075●死闘
冬の平原に、灰色の空が重くのしかかる。
兵士たちは息を潜め、誰もが目の前の二人に視線を注いでいた。
ヴァルター・グレイヴス将軍。
戦場において、常に勝利を重ねてきた猛将。
その名は、恐怖と共に語られる。
身の丈を超える大剣を片手で操るその姿は、戦場に降り立った魔王。
鎧の継ぎ目からはドラゴンを連想させる熱気が立ち昇り、眼は血走り、
結んだ口元は、その決意の固さを表している。
対するは、ボレリアの子爵、ウィルフレッダ・フォンベルト・アンダーソン、
いや、ウィルフレッド・・・。
英雄ローレンスの妹にして弟と名乗る者。
彼女は、兄の形見である剣を腰に携え、静かに立っていた。
風が彼女の髪を揺らす。
その瞳は、湖の底のように深く、澄んでいた。
双方の剣を抜く金属音が、空気を裂く。
構える。間合いに入る。どちらも動かない。
だが、その沈黙の中では、既に見えない攻防が始まっていた。
ぶつかりあう気迫、足の位置、呼吸のリズム・・・すべてが戦いだった。
ヴァルターの顔が紅潮する。
見開かれ両眼は、まさに魔王のそれだ。
炎のようなオーラが彼の周囲を揺らめかせる。
ウィルフレッドは真逆だった。
水のように静かに構え、剣をわずかに傾ける。
彼女の周囲には、澄み渡るような静寂があった。
緊迫の空気を破ったのは、ヴァルターの太刀だった。
裂帛の雄たけびと共に、雷のような袈裟懸けが走る。
ウィルフレッドは体を捻り、刃をかわすと同時に、将軍の膝裏へと斬り返す。
ヴァルターはそれを驚異の反射神経で防ぐ。
二戟、三戟・・・剣戟の音が戦場に響き渡る。
ヴァルターは驚く。
こやつ・・・このような腕前だったのか!
手強い! この儂が、次の動きを読めん!
攻防が一体となっている。このような剣技、どのようにして身につけたのだ?
しかも、速い!
ヴァルターの渾身の一太刀が振り下ろされる。
ウィルフレッドが受け止める。
鍔迫り合いになる。体重差がある。
ウィルフレッドが徐々に押し負けている。‘対の先 'が取れない。
その様子を見た、アリスが叫ぶ。
「わたしが行こう! このままでは・・・!」
彼女の瞳には、弟子を、友を、大切な人を守りたいという強い意志が宿っていた。
だが、ロイが静かにそれを制する。
—大丈夫だ。ウィルフレッ‘ド’には、あの剣がある。兄の剣、賢者の剣「英雄」。兄の残留思念を発動させておいた。それに、他にも力強い味方を、ウィルは既に有している。
剣が震える。ウィルフレッドの脳裏に、兄ローレンスの姿が浮かぶ。
「兄上・・・!」
その瞬間、光がウイルヘッドを包んだ。
兵士たちは見た。
ウィルの背後に、もう一人の剣士がいることを。
「死してなお、戦場を支配した男」「睥睨する死者」「剣を握る文官」
敵味方なく、英雄と仰がれたその姿が、ウィルフレッドと重なっていた。
ヴァルターは気づいた。まさか・・・ローレンスなのか?
蘇って妹を助けに来たのか?!
これは名誉なことだ!
相手をさせてもらうぞ!
がっちりと交差し、火花を散らす両者の剣。
ウィルフレッドの剣に、あり得ない力が宿る。
ヴァルターの剣を跳ね返した!
体重差を覆す力、それは、ローレンスの魂の力だった。
ウィルは思う。兄上、ありがとう・・・。
でも、次の一撃が最後。もう、力が残っていない。
誰かの声が聞こえる。兄上ではない?!
ーだいじょうぶ。ぼくがいるよ。さあ、いこう、ママ。
再び間合いを取る。
ヴァルターの一撃!
同時だ!ウィルの剣が閃く!
バキーン!
剣が弾かれた!ヴァルターの剣が!
兜に一撃が入る。巨体が揺れ、崩れ落ちる。
「奥義だ!ついに、ウィルが会得した!」アリスが叫んだ。
両軍の兵士の驚きの声がこだまする。
「あの将軍が・・・倒れた・・・!」
「ローレンスの剣だ!英雄の剣だ!」
「見た!見たぞ!あれはローレンスだった!」
ひとりではない。
わたしは、ひとりではない。
兄上がいる。ロイがいる。アリスがいる。
みんながいる。
でも、あの時の声は誰だったのだろう?
ママって?わたしなの?
意識を取り戻したヴァルターが、居住まいを正し、ウィルフレッドの眼前に座る。首を差し出す。
ウィルフレッドよ、儂の願いをかなえたのだな。
あの時も、冬だった。
和平交渉に来た、少年のようだったあなたが、国を背負うようになるとは。
「ローレンス卿の遺志を継ぐものとして、あなたが彼を超える日が来た。見事に儂を討ち取り、恒久の和平を実現するのだ。この屍を越えて行け。だが、兵は助けてやってくれ。みんな、腹を空かせているんでな。」
儂の最後の言葉となるだろう。
ああっ、もう充分だ。
充分に生きた。
両親の元に行こう。
思い残すことは、何もない・・・。
ヴァルターの兵たちが、剣を、槍を、盾を、武器の全てを投げ出し始める。
肌を刺す寒さにも関わらず、武装を解いていく。
その音が幾重にも響き渡る。
シャツとズボンだけになった彼らが言う。
「お願いだ!我々は完全に武装を解く!何も抵抗しない!命もいらない!だが、将軍だけは、助けてくれ!何とぞ!何とぞ、お慈悲を!」
兵が、ことごとく胸の前で手を組み、祈るように訴える。
「ブルー!今回は例外だ!討つな!」
「勝者の権利の行使は必要ない!もう、勝敗は決している!」
「将軍を討つ必要は、もうない!」近衛兵たちが、大声で叫んでいる。
兄上の剣を見る。
そして、わたしは大きく振りかぶり、その剣を振り下ろす!!




