【後日談】魔法学園の魔導書
王太子リヒャルトと、シルフィード伯爵令嬢レイアの世紀の結婚式から数日後。
下町のあの噴水広場には、いつもの麻のワンピース姿に戻ったレイアと、その隣で分厚い魔導書を幸せそうに撫で回しているクロエの姿があった。
「――ふふ、やっぱり下町の空気は最高ね。宮廷の格式高いお茶会なんて、肩が凝って眼鏡が曇りそうだわ」
「もう、クロエったら。……それより、さっきからずーっと抱えているその魔導書、どうしたの? 見たこともない禍々しい……ゲホン、厳かな装飾だけど」
レイアが不思議そうに尋ねると、クロエは眼鏡の奥の瞳を「キラーン」と怪しく光らせ、不敵な笑みを浮かべた。
「これ? これはね、我の『知的好奇心』と『情報屋としての手腕』がもたらした、最高の勝利報酬よ」
「勝利報酬……?」
「そうよ。……レイア、あなたのお腹がいつの間にかハニーベリータルトで満たされていたように、私の懐も、『激重な依頼人』のおかげで、ずっと潤っていたの」
クロエはニヤリと笑うと、事も無げにこれまでの裏工作のすべてを語り始めた。
「事の始まりは、あの人が路地裏に現れる、もう少し前のことよ」
「えっ? それって、いったいいつの話!?」
「実は殿下、子供のころに下町で私たちを見かけた時から、あなたのことが気になって仕方がなかったらしいの。でも、あの偏屈な性格でしょう? 好きな女の子への声の掛け方が分からなくて、裏でアルフレッド様に相談するくらいには、必死だったのよ」
クロエは思い出してクスクスと笑う。
「で、あの方は考えたのね。『彼女が一番心を許している下町での行動を把握したい』って。そこで、あなたの親友である私に、王宮の隠密を通じて白羽の矢が立ったというわけ。届いた書簡には『彼女の好物、よく行く場所を報告せよ。見返りに王宮禁書庫の閲覧権と古代魔導書を与える』って書いてあったわ」
「じゃ、じゃあ……まさか、あの最初ハンカチの時も……!?」
「そうよ。あの日、あなたが『下町の路地裏へ向かった』という情報を、私が殿下の耳に届けたの。そうしたら案の定、あの不器用なツンデレ殿下、慌てて護衛を全部遠ざけて、プライベートを装って路地裏へすっ飛んできたわ。……まぁ、ただの意地悪なクソガキみたいな態度しか取れていなかったけれどね」
レイアは開いた口が塞がらない。あの下町での出会いすら、親友が裏で糸を引いた「情報操作」で、リヒャルトの必死の空回りだったのだ。
「クロエ……! あなたって人は、最初から私を売って魔導書を手に入れていたのね!?」
レイアがぷんぷんと怒ると、クロエは全く悪びれもせず、むしろ誇らしげに胸を張った。
「売っただなんて人聞きが悪いわ。私は、『大好きな古代魔導書(超超高級品)』を手に入れつつ、同時に『親友を世界一幸せな溺愛王太子の妃の座』へエスコートしたのよ?最初から最後まで、これ以上ないほど完璧な Win-Win じゃない」
「うぐぐぐ……!」
言い返せないレイア。確かに、クロエが情報屋としてリヒャルトの背中を押し続けなければ、あの不器用すぎる王太子とは一生すれ違ったままだったかもしれないのだ。
「まあ、一人でタルトを買いに行くあなたに殿下を先回りさせたのも、殿下の理性を飛ばすためにベリー色のドレスをプロデュースしたのも、ぜーんぶ殿下を喜ばせるため。密輸事件の時に危険に飛び込んだのは計算外だったけれど、あの時の殿下のキレっぷりと激重告白が見られたから、お釣りが出たわね」
ハァ、と大きなため息をつきながらも、レイアの口元には自然と優しい笑みが浮かんでいた。
クロエが自分の利益(魔導書)のために動いていたのは事実だが、それ以上に、レイアの幸せを誰よりも願って、最初から最後まで最も安全で確実なルートを敷いてくれていたのだと分かったからだ。
「……もう、感謝すればいいのか怒ればいいのか分からないわ」
「ふふ、感謝なら焼き立てのタルト1個でいいわよ、王太子妃サマ」
クロエがそう言って笑った瞬間。
広場の入り口に、またしても平民用の地味なマントを羽織った、隠しきれない圧倒的なオーラを放つ黒髪の美青年が姿を現した。
「――チッ、またお前と一緒か、クロエ。私の妻をあまり連れ回すなと言ったはずだ」
不機嫌そうに言いながらも、その真紅の瞳はレイアを見つけた瞬間に甘く蕩けている。
「あら、ごちそうさま。じゃあ私は、手に入れた魔導書の解読があるからこれで失礼するわ。……お熱いところ、ごゆっくり、殿下」
クロエは新しい魔導書を大切に抱え、眼鏡をキラリと光らせて風のように去っていった。情報屋としての完全勝利の笑みを浮かべながら。
「リヒャルト様、またそんな格好をして……」
「ふん、王太子妃がネズミのように下町へ逃げ出すから、捕まえにきただけだ。……ほら、手を貸せ」
差し出された、固くて温かい大きな手。
レイアはクスリと笑うと、最初から自分たちを手のひらで転がしていた黒幕の親友に心から感謝しつつ、大好きな旦那様の手を、ぎゅっと強く握りしめるのだった。




