第3話 疑惑は婚約者の名を呼ぶ
「あなたは、なぜこの酒が危険だと分かったのですか?」
レオンハルトの問いに、レティシアは一瞬だけ言葉を失った。
「……分かったわけではありません」
それが答えだった。
「封印の位置がおかしかったので、確認を求めただけです」
「しかし結果として、毒が見つかった」
「はい」
「医師も、すでに王宮内に待機していた」
「それは祝宴に備えてです」
「毒物への対応も?」
「当然、含めています」
答えるたび、なぜかレオンハルトの表情が険しくなっていく。
レティシアには理由が分からなかった。
大勢が集まる祝宴なら、体調を崩す人間が出るかもしれない。
食中毒。
持病。
酒の飲み過ぎ。
転倒。
それに、王太子が出席する以上、毒物の可能性だって完全には捨てられない。
だから医師を近くへ置いておく。
何も不自然ではないはずだ。
「レオンハルト」
アルフレッドが静かに呼んだ。
「彼女を犯人と決めつけるな」
「もちろんです、殿下」
レオンハルトはすぐに頭を下げた。
「ですが、疑問点は確認する必要があります」
「それには同意する」
アルフレッドはレティシアを見る。
「レティシア。悪いが、いくつか聞かせてくれ」
「はい」
断る理由はない。
むしろ、分からないことを残したままにする方が怖かった。
「今日、この酒が出されると知っていたか?」
「知っていました」
室内の空気がわずかに動く。
「いつから?」
「少なくとも1週間前には」
「誰から聞いた?」
「祝宴で使用するローゼンハイム領産品の確認書類を見ました。公爵家側でも、出荷品と出荷数を記録しますので」
レオンハルトが続ける。
「出荷する酒瓶そのものを確認しましたか?」
「私はしていません。ただ、担当者から確認記録は受けています」
「担当者の名前は?」
レティシアは答えた。
出荷日。
確認担当。
封印担当。
運搬商会。
王都到着予定時刻。
聞かれるたび、記憶している範囲で答えていく。
途中から、王宮酒蔵責任者の顔が引きつっていることに気づいた。
「……よく覚えているな」
アルフレッドが言った。
「記録がありますので」
「今ここに?」
「一部は」
クララを見る。
クララは小さくため息をつきながら、持っていた鞄から薄い手帳を取り出した。
「お嬢様が外出時に持ち歩いている確認帳です」
レオンハルトが受け取る。
ぱらりと開き、眉をひそめた。
「王宮への納品物……馬車番号……御者……受領予定者……」
「全部必要な情報です」
「祝宴へ来るのに、なぜこんなものを?」
「何かあった場合に確認できないと困るからです」
当然のことを言ったつもりだった。
だがレオンハルトはしばらく黙った。
アルフレッドまで妙な顔をしている。
「殿下?」
「いや」
アルフレッドは口元を押さえた。
「少し、君らしいと思っただけだ」
どういう意味だろう。
レオンハルトが手帳を閉じる。
「もう一つ。封印についてです」
「はい」
「給仕が持っていた状態で、遠目から違和感に気づいた」
「最初に気づいたのはクララです」
「クララ殿はなぜ気づけた?」
今度はクララが答えた。
「私はローゼンハイム家で長くお嬢様にお仕えしております。領地から届く品や、王都邸で扱う品の確認を任されることもありますので」
「つまり見慣れていた?」
「はい。ただ、完全に断定できたわけではありません。位置が少し違うように見えただけです」
「それで公爵令嬢へ伝えた」
「はい」
「公爵令嬢は即座に酒を止めた」
「……はい」
レオンハルトが再びレティシアへ視線を戻す。
「迷わなかったのですか?」
「迷いました」
これは本当だった。
「ただのずれかもしれないとは思いました。でも、もし違っていた場合、確認してからでは遅いので」
「結果として正しかった」
「今回は、です」
その言葉に、レオンハルトがわずかに目を細めた。
「今回は?」
「備えが空振りに終わることの方が多いです」
「例えば?」
「先月は、殿下が地方視察へ行かれる際に予備の橋が使えるか確認しました」
アルフレッドが遠い目をした。
「覚えている」
「その前は?」
「街道沿いの宿に医師がいるかを」
「さらにその前は?」
「夜会会場の非常口を」
「まだあるのか?」
「あります」
「もういい」
アルフレッドが止めた。
なぜ止められたのかは分からなかった。
だが、この程度で驚かれていては困る。
破滅想定は1000あるのだから。
そのとき扉が開き、王宮の侍従が入ってきた。
「殿下。祝宴会場の料理と飲料について、追加確認が終わりました。現時点では、ほかに同様の反応は確認されておりません」
「そうか」
アルフレッドの表情が少しだけ緩む。
少なくとも、大規模な poisoning ではなさそうだ。
レティシアも胸を撫で下ろしかけた。
「それと……」
侍従が言いづらそうに続ける。
「ローゼンハイム公爵家から本日納められた酒は、全部で12本。問題の瓶以外の11本は、封印に異常なしとのことです」
レティシアは考える。
12本のうち1本だけ。
ならば出荷段階から全体に何かを仕込んだ可能性は低い。
ただし、1本だけ出荷前に――
「お嬢様」
クララの低い声に、レティシアは思考を止めた。
「どうしました?」
「今は、考えていることを全部口に出さない方がよろしいかと」
「なぜ?」
まただ。
今日はクララにそればかり言われている気がする。
レオンハルトが侍従へ尋ねた。
「その1本が誰の卓へ出される予定だったか、最初から決まっていたのか?」
「はい」
「誰だ?」
答えは分かっていた。
侍従は一瞬ためらってから告げる。
「王太子殿下です」
室内が静まり返った。
偶然ではない可能性が、一気に高くなった。
毒の入った1本だけが、アルフレッドへ向かっていた。
「殿下」
レティシアは口を開く。
「今夜の酒の配置を決めた者と、その情報を事前に知ることができた者を確認した方が――」
途中で止まった。
レオンハルトがこちらを見ていたからだ。
警戒を隠していない。
「何でしょう?」
「いえ」
そう答えたものの、視線は外れない。
その意味をようやくレティシアも理解し始めた。
毒入りの酒が、アルフレッドへ向かうことを知っていた者がいる。
ならば疑われるのは、その情報を知っていた者だ。
そしてレティシア自身も、1週間前からこの酒が祝宴に出されることを知っていた。
酒は実家から納められた。
封印の仕組みに詳しい。
王太子へ出される直前に止めた。
さらに、医師まで事前に待機させていた。
外から見れば。
まるで――最初から何が起きるか知っていたように。
「……なるほど」
思わず声が漏れた。
「レティシア?」
「クララの言っていた意味が、ようやく分かりました」
アルフレッドが眉を寄せる。
レティシアは額に手を当てたくなった。
自分は殿下を守るために備えた。
危険を減らすために記録した。
何かあったとき困らないよう、医師も確保した。
それなのに、そのすべてが今は逆向きに並んでいる。
レオンハルトが慎重に言う。
「公爵令嬢。念のため確認します」
念のため。
自分が一番好きな言葉のはずなのに、今だけは嫌な響きに聞こえた。
「あなたは今夜、王太子殿下の杯に毒が入る可能性を、事前に知っていたのではありませんか?」
レティシアは答えようとして――言葉に詰まった。
知らなかった。
もちろん知らなかった。
けれど、それを証明するものは何だろう。
その瞬間、9年前の記憶が脳裏をよぎった。
泣きながら無実を訴えていた、一人の女性。
そして父が、静かに言った言葉。
――私も、彼女が犯人ではないと思いたい。
ただ。
それを証明するものがない。
背筋が冷えた。
レティシアはようやく気づいた。
毒入りの酒より怖いものが、もう目の前にある。
自分が無実であるという事実だけでは――何の役にも立たないかもしれない。




