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1000通りの破滅に備えた悪役令嬢ですが、殿下に愛される想定はありません  作者: 秋葉 詩


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5/10

第5話 40分の空白

 記録というものは、正しく残っていれば嘘をつかない。


 ただし。


 記録がない時間については、何も教えてくれない。


「届きました」


 深夜に近い王宮の一室へ、クララが紙束を抱えて戻ってきた。


 ローゼンハイム公爵家の王都倉庫から取り寄せた出荷記録だった。


 祝宴はすでに中止され、招待客の大半は事情を伏せられたまま帰されている。


 だがレティシアたちは帰れない。


 王太子の杯へ届く直前だった酒から毒物が見つかったのだ。


「これがお嬢様の指定された記録です」


「ありがとう」


 受け取って最初に確認したのは、問題の酒瓶と同じ番号だった。


 瓶番号。


 封印担当者。


 確認担当者。


 出荷時刻。


 そして封印時に紙へ写し取られた印の位置。


 レティシアは問題の瓶を直接触らず、現在の状態と見比べる。


「……違います」


 レオンハルトが横から覗き込んだ。


「どこが?」


「ここです」


 紙に残された印は、瓶の継ぎ目から指一本分ほど離れている。


 今の印は、そこからわずかに右へずれていた。


 本当にわずかな差だ。


 知らなければ見落とすだろう。


「つまり、公爵家を出たあとに開けられた?」


「少なくとも、この記録が正しければ」


 レティシアは断定を避けた。


「記録を作った者自身が虚偽を書いた可能性もあります。それに、出荷後のどの時点で変わったかまでは分かりません」


「自分の家の記録なのに信用しないのか?」


 アルフレッドが尋ねる。


「信用することと、確認しないことは別です」


 一瞬、アルフレッドが黙った。


「……なるほど」


 王宮側の帳簿も机へ広げられる。


 まず、ローゼンハイム家の倉庫。


 酒は午前9時31分に出た。


 運搬は契約商会。


 王宮到着は午後1時08分。


 搬入口で本数と荷箱の封印を確認し、午後1時19分に受領。


「荷箱の封は?」


 レティシアが尋ねた。


 搬入を担当した王宮職員が前へ出た。


「異常ありませんでした」


「間違いありませんか?」


「はい。受領時に私ともう一名で確認しております。商会側にも署名を返しました」


 契約商会が持ち帰った受領控えとも時刻は一致していた。


 荷箱を開けずに、中の1本だけを細工することはできない。


 つまり輸送中に毒を入れた可能性はかなり低くなる。


「酒蔵へ運ばれたのが午後1時34分」


 レオンハルトが読み上げる。


「ここで箱を開封。本数確認」


「12本です」


 酒蔵責任者が答える。


「この時点では?」


「外側の封蝋しか確認しておりません」


 そこが問題だった。


 王宮側はローゼンハイム家独自の副確認印を知らない。


 だから午後1時34分の時点で、すでに瓶が開けられていた可能性を完全には否定できない。


「では午後1時34分から、祝宴へ出すまで全部が疑わしいのでは?」


 レオンハルトの言葉に、レティシアは首を振った。


「いいえ。もう少し縮められると思います」


 机の上に別の帳簿を置く。


「今夜の酒は、祝宴直前まですべて同じ保管区画にありましたね?」


「はい」


「保管区画を開けるときは?」


「担当者が2名立ち会います」


「今日も?」


「……はい」


 返事が少し遅かった。


 レティシアはその違和感を覚えておく。


「午後5時38分。祝宴用の酒を取り出すため保管区画を開放」


 記録を追う。


「このとき12本すべての本数が確認されています」


「封は?」


「外側のみです」


「その後、各卓へ振り分けた」


「はい」


 王太子用。


 国王夫妻用。


 高位貴族卓。


 来賓卓。


 瓶番号ごとに行き先が決められたのが、午後5時46分。


 問題の瓶がアルフレッドの卓へ割り当てられたのも、その時刻だった。


 レティシアの指が止まる。


「……ここからですね」


 アルフレッドが帳簿を見る。


「何が?」


「犯人がこの瓶だけを狙ったのなら、それ以前に毒を入れるのは危険です」


「なぜだ?」


「どの瓶が殿下の卓へ行くか、まだ決まっていないからです」


 12本のどれかへ適当に毒を入れれば、別の貴族が飲む可能性がある。


 王太子を狙うなら、少なくとも瓶番号と配膳先の対応を知る必要がある。


「午後5時46分以降……」


 レオンハルトも気づいたらしい。


 帳簿をめくる。


「問題の瓶が酒蔵を出た時刻は午後6時26分」


 レティシアは時計を見るように数字を並べた。


 午後5時46分。


 午後6時26分。


「40分」


 誰かが小さく呟いた。


 部屋の空気が変わった。


 たった40分。


 だが、その40分だけが妙に曖昧だった。


 ほかの時間帯には、誰が箱を受け取ったか、誰が酒蔵を開けたか、誰が本数を確認したか、記録が残っている。


 しかし祝宴直前の40分は違う。


 料理。


 酒。


 食器。


 花。


 楽団。


 大量の準備が同時に動き、人の出入りが急増していた。


「酒蔵には何人入れましたか?」


 レティシアが尋ねる。


 責任者が答える。


「正式な鍵を持つ者は5人です。ただ、祝宴準備中は補助員も出入りします」


「何人?」


「……正確には」


「記録がない?」


「はい」


 レティシアは目を閉じたくなった。


 責めても過去の記録は増えない。


「では、5時46分から6時26分までの間に、この瓶を直接触れた可能性がある人を挙げてください」


「かなりの人数になります」


「構いません」


「30人を超えるかもしれません」


「構いません」


「全員調べるつもりですか?」


「他に方法がありますか?」


 酒蔵責任者が黙る。


 レオンハルトも何か言おうとしたが、その前にアルフレッドが口を開いた。


「レティシア」


「はい」


「30人全員が、同じように怪しいと思うか?」


 少し考える。


「いいえ」


「なぜ?」


「毒を入れるだけでは足りません」


 瓶を開ける。


 毒を入れる。


 封蝋を戻す。


 副確認印の存在を知らずに、外側だけを復元する。


 そして何事もなかったように戻す。


「少なくとも、酒瓶を扱うことに不自然さがない人物か、誰にも見られず作業できる立場が必要です」


「それから?」


「殿下の卓へ行く瓶番号を知っていること」


「それから?」


「毒を用意できること」


「まだあるだろう」


 レティシアはアルフレッドを見た。


 彼の青い瞳は、帳簿ではなく室内にいる人間を見ていた。


「……40分の間に、その場にいたこと」


「そうだ」


 アルフレッドがうなずく。


 レティシアが時刻と経路を追っていた間、彼は別のものを見ていたらしい。


「レオンハルト」


「はっ」


「この40分に酒蔵付近へいた者を全員出せ。ただし、いきなり拘束はするな」


「よろしいのですか?」


「犯人が一人とは限らない。こちらが気づいたと分かれば、別の人間が動く可能性がある」


 レティシアは思わずアルフレッドを見る。


 自分なら、怪しい人間をすぐ隔離することを考えた。


 逃げられたら困るからだ。


 だが彼は、逃げる者だけを見ていない。


 誰が誰を庇うのか。


 誰が知らせを送るのか。


 誰が急に行動を変えるのか。


 人を見る。


 その言葉が、ふと頭に浮かんだ。


「それと勤務記録を」


 アルフレッドが続ける。


「今日だけではなく、少なくとも1か月分だ」


「1か月?」


「今日だけ都合よく王太子の酒へ近づけたとは考えにくい。事前に配置を作った可能性がある」


 レティシアの背筋がわずかに冷えた。


 偶然ではなく。


 今日のために、前から準備していた。


 もしそうなら。


 今回の事件は、レティシアが考えていたよりずっと深い。


 しばらくして、最初の勤務記録が運ばれてきた。


 レオンハルトが目を通す。


 その指が、途中で止まった。


「殿下」


「何だ?」


「一人、妙な者がいます」


 アルフレッドが記録を受け取る。


「誰だ?」


「酒蔵副管理人、ベルナール・クロウ。勤続11年」


 聞いたことのない名前だった。


「何が妙なんです?」


 レティシアが尋ねる。


 レオンハルトは勤務表の一箇所を指した。


「2週間前、勤務時間の変更を本人から申請しています」


「変更?」


「はい」


 そして変更後の勤務時間は。


 今日、午後5時46分から6時26分まで。


 王太子の酒瓶から記録が消えた――その40分と、きれいに重なっていた。

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