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035●石碑

帝国の若き武官、ダオ・レオナスは、その文官としての初任地、辺境の部族国家・ナムに赴任した。

彼の制服はまだ新しく、胸元の紋章は太陽のように輝いていた。

帝都の官僚たちは彼に期待を寄せていた。「若く、聡明で、忠誠心がある」と。


ナムのとある村を巡察した際、ダオは違和感を覚えた。

村人たちは礼儀正しく迎えたが、どこか「空虚な従順さ」が漂っていた。

帝国の旗は広場の丘に掲げられていたが、強い風に煽られてボロボロになっている。

これを見て、ダオは尋ねた。


「なぜあの場所に、我らの旗を?」

村の長老ミラは穏やかに答えた。

「この丘は、村で一番高い、神聖な場所です。強い風にたなびく帝国の旗、力強いではありませんか。この風はあなたを迎える、神の意志かもしれませんな。」

帝国の象徴があの状態であってはならないと、ダオは眉をひそめた。

彼は兵士に命じ、新しい旗をミラに渡し、村人に揚げさせた。

だが、あの場所で、あの強い風を受け、旗はいつまでその威容を保ち続けられるだろうか。

ダオの胸に一抹の不安がよぎる。


行政庁で日々の報告書をまとめながら、ダオは奇妙な停滞感に苛立ちを募らせる。

命令は出している。旗も掲げさせている。兵士も配置している。

だが、何かが動かない。

村人たちは従順だが、どこか「空っぽ」だった。


ある日、ダオは軍服を脱ぎ、ナムの民族衣装に着替え、部下にも告げず、気になる村に向かった。

耳に届いたのは、遠くから聞こえる歌声だった。

帝国にはない旋律。言葉も聞き慣れない。

だが、何か心に届く響きがあった。


声の主は、村の少女リィナだった。

彼女は岩陰に座り、数人の子どもたちに物語を語っていた。

それぞれ質素だが、部族に伝わるかわいい模様の服を着ている。

彼女の話に、子どもたちは目を輝かせて聞き入っている。

ダオは微笑みながら、近くに腰を下ろす。

不慣れだが部族語を帝都で学んでいたこともあり、ダオにも理解できる話だった。


「じゃあ、今日、最後のお話ね。歌の神が、攻めてきた軍を追い散らしたの。剣ではなく、歌で戦ったのよ。」

ダオは息を呑んだ。その話は・・・陛下が授けた7倍の兵が敗れた、あの戦いのことではないか。

「その話をどこで聞いた?」

リィナは驚きながらも、静かに立ち上がり答えた。

「帝国のお方でしたか。・・・古くから伝わる、おとぎ話です。何かお気に触りましたか?」

急に彼女の表情から、生気が失せたような気がした。

子どもたちも、行儀はよいが、しかし、どこかよそよそしい。

その夜、ダオは眠れなかった。


翌日、しばらくして、ダオは再び村に赴き、長老ミラを訪ねた。

「あなたたちの村は、帝国に従っているようで、従っていないのではないか?」

ミラは微笑みながら、飲み物を差し出した。

「滅相もありません。わたしたちは、いままでどおり、帝国のご指示のまま暮らしております。」

ダオは言葉を返せなかった。

彼の心には、帝国の秩序が少しずつ揺らいでいるのではないかという暗い予感が広がった。


帝国からの命令は、冷たく簡潔だった。

部族国家ナムにおける文化的慣習を全面的に廃止せよ、帝国語以外の言語の使用を禁じ、伝統儀式・衣装・歌を取り締まれ。

抵抗があれば、軍の介入を許可する、と。

ダオはその文書を何度も読み返した。

彼の手は震えていた。

帝国の命令に従うことは、彼の義務であり、誇りでもあるはずだった。


時をおいてダオはさらに、村を視察した。

そこでは、子どもたちが帝国の衣装をまとい、帝国の歌を歌っていた。

だが、目はどこか遠くを見ている。

リィナはその中にいた。

彼女はダオに気づくと、微笑んだ。

しかし、彼にはその微笑みが、悲しみと怒りに満ちているように思えてならなかった。

「わたしたち、ご命令どおりにできておりますか?」とリィナは尋ねた。

ダオは答えられなかった。

「あなたが帝国の人であっても、私たちの物語を聞いてくれたことは忘れません。」

遠くから、鍛冶屋の槌音が聞こえる。それさえ、彼には何か悲しげに聞こえるのだった。


その夜、ダオは命令書を再び開いた。

そして、筆を取り、報告書を書き直した。

「部族国家ナムは、帝国の命令に従っております。文化的慣習はすでに廃止され、帝国語が使用されています。従順で、全く抵抗の兆候は見られません」

彼は3日間、報告書を発送しなかった。静かなサボタージュだった。


その後、ダオが任期を終え、転任しても、丘に立つその旗はすぐにボロボロになることを繰り返していた。村人たちは何も言わず、静かにその下を通り過ぎる。


丘の麓の道には、小さな石碑がある。

帝国の武官も文官も気づくことはないが、村人たちはその前で立ち止まり、目を閉じるのだった。

石碑には、部族語でこう刻まれていた。


「従順なれども従わず。」


いつものように、鍛冶屋の槌音が聞こえていた。

どこか悲しく、しかし、何かを伝えるように。


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