【後日談:その二】王宮中庭の昼下がり
レイアとリヒャルトの世紀の結婚式から、早いもので一年が経とうとしていた。
「――はい、リヒャルト様。あーん、してください」
王宮の奥深く、限られた王族しか立ち入ることのできない私庭。
柔らかな木漏れ日の中、レイアは新緑の瞳を輝かせ、手作りのハニーベリータルトをリヒャルトの口元へと差し出していた。
「……レイア。ここは王宮だ。いつ誰が見ているか分からん」
漆黒の王族礼服をまとったリヒャルトは、いつものように眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな声を出す。しかし、その耳の裏はすでに隠しきれないほど真っ赤に染まっており、視線はタルトとレイアの笑顔を交互に泳いでいた。
「もう、誰も見ていませんわ。せっかく焼き立てを持ってきたのですから、早く食べないとクロエが全部食べてしまいますよ?」
「誰が食い意地の張った泥棒猫ですか、レイア」
ベンチの端で、分厚い魔導書から目を離さないまま、クロエが淡々と突っ込みを入れる。彼女は現在、王宮魔導師としての地位を確立しつつも、レイアの「専属相談役」という特権を盾に、こうして頻繁に二人のプライベート空間に入り浸っていた。
「チッ……相変わらず図々しい女だ。私のレイアとの時間を邪魔するなと言っているだろう」
「あら、私は結界魔法で周囲からの視線を遮断してあげているのですよ? 私がいなければ、今頃そこらの近衛兵たちが、殿下の『激甘な新婚生活』を目撃してショックで卒倒していますわ」
クロエが眼鏡を指で押し上げながら冷然と言い放つと、リヒャルトはぐうの音も出ない様子でタルトを不器用にかじり取った。
「……ふん。生地の焼き加減が以前より進歩しているな。成分分析の結果、お前の愛がさらに重くなっていると見える」
「ふふ、お口に合って良かったですわ」
大真面目にそんな台詞を口にする夫が愛おしくて、レイアは溢れんばかりの笑顔を咲かせた。
「――おやおや。宮廷の最奥で、随分と甘酸っぱい香りが漂っていると思ったら。僕の入る隙間はなさそうだね?」
その時、生垣の向こうから、カシャリと甲冑の擦れる小気味良い音が響いた。
現れたのは、白銀の甲冑に身を包み、腰に聖剣を帯びたアルフレッドだった。彼は現在、その圧倒的な武力と家柄から、リヒャルトの直属たる近衛騎士団の副団長に就任している。
「アルフレッド様! お仕事お疲れ様です」
レイアが嬉しそうに手を振ると、アルフレッドは絵画のような優雅さでお辞儀をした。
「ありがとう、レイア王太子妃殿下。……それにしてもリヒャルト、僕の可愛い元・お嬢さんをそんな風に独り占めするなんて、相変わらず独占欲の塊だね。少しは僕にもタルトを分けてくれたっていいだろう?」
アルフレッドがからかうように琥珀色の瞳を細めると、リヒャルトの真紅の瞳に一瞬で獰猛な火が灯った。
「断る。アルフレッド、貴様は今、勤務時間中のはずだ。職務怠慢で減給処分にされたいか?」
「手厳しいな。僕はちゃんと、東地区の警備報告書を君に提出しにきたんだよ。ほら」
アルフレッドが懐から書類を取り出して振ってみせると、リヒャルトはそれをひったくるように奪い取り、素早く目を通した。
「……ふん。相変わらず、無駄に完璧な報告書だな。これでお前の軽薄な性格さえ直れば、文句なしの騎士なのだが」
「はは、君に褒められるなんて光栄だよ。でもね、僕がこうして真面目に働くのは、他でもないレイア嬢の暮らすこの国を、誰よりも安全に守るためだからね?」
わざとらしくレイアにウィンクをしてみせるアルフレッド。
その瞬間、リヒャルトの周囲の空気がピキピキと物理的に凍りついた。
「……そう言えば貴様、まだ私の妻を『僕の』などと呼んでいるのだな。次に対戦演習の場に現れた時は、手加減なしで叩き伏せてやる」
「おっと、怖い怖い。王太子殿下の本気の愛(物理)は重すぎて、僕の甲冑が何枚あっても足りないよ」
男二人が火花を散らしながら、ああだこうだと意地を張り合う。
その様子を、レイアはベンチに座ったまま、本当に幸せそうに、クスクスと笑顔で見つめていた。
かつては遠くから憧れるだけだった白銀の騎士。そして、いつも不機嫌で怖かった漆黒の王太子。
その二人が、今はこうして、自分の作ったお菓子を囲みながら、信頼に満ちた軽口を叩き合っている。
「……本当に、ごちそうさまね」
クロエが呆れたように魔導書をパタンと閉じ、ハニーベリータルトの残りを一つ、自分の口へと放り込む。
「リヒャルト様、アルフレッド様、そんなに喧嘩ばかりしていると、お茶が冷めてしまいますわ。ほら、アルフレッド様の分もちゃんとありますから、お座りになって?」
レイアが優しく宥めると、リヒャルトは「フン」とそっぽを向きながらもレイアの隣に引き寄せられるように座り、アルフレッドもまた楽しそうに笑いながら対面の椅子に腰掛けた。
ハニーベリーの甘酸っぱい香りと、大切な人たちの笑い声。
贅沢な王宮の昼下がりは、どこまでも穏やかに、そして甘やかに過ぎていくのだった。




