りは付ける。ただし本人には気づかせるな」
アルフレッドは勤務表を机へ戻した。
「この程度なら、俺を疑わせるために誰かがベルナールの勤務へ合わせた可能性もある」
なるほど。
レティシアは自分の考えを修正する。
犯行可能時間にそこにいた。
だから犯人。
そう簡単には結べない。
「では、何を確認するのですか?」
「ベルナールがどんな人間かだ」
「人間?」
「君は酒瓶がどこを通ったかを調べた」
アルフレッドが帳簿を指先で叩く。
「今度は俺が、人間の方を調べる」
ほどなくして、酒蔵で働く者たちが一人ずつ別室へ呼ばれることになった。
事情聴取と言っても、最初から犯人を問い詰めるようなものではない。
今日の仕事。
誰と会話したか。
誰がどこへいたか。
何か普段と違うことはなかったか。
同じ質問を、少し順番を変えながら聞いていく。
レティシアも同席を許された。
「ベルナール殿ですか?」
若い酒蔵職員が首をかしげた。
「真面目な方ですよ」
「どのくらい?」
アルフレッドが尋ねる。
「どのくらい、と言われましても……遅刻はほとんどありませんし、酒の扱いにも厳しいです。新人が瓶を乱暴に置けば、必ず注意します」
「怒鳴る?」
「いいえ。むしろ静かな方です」
「金遣いは?」
「殿下?」
「知っている範囲でいい」
職員は戸惑いながら答えた。
「派手ではありません。酒も仕事以外ではあまり飲まないかと」
次の職員も。
その次も。
ベルナールへの評価は似ていた。
真面目。
堅実。
慎重。
仕事をよく知っている。
部下への面倒見も悪くない。
11年間、大きな問題を起こしたこともない。
「変ですね」
5人目の聴取を終えたところで、レティシアは小さく言った。
「何が?」
「犯人だとしたらです」
金に困っているという話もない。
王家を恨んでいるという話もない。
勤務態度にも問題がない。
「毒を入れる理由が見えません」
「そうだな」
「なら、やはり違うのでしょうか」
「それもまだ早い」
アルフレッドは聴取記録を見ていた。
「レティシア。この5人の話で、共通している部分は?」
「ベルナールが真面目であることです」
「それだけか?」
もう一度思い返す。
真面目。
慎重。
仕事が正確。
部下にも慕われている。
それから。
「……皆、過去の話をしています」
アルフレッドの口元がわずかに上がった。
「そうだ」
レティシアは記録を見直す。
『昔から真面目だった』
『新人の頃から几帳面だった』
『何年も問題を起こしていない』
ベルナールが良い職員だという証言は多い。
だが。
「最近の話が少ない」
「ああ」
アルフレッドは次の職員を呼ばせた。
今度は、酒蔵でベルナールと最も長く働いている50代の男だった。
「ベルナールとは何年一緒に?」
「9年ほどです」
「最近、何か変わったことは?」
男はすぐに首を振った。
「特には」
「小さなことでもいい」
「小さなこと……」
考え込む。
「そういえば、最近は帰るのが早くなりましたな」
レティシアは顔を上げた。
「いつ頃から?」
「ひと月か、ふた月ほど前でしょうか」
アルフレッドが尋ねる。
「以前は?」
「仕事が残っていれば自分から残る男でした。最近は勤務が終わるとすぐ帰ります」
「理由は聞いたか?」
「家の用事だと」
「家族構成は?」
「妻と、子どもが2人いたはずです。それから……母親も一緒だったかと」
アルフレッドはそれ以上追及しなかった。
男を退出させ、次の職員を入れる。
「最近のベルナールについて教えてくれ」
今度は、質問そのものを変えた。
すると少しずつ違う答えが出始める。
「ここ2か月ほど、ぼんやりしていることがあります」
「以前はなかった?」
「ほとんど」
別の者は言った。
「帳簿の数字を一度だけ間違えました」
「ベルナールが?」
「はい。珍しいので覚えています」
「いつ?」
「3週間ほど前です」
さらに別の者。
「知らない男と話しているのを見ました」
室内の空気が変わった。
「どこで?」
「王宮の外です。帰り道で偶然」
「相手は?」
「分かりません。ただ、商人のような格好だったと思います」
「話の内容は?」
「そこまでは」
レティシアは無意識に手帳へ書き込んでいた。
2か月前から帰宅が早くなる。
ぼんやりする。
3週間前に帳簿を間違える。
知らない男と会う。
2週間前、勤務変更。
そして今日。
王太子の酒に毒。
「つながっていますね」
「並んではいる」
アルフレッドが訂正した。
「まだ、つながったとは言えない」
「……はい」
また急いでしまった。
似た出来事が並んだからといって、すべて同じ原因とは限らない。
「でも殿下は、最初から最近の変化を探していましたね」
「11年間問題を起こさなかった人間だからだ」
アルフレッドは椅子へ深く座った。
「本当にベルナールが毒を入れたのなら、俺は『なぜ今日やったか』より先に、『なぜ11年間やらなかった人間が急にやったのか』を知りたい」
レティシアは黙った。
自分なら。
犯行機会。
毒の入手経路。
封印の知識。
勤務時刻。
そういう条件を積み上げる。
アルフレッドは違う。
人間が変わった理由を見る。
「人は、何もなく突然別人にはならない」
「では、何かがあったと?」
「その可能性が高い」
「王家への恨みが生まれたとか?」
「それなら周囲に兆候が出る。思想が変わったなら、言葉にも出るだろう」
「お金?」
「あり得る」
「家族?」
「それも」
アルフレッドは答えながら、すでにレオンハルトへ視線を向けていた。
「ベルナール本人ではなく、家の方を調べろ」
「家を?」
「借金、病気、揉め事、急な出費。それから家族に最近近づいた人間」
「承知しました」
「本人には悟らせるな」
レオンハルトが部屋を出る。
レティシアはその背中を見送りながら、少しだけ不思議な感覚を覚えていた。
「殿下は、ベルナールを疑っているのですか?」
「ああ」
「では、なぜすぐ捕らえないのです?」
「疑っているからこそだ」
意味が分からず、首をかしげる。
「もし彼が本当に犯人なら、捕まえれば一人は止められる」
「はい」
「だが、11年真面目に働いた男を今日だけ犯人にした理由があるなら?」
レティシアは息を止めた。
アルフレッドは静かに続ける。
「その理由を作った人間が、まだ外にいる」
ベルナールだけを捕らえても終わらない。
むしろ、背後にいる者を逃がすかもしれない。
レティシアは自分の帳面へ視線を落とした。
物は経路を追えばいい。
記録は時間を追えばいい。
でも、人は。
人の心は、帳簿だけでは分からない。
「殿下は、人を見るのですね」
「君が見なさすぎるだけじゃないか?」
「見ています」
「今日も酒瓶と帳簿ばかり見ていた」
「必要でしたから」
「否定はしていない。おかげで40分まで絞れた」
アルフレッドは笑う。
「だから、残りは俺が見る」
その言葉に、ほんの少し肩の力が抜けた。
自分一人で全部確認しなくてもいい。
そんな考えが一瞬だけ浮かび――すぐに消える。
まだ事件は終わっていない。
約1時間後。
戻ってきたレオンハルトの表情は硬かった。
「殿下」
「何か出たか?」
「はい」
机の上へ、一枚の報告書が置かれる。
「ベルナール・クロウの家について調べました」
レティシアも覗き込む。
「2か月前から、複数の支払いが滞っています」
「借金か?」
「それだけではありません」
レオンハルトの指が、報告書の一行を示した。
「1か月半前、彼の妻が借り入れを行っています。しかしその金は、家計にも治療費にも使われていません」
「では、どこへ?」
「不明です」
そして、もう一つ。
「3週間前から、ベルナールの家族の周辺に、身元の確認できない男が何度も現れています」
3週間前。
帳簿を間違えた時期。
知らない男と話していた時期。
レティシアの背中に冷たいものが走る。
アルフレッドは報告書から目を上げた。
「ベルナールが王家を裏切ったのではないかもしれない」
「え?」
「裏切らざるを得ない何かを、誰かに握られた可能性がある」
そのとき初めて。
王太子毒殺未遂の裏側にあるものが、単なる悪意ではない形を見せ始めた。




