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楽譜の奴隷と呼ばれた天才が、何も知らないクラスメイトの女の子に救われた話  作者: Soh.Su-K


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第6話 ユリア

「貴方がリュウ?」


 玄関に立っていたのはブロンドの髪と整った顔立ちが印象的な外国人の女性だった。


「どちら様ですか……?」


 三島が恐る恐る訊ねる。しかし、何処か見た事のある女性だと思った。何処で見たのかは覚えていない。三島が必死に記憶を辿っていると、榎本がいきなり大声を出した。


「ああ!ユリア・ヘルゲン!ヴァイオリニストの!!」


 その名前を聞いて、三島も声を上げた。ユリア・ヘルゲン、ドイツ人。20代前半で天才美人ヴァイオリニストとして、世界的に有名になった女性だ。登録者が100万人を超える自身のYoutubeチャンネルで、ヴァイオリン以外にピアノなどの演奏もアップロードしている。親日家としても有名で、ある程度流暢に日本語を喋れるらしいが、日本での公演は未だに一度もない。そんなヘルゲンが、何故三島の家を訪れたのか。その場にいる全員が理解できなかった。


「ユリア……さん?本物?」


 三島がマジマジとヘルゲンを見る。


「本物だヨ!リュウ!貴方に会いに来た!」


 そう言って三島を強く抱き締めるヘルゲン。思わず顔を真っ赤にする三島。その様子を冷ややかな目で見る榎本と高岡。


「ちょ、ちょっと待って!なんで俺に?」


「貴方に見せないといけないものがありマス!私に付いて来てください!」


 ヘルゲンは三島の手を握るとそのまま玄関を出て行ってしまった。


「え?」


「どういう事?」


 あまりの唐突な出来事に榎本と高岡は立ち尽くした。冷静に考えて、これは誘拐ではないだろうか。


「ちょっと待って!」


 榎本が急いで外に出ると、三島とヘルゲンを乗せたタクシーが何処かへ発進してしまった。


「榎本先生!」


 慌てて高岡も外に出たが、既に後の祭りだった。


「どういう事ですか!誘拐じゃないですか!」


「そうなんだろうけど……。ちょっと引っ掛かる事もあって……」


 頭を掻く榎本。ユリア・ヘルゲンには、デビュー当時からある噂があった。それは一般にはあまり知られていない、クラシック界でまことしやかに囁かれる程度の噂。


「引っ掛かる事……?」


「えぇ、ユリア・ヘルゲンの母親イザベル・ヘルゲンと隆司のお父さん、三島尊は一時期付き合っていたの。だから、ユリアは先生の隠し子なんじゃないかって言われてるの……」


「隠し子……?じゃあ……」


「腹違いの姉かもしれないって事……」


 二人は押し黙った。腹違いの姉だとしても、これは誘拐に違いないのだが、あの二人が向かった場所も分からない。警察に連絡すべきなのだろうが、榎本はユリアの様子から何かを感じ取ったのは確かだった。


「ユリアに任せてみましょう……」


「任せるって……?」


「隆司のジストニアに関してはユリアも知ってる筈。先生とイザベルさんの交友は先生が亡くなる直前まで友好だったらしいから……」


「何か効果的な治療法を知ってるかもしれないんですね……」


「とにかく、二人の帰りを待ちましょう」


 二人は諦めて家に戻る。


「でも、ユリアの日本公演なんて予定されてないわよね……」


 榎本はリビングのソファーに座りながら言った。世界的に有名で、日本でも人気のあるヘルゲンだが、ドイツを拠点に主にヨーロッパで活動しており、多忙な日々だと音楽雑誌に載っていた気がする。そんなヘルゲンが日本での公演予定もないのに、何故日本に来ているのか。取材などが全く付いていない事を考えると、完全なお忍び旅行なのだろうが、その目的が隆司のみである事も考えにくい。


「そんな事より、もう遅いから高岡ちゃんは帰りなさい。今日は私が送って行くから」


 時計は既に22時を過ぎていた。


「もうこんな時間!今日も長居してしまってすみません……」


「いいのよ、隆司も喜んでるし、私も嬉しい。隆司たちもその内帰って来るだろうから、その時は連絡するように言っとくね」


「ありがとうございます」


 高岡は榎本と一緒に家路についた。三島の事は心配だが、すぐに帰って来るだろうと思い、その日は何も考えずに眠りについた。しかし、それから3日が経っても隆司は帰ってこなかった。


 ♪


「いつまで三島は休みなんですか!」


 三島がユリアに連れ去られて3日が過ぎた。指揮者であり、合唱指導の統括であった三島の不在はクラスに不信感を募らせていた。


「三島君は家の用事で数日休むって連絡がありました。何日で戻るかは分かりません」


 榎本が感情なくクラスに告げる。三島の事情を知っているのは榎本と高岡だけだ。それ故に二人が最も三島の事を心配している。しかし、帰って来るのを待つしかなかった。


「ふざけんなよー」


「あんなに偉そうに言っといて逃げたの?」


「信じらんない」


 クラスメイト達は口々に文句を言っていた。それもそうだろう。予選会まで5日しかないのだ。三島が不在の為、練習も疎かになっている。合唱のレベルが落ちてきているのは火を見るよりも明らかだった。


「んだよ、もう帰ろうぜ」


「モチベなくなったわ」


「いこいこ」


 生徒達は勝手に帰り支度を始めた。三島を蔑む様な言葉を口にしながらだ。それが高岡には耐えられなかった。いつもは物静かな高岡が机を叩きながら立ち上がる。


「何にも知らない癖に!!」


 高岡の大声で一瞬教室内が静まり返る。しかし、すぐにクスクスと笑いだす生徒が現れる。


「何?キモ……」


「カレシがディスられてヒスってんだよ」


「お熱いねぇ」


 その言葉に、高岡が完全にキレた。かけていた眼鏡をむしり取り、床へ叩きつける。


「アンタたちに何が分かんのよ!本当は音楽が大好きなのに、それを自分で奏でる事が出来なくなった気持ちが!母親の背中を見て憧れて始めたピアノで、自分に才能がないって気付かされた時の気持ちが!自分を必死に指導してくれた父親から見放される気持ちが!自分がいた証を大好きな音楽で何も残せない気持ちが!日々のうのうと生きてるだけのアンタたちに分かるの!?」


 クラス全員が高岡の激昂に面食らった。榎本も例外ではない。


「幼い頃から三島君は音楽に苦しめられたんだよ。大好きなのに打ちのめされて、裏切られて……。それでも音楽が好きで好きで仕方ないんだよ。自分ではどうしようもないくらいに大好きなんだよ!自分で演奏できなくなっても、アンタ達の為にパートごとの譜面まで作って……。ここまでしてくれる人が他にいるの!」


 高岡は鞄の中から三島が作った4冊の冊子を取出し、机に叩きつける。


「自分が伴奏だと、本番で迷惑が掛かるかもしれない。だから伴奏を断ったのよ。それでも、みんなと一緒に一つの音楽を作り上げたい。音楽に関わりたい。そう思ったから指揮者になったの!みんなと一緒なら出来ると思ったからよ!」


 高岡は泣いていた。三島のこれまでの経験を考えると、耐えられなかった。自分も音楽が好きだ。プロになりたいと思った時期もある。しかし、やはり上には上がいる。その時感じた絶望感を、三島は幼い頃からずっと感じていたのかもしれない。そして、それでも音楽を嫌いになれなかった、ならなかった三島の強さは、誰にも否定されたくない。いや、私が否定なんてさせない。


「ハッキリ言って、三島君は帰ってこないかもしれない……」


 高岡のその言葉にクラスがざわつく。


「どういう事だよ?」


「三島君は今、世界的なヴァイオリニストと一緒に行動してる。上手くいけば、神童と呼ばれたヴァイオリニストとして復活するかもしれない。そうなったら、学校には帰ってこないと思う……」


 高岡は俯き、拳を握り締めた。心の中で分かっていたのだ。ジストニアから解放されれば、天才ヴァイオリニストとしてクラシック界に華々しく返り咲く事が出来ると同時に、高岡と同じように学校へ通う事はなくなるであろう事に。


「だから……、だからこそ!三島君が完成させようとしてた私達の合唱を、ここで諦めたくない!」


 クラス全員の顔を一瞥して高岡は言った。


「この合唱を、彼がここにいたと言う証にしたいの!彼が胸を張って、もう一度飛び立てるように!」


 高岡の言葉に、榎本も涙していた。三島と最も長い時間を共にしてきた榎本だからこそ、高岡の言葉が刺さった。


「俺も……」


 高橋という男子生徒がおずおずと口を開く。


「俺も、中学の途中まで野球やってたんだ。野球の日本ユースからも誘いを受けた事があるんだぜ?」


 高橋は照れくさそうに鼻を掻いた。


「でも、肘が壊れて、プロへの道はなくなっちまった……。その時の絶望感は……。三島の気持ち、分かるよ。それでも、どうしても野球を嫌いになれない、野球が好きでたまらない気持ちとかも」


 そう言いながら、高橋は高岡に歩み寄り、ハンカチを渡した。


「それに、高岡が三島の事大好きだって事も分かった」


「え?」


 ハンカチを受け取りながら、高岡は目を丸くする。教室に笑い声が響いた。


「なぁ、みんな!高岡を泣かせた三島を見返してやろうぜ!アイツが最後に関われなかった事を滅茶苦茶悔しがるような、そんな合唱にしよう!」


 高橋の言葉にクラス全員が笑いながら同意した。


「いいな、それ!」


「やってやろうぜ!」


「三島の鼻を明かしたれ!」


「みんな……」


 クラスメイトの言葉に、再び高岡の目から涙が溢れた。


「それにな、高岡」


 高橋が高岡の頭に手を乗せながら言った。


「三島は帰って来るよ」


「え?」


「だって、こんな可愛い彼女、置いては行けねーって」


 耳まで真っ赤になる高岡をクラスの優しい笑い声が包んだ。

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