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087●独り相撲

冬の終わり、ボレリアの空は灰色の雲に覆われていたが、王都の政庁には春の兆しがあった。


ウィルフレッド・フォンベルト・アンダーソン子爵・・・。

その姿は以前と変わらず、凛とした佇まいで政務室に現れた。

だが、彼女の歩みはわずかに慎重で、腹部を庇うように手を添えていた。


「本日の議題は、復興支援金の配分と、農地再整備計画の進捗確認です。」

ケイトが元気よく読み上げる。

ウィルの侍女として長年仕えてきた。

年下であるが、今や最も信頼される補佐官でもあった。

レオはその隣で、書類の束を抱えながら、必要な資料を即座に差し出す。


「ありがとう、ケイト。レオ、ここの数字、もう一度確認してもらえる?」

「はい、ウィル様、すぐに。」


ウィルの声は落ち着いていたが、時折、深く息をつく。

その姿に、ふたりは気づいていたが、口にはしない。

ウィルが望むのは、特別扱いではなく、‘いつも通り’だった。


政務の合間、ロイがそっと執務室を訪れる。

「どうかな、調子は?無理をしていない?」

「していないよ。ふたりがよくしてくれるから、大丈夫。」

「君がここにいるだけで、皆が安心する。でも、もう、君ひとりの身体ではないのだから。」

「そうだね。・・・ふしぎなの。時々、この子と話しているような気がするの。」

ロイは何も言わず、彼女の手を取った。

ほっそりとした、しかし確かな意志を宿したその手を、そっと包み込む。

「男の子かな、女の子かな?楽しみだね。」

「男の子だよ。そんな気がする。さっき、名前も思いついた。」

その声は、確信と自信に満ちている。

「何て名前なんだい?」

「ジン。ジン・ラベンダー・エンジェラム。」


ロイがほんの一瞬、驚きの表情を見せる。

だが、すぐにいつものように、穏やかに微笑む。

「それはとてもよい名前だ。そうしよう。だから、無理をしないでね。何かできることはないかな?」

「心配性だね。女性の生命力は強いのだから。今でも、この子を守るためなら、一戦できるかもよ。」

「それはダメ!」「いけません!」「やめてください!」

ロイとケイト、そしてレオが、同時に叫ぶ。

ウィルは愉快そうに笑う。

カウンターの速さ。まるで奥義みたい。

もうすぐ、春である。


ーさっきから、マイロード、ひとりで何いってるの?

ーシィ〜。おなかの中の分身体と話してるのよ。

ーやりすぎだ、とか、もうちょっと自制しろ、とか。あれは、じゃあ、独り言ってことになっちゃうの?

ー そうよね。胎内の分身体、というか、マイロードご自身が母親にいろいろとリクエストしてるからね。ジンは甘えん坊ね。

ー同じ世界線の同じ時間軸に、自分がふたりいるってことになるのね。これは楽しみだ。

ー早く生まれてこないかな?きっと、かわいいぞ!

ーマイロード、それぐらいにしておかれては?そういうのを独り相撲、っていうんですよ。


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