第29話「戦う奥様」
聞かなければと分かっていたのに、逃げたままの疑問がある。
(お姉様。どうして私を、オルレアン様の元へ嫁がせたのですか)
――けれどそれを聞いても、優しい姉は笑って答えない気がする。
そして今のアマレッティはそれを正当だと思うし、どうでもいい事だと感じている。
結局は自分だ。
アマレッティがオルレアン・ヴァロアの妻でありたいのか否か、それが大事なのだ。
「――ご冗談を、アマレッティ様。私はあの、各国の猛者が集う博覧祭の剣術トーナメント優勝者ですよ。貴方が剣を持ったところで」
無言でアマレッティはヴァリエに斬りかかった。咄嗟に反応できたヴァリエは流石だ。
ぎいんと嫌な音を立ててアマレッティの剣が真正面から弾かれる。だがアマレッティは体勢を崩すことなく、舞うように下から第二撃を放った。
「――っ!」
「ア、アマレッティ駄目だ! お前、レジーナと約束したんだろうもう人前で剣は取らないって……! ヴァリエもやめろ、アマレッティを傷付けるな!」
「くっ」
軽やかに剣撃を繰り出すアマレッティに押されたヴァリエが、オルレアンをアマレッティに向けて突き飛ばす。
「オルレアン様!」
「いいから指輪を取り返せ!」
瞠目して一瞬手を緩めたアマレッティをオルレアンが怒鳴り飛ばす。反射のようにアマレッティの身体が動き、ヴァリエの懐を剣先が的確に掠った。身を引いたヴァリエの懐から、指輪が転がり出る。
「しま……っ」
アマレッティは脇目もふらず指輪に飛びついた。
指輪に飛び込んだアマレッティの裾を、ヴァリエの剣が追う。ふくらはぎに痛みが走り、アマレッティは転がるようにして指輪を指先に引っかけて、握り締めた。
「僕の胸ポケットに指輪を入れろ早く!」
「は、はい」
血の粒を散らしたアマレッティに、自力で起き上がったオルレアンが駆け寄る。両手が自由にならないオルレアンの胸ポケットに、アマレッティは指輪を挟んだ指を伸ばした。
「オルレアン様、受け取って……!」
指輪が、オルレアンの胸ポケットの中に落ちた。オルレアンが立ち上がる。
「――ラム! 見ただろう僕は指輪を手に入れた、僕がヴァロア公爵だ!」
「汚らわしい王族が」
ヴァリエがうつ伏せに倒れ込んだままのアマレッティに大きく剣を振りかざす。アマレッティの身体がばねのように反応したが、足の怪我が動きを鈍らせた。
「死んで罪を償え――!」
「僕の妻に指一本触れさせるな!」
ざっと風が黒い影を伴って鳴く。頭上に走った音に、アマレッティは思わず身を竦ませた。蹴り飛ばされたヴァリエが吹っ飛び、四阿の石机にぶつかる。高杯が倒れ、盛られていた果物が転がった。チェルトが慌ててヴァリエに駆け寄る。
「ヴァ、ヴァリエ……!」
「――確かに見届けました、オルレアン坊ちゃま。いえ、ヴァロア公爵様」
オルレアンに跪く懐かしい姿に、アマレッティは痛みを忘れて口元を綻ばせる。
「まあ……ラムさん、いらっしゃったんですか。お久し振りです」
「お久しゅう御座いますな、アマレッティ様。よく頑張られました」
温和な笑顔で挨拶をしながら、ラムは手慣れた様子でナイフを取り出しオルレアンの縄を切る。手首を何度か振って、オルレアンはアマレッティの傍らに立った。
「大丈夫か」
「は……はい……痛いですけど……」
「それはそうで御座いましょう。さて、どうされますかオルレアン様」
オルレアンはアマレッティの頬を撫でながら答えた。
「あの馬鹿王子は放っておけば良い。だが僕の妻を傷付けたあの男は別だ。ヴァロア家を逆恨みする革命軍でもあるしな、また馬車を盗まれたり屋敷を放火されても困る」
どうでも良さそうに言い放たれたオルレアンの言葉に、アマレッティは目を剥いた。チェルトも、起き上がったヴァリエの横でぽかんと口を開けている。
「おや鋭い、坊ちゃま。あの男が革命軍の残党だとお気付きでしたか」
「坊ちゃまはやめろと言っただろう。あの女への貸しに丁度良い。どうせそれもあの女の計画の内なんだろうが今は気分が良いから乗ってやる――あの男を捕らえろ、ラム」
「畏まりました」
優雅にラムが一礼した直後、ヴァリエがチェルトの身体を腕で掴み、その喉元に剣を突き付けた。チェルトが一番仰天した顔で硬直する。
「全員動くな!」
「おやおや」
アマレッティがオルレアンに言い渡された課題ができずに泣き付いた時と同じ口調で、ラムがそう呟いた。オルレアンが鼻を鳴らす。
「往生際の悪い」
「黙れ! この外道貴族が……!」
「その外道貴族の力を欲しがっていた事はもう忘れたのか、便利な鳥頭め」
「我らがヴァロア公爵の力を欲しがったのは正義の為だ!」
ヴァリエが憤怒の表情で叫ぶ。
「要人暗殺から武器密売までお手のもの。莫大な資金を融資し貴族や王族に貸しを作り裏から操る、何の思想も正義もない『貸し屋』が何を言うか! 三年前、メディシス王家に資金を貸し付け、金をばらまく薄汚い政策に荷担し、我らの神聖な革命を頓挫させた事を忘れたとは言わせん……!」
初めて聞く話にアマレッティはオルレアンの顔を凝視する。オルレアンは、肩を竦めた。
「ヴァロア公爵家は自分の領地を戦争に巻き込まずに済む方法をとっているだけだ。戦争に巻き込まれて菓子が売れるか」
「そうやってお前らが貯め込んだ財は、苦しむ人々に平等に分け与えるべきだ! 人は」
「生まれに関係なく全て平等であるべきだ、だったか? 相変わらず幼稚な思想だ」
「何」
さっと、ヴェルトの顔色に朱が走った。オルレアンが唇に冷笑を浮かばせる。
「努力した人間が手に入れたものを不平等だと喚いて分け合う。その結果オルゴーニュがどうなったか忘れたとでも? お前達は自分では何もしない決められない、ただ他人からの言いつけとお零れを待つ馬鹿共を作り上げただけだ。オルゴーニュはそうやって衰退し、あのザマだ。自分達の失敗の後片付けもできずに今度はこの国か、学習能力のない豚共が」
「だ……黙れ、失敗などしていない! ただ我々の思想が正しい形で理解されず」
「身分制度に不満を覚え権利を主張するのは結構だ。だがお前らには義務がない。不安や不満を煽るだけ煽って、具体的な解決策も示さず責任も持たない。お前達が今回取った策も卑怯極まりないものだ。僕とその馬鹿を争わせ殺し合いに見せかけて両方始末し、指輪を横取りするつもりだったんだろう? ヴァロア公爵の力をオルゴーニュの建て直しに使いメディシス王家に醜聞を作る、一石二鳥だとな」
オルレアンは辛辣だ。灰青の瞳を冷ややかに眇めて、顎をしゃくった。
「大体、そんな馬鹿を騙してまで通す思想がそんなに立派な訳がないだろう」
チェルトはずっと泣き出しそうな顔でただ呼吸を繰り返している。それは、喉元に突き付けられた剣が怖いからではない。悲しいからだと、アマレッティには分かる。
チェルトはヴァリエに、裏切られたのだ。
ヴァリエが言う所の、高尚な思想の為に。
「だからヴァロア家はメディシス王家を支援すると決めたんだ。お前らにその価値はない」
「……の……!」
とりつく島もないオルレアンにヴァリエが歯軋りして、剣の柄を握り締める。剣先がチェルトの喉元に迫るのをアマレッティは見た――見たのだが、一瞬でその暴挙は霧散する。ラムが投げたナイフが、剣を持ったヴァリエの手の甲に突き刺さる。ヴァリエが悲鳴を上げ、チェルトがその腕から転がり出た。
「チェルト君……あっオルレアン様」
オルレアンがアマレッティから剣を取り上げて、真っ直ぐに歩いた。ヴァリエから解放されたチェルトの前を堂々と横切り、膝を突いたヴァリエの前に立つ。
右手をナイフで貫かれたまま、ヴァリエが先に口を開いた。
「お前の指輪はどこにあるんだ……! お前が持っているのでなければまだ指輪は二つ揃っていない、おかしいじゃないか今からでも奪いにいけば……!」
「それはできない相談だな。僕の指輪は使用人が持っている」
「使用人にだと……っ使用人は指輪の奪い合いに関与できない筈だ、ルールが違う!」
吠えたヴァリエに、オルレアンは冷笑を浮かべる。
「使用人は相手の指輪を奪う事に関与してはならない。だから僕の命令で使用人が僕の指輪を保管する事は、ルールに抵触しない。気付かなかったのか? お前達だって使用人達を上手く使おうと思えば使えた筈だが――典型的な思考停止だ」
しなやかにオルレアンは笑う。
「じ……じゃあお前は、自分が指輪を持っていると見せかけて自分自身を囮にしたのか。どうしてそんな危険な真似を――」
脂汗を滲ませながらオルレアンを見上げたヴァリエの眼前すれすれに、オルレアンは剣を真っ直ぐ突き下ろした。石と石の隙間に剣が嫌な音を立てて突き刺さる。
「僕の趣味だ」
廃園の入り口が騒がしくなっていた。王宮の衛兵達が、居たぞという叫びと一緒に雪崩れ込んでくる。何もかも全て話がついているかのように、衛兵達はヴァリエを取り押さえ、震えているチェルトを保護した。
やはり鞭の方が扱いやすい。
オルレアンは小さく呟き、座ったままのアマレッティに目配せするように子供っぽく微笑んだ。




