終章
衛兵達がまだ慌ただしく現場を駆け回る中で、ラムがまず口を開いた。
「私としたことが、贔屓をしてしまいましたかな。確かにまだ坊ちゃまは指輪を二つ手にしておられない」
「ふん、僕が公爵になるという結果はどうせ同じだ。僕の命令がなければお前達は指輪を誰にも差し出さないだろう。時間の差、死体が出たか出なかったかの差だ」
そう言ってオルレアンもラムもアマレッティを見た。アマレッティは意味が分からず、蜂蜜色の目を瞬く。オルレアンはアマレッティから目を反らさずに、ラムに命じた。
「預けていた僕の指輪を」
ラムが畏まってその懐から子供の指には大きな指輪を差し出す。それを親指に嵌めたオルレアンは、胸のポケットからもう一つの指輪を出した。
「首輪と足枷の代わりをやると、約束したな」
「は、はい」
「これは僕の妻が持つ物だ。いい代わりだろう?」
オルレアンがアマレッティの左手を取る。
右翼の刻印が施された指輪は、すとんとアマレッティの薬指に納まった。
名誉ある騎士団長がチェルト・メディシスを欺き革命軍の闘士として暗躍し、ヴァロア公爵の命を狙った。博覧祭の最中に起きたこの事件は王都中の噂となったが、死人も出ず、大事にはならなかった為に大きな騒ぎにはならなかった。
レジーナ女王は革命軍への毅然とした対応と声明を発表し、手段を選ばぬ革命軍はもはや革命軍ではなく、ただのテロリストだと強く言い切った。テロリストに屈する事なく博覧祭は続行するというレジーナ・メディシスの演説は説得力を持って皆に受け入れられ、五年振りのメディシス王国博覧祭は無事、最終日を迎えた。
「それじゃあラムさんは、殺し屋さんなんですか」
「ああ。うちのお抱え使用人は全員、所謂裏稼業の人間だ。マリーとベリーは詐欺師、カルトは情報屋。ラートは密売人、ポワゾンは闇医者だ。全員凄腕で、自分の後継者も自分で見つけてはヴァロア公爵に仕えさせてくれている。この妙なゲームで契約を見直す事を条件にな」
「……。じゃあオルレアン様は今回指輪を手に入れて、契約し直せたという事ですか?」
「そういう事だ。元は戦争を回避したがった僕のご先祖様が考え出した契約条件らしい。公爵家の血を引いていない者が公爵になってしまう危険性を賭けて、扱いにくい裏稼業の人間を忠誠心の高いヴァロア家専属の使用人にしたんだ。裏稼業の人間は家より個人の能力に惹かれて仕える事が多いからな。それでそういう条件になったんだろう。一応、今の所ヴァロア公爵家はヴァロア家の血を絶やさずに続いているが」
きっとオルレアンの父親も、祖父も、頭が良かったんだろうとアマレッティは思った。
(性格もご趣味も……同じだったらどうしましょう)
考えてから頭を振った。考えない方がいい。
「だからヴァロア公爵家には戦争に巻き込まれない、戦争の勝者を決める力があるなんて話ができあがった。実際はその場その場の情勢を見てどの国に仕えれば有利か、どいつがヴァロア公爵家にとって危険か判断して、使用人を使い予め争いの種を刈っていくんだ。資金を貸し出すのは特によく使う手だな、金の力は大きい」
「……それがヴァロア家の裏の『お貸し屋さん』なんですね。ようやくヴァロア公爵家の秘密が分かりました」
アマレッティは柔らかい枕に頬を沈めて満足して微笑む。オルレアンはその横で本のページを捲りながら尋ねた。
「お前、ちゃんと僕の話を理解しているのか?」
「……あんまりできてないかもしれません」
そうか、とオルレアンはアマレッティのふにゃっとした笑顔を見て、さっさと諦めたようだった。
王宮の奥、アマレッティの部屋は相変わらず静かだ。王都では最後のお祭り騒ぎが繰り広げられているが、オルレアンがそんなものに参加したがる筈もなく、アマレッティも足に怪我をしている為安静を言いつけられている。その結果だとしても、オルレアンがこうして横についていてくれるのが嬉しくて堪らず、アマレッティは先程から顔が崩れっぱなしだ。
「でも良かった、オルレアン様も無事で、チェルト君はお咎めなしで……」
事情を全て聞いた姉はいつも通りの優しい笑顔で、チェルトを罰する事はしないと約束してくれた。ヴァリエの裏切りにチェルトは憔悴していたが、姉に任せれば安心だろう。
そんなアマレッティの安堵を、オルレアンが鼻で軽く笑う。
「レジーナの個人的制裁が待ち受けているだろうが。社会的制裁の方がましだっただろうに」
「まあ……お姉様はそんな酷い事はなさいません」
「そう思いたいならそう思っていろ。ところでお前、レジーナとの約束を破っただろう。良かったのか」
「はい。お姉様は何も仰らなかったです。貴方が自分でそう決めたのならって……」
頑張ったわね。
そう頭を撫でてくれた姉を思い出しながら、アマレッティはシーツを肩まで引っ張り上げた。春先の夜は、少し肌寒い。オルレアンが少し、声量を落とした。
「――お前は、どうしてお前の姉がお前に剣を取る事を禁じたか分かるか?」
「それは……私が小さい頃、チェルト君の振りをして剣術トーナメントに出た事がバレてしまって、色んな人に迷惑をかけたから」
「違う。お前の天才的な剣の腕前が政治的に利用される事を危惧したんだ。お前の大罪とやらは、丁度メディシス王国に革命の兆しがあった頃だった。お前の剣の腕前が公になれば、お前は必ず革命軍と戦う体の良い象徴に押し上げられる。レジーナはそれを心配したんだ」
「……? よく意味が……」
「分からないならいい」
オルレアンはそう素っ気なく言って、説明をやめてしまった。アマレッティはむうっと頬を膨らませる。
「……オルレアン様はひょっとしてお姉様のことがお好きですか」
「は? 気色悪い事を言うな。僕に共食いの趣味はないぞ」
「だって、さっきからお姉様のお話ばかりです。しかもよく分かっている口ぶりで……本当は私みたいな馬鹿より、お姉様が宜しかったんじゃないですか。お姉様が借金を返したら私をここに戻すおつもりじゃ」
枕に顔を半分埋めてアマレッティはすぐに泣き出しそうになる。オルレアンは一瞬だけアマレッティに目を向けてくれた。
「借金の返済には百年かかる」
「ひゃ……」
「お前の姉は金に代えられない妹を嫁にやったんだと開き直って踏み倒す気満々だ。それに僕もそんなはした金に大した執着もない。すぐ稼いでみせる」
堂々と言い切るオルレアンにアマレッティは返す言葉もない。
「分かったら安心して寝ろ。もう明日には帰る」
オルレアンはシーツを更に引っ張り上げ、アマレッティの頭にばさりと被せる。
(帰る)
姉とまた離れるのは寂しいが、その言葉は嬉しかった。すぐにアマレッティはもぞもぞとシーツの中から顔だけを出す。
「じゃあオルレアン様は、私が嫁いできた事を本当はどう思われてるんですか」
「さっきから何だ、お前がそんな事を言えた義理か? お前は何を考えて僕の所へ来た」
痛い所を突かれたアマレッティは、がばりと起き上がる。オルレアンが嫌そうな顔をした。
「大人しくしていろ、怪我人が」
「思い出しました! ちょっと待っていて下さいオルレアン様、大切な話があって……私、肩掛けに刺繍したんです」
包帯を巻いた足を少し引きずりながら、アマレッティはオルレアンへ見せるべく奮闘した勉強の成果を持ち出す。寝台に戻り、色も言葉も散々迷って決めた銀糸の文字が見えるようにして、オルレアンに自信たっぷりに差し出した。
本を開いたまま膝に置き、肩掛けを手にしたオルレアンが眉を寄せる。
「――何だこれは」
「肩掛けです、使って下さい」
「見れば分かる、僕が言いたいのはこの馬鹿丸出しの告白だ!」
オルレアンがアマレッティにも見えるよう広げた肩掛けには、こう告白されている。
『私はスパイです、でももうやめますごめんなさい』
悩んで悩んで、アマレッティがようやく肩掛けに刺繍できた言葉だ。怒られたアマレッティは、神妙に答える。
「スパイをしていたなんて、オルレアン様がお怒りになるのは当然です……でも許して欲しいんです、私、これからは一生懸命オルレアン様の妻として」
「違うそこじゃない。大体、お前はスパイなんかできてないだろうただの一度も!」
「ショックで信じられないのですねオルレアン様……っでも私、お姉様にスパイした事をちゃんとお手紙でご報告していたんです……!」
分かっていなかったとはいえ、オルレアンに対する酷い裏切りだ。ぎゅっと唇を噛んで涙を堪えるアマレッティに、オルレアンは白けた目を向けた。
「その手紙を僕は毎回読んでいたんだが」
「……。あら?」
悲痛な顔をしていたアマレッティは、ぽかんと口を開けて、それからはっと顔色を変えた。
「じゃ、じゃあ私がスパイだってオルレアン様はご存知だったんですかっ……!?」
「……もう何もかもが馬鹿馬鹿しい。とにかく肩掛けはやり直せ。でなければ使わない」
「そ、そんな……」
姉に直談判まで決意した渾身の告白だったのに、鼻であしらわれなかった事にされてしまった。しょぼんとアマレッティが肩を落としても、オルレアンは無視して目を本に向けてしまう。
オルレアンは決してアマレッティを甘やかしたりしない。
「じゃ、じゃあ何を刺繍しましょう……またうなされてしまいます……」
「普通に僕の名前を縫え」
「それじゃあ可愛くないです! そうです、シュークリームちゃ」
「引き裂く」
「しません!」
もはや対象すら限定しないオルレアンの殺意にアマレッティは慌てて言を翻した。もう一度オルレアンの隣で横になり、シーツを顔の半分まで引き上げながら、一つだけ気になっている事を聞いてみる。
「……私、お役に立てましたか」
オルレアンがページを捲ろうとしていた手を、ほんの一瞬だけ止めた。ぱらりとまた一ページ進んだ音が鳴り、オルレアンはアマレッティを見ないまま答える。
「……まあ、それなりにな」
「本当ですか!?」
「だがあまりやるな。危ない」
短く分かりやすいオルレアンの愛情に、アマレッティは満面の笑みを浮かべて下から抱きつく。小さな身体を傾けたオルレアンが眉を吊り上げて怒った。
「邪魔だ! 本が読めない」
「オルレアン様。私、オルレアンの妻としてこれからもいっぱい頑張りますから!」
「お前が頑張ってもろくな事にならないからやめろ! そして寝ろ!」
「そう仰らずに――そうだ、お役に立てたなら何かご褒美を下さい!」
オルレアンが灰青の目を丸くした。オルレアンの胸に縋りながら、アマレッティは懇願する。
「そうしたら大人しく今日は眠ります」
「……僕相手に交渉か、良い度胸だ」
「そ、そういうつもりでは――そうです、私あの幻のプリン・ア・ラ・モードが食べた」
言葉が途中で途切れた。
唇に一瞬の柔らかい感触。きっと幻のプリン・ア・ラ・モードより甘い。
オルレアンの顔を下から覗き込んだ体勢のまま、アマレッティの身体が固まる。ぺろりとアマレッティと重なり終えた唇を舐めて、オルレアンが意地悪く笑った。
「約束だ。もう眠れ」
オルレアンの首に回していた両腕を解き、アマレッティは慌ててシーツの中に貝のように潜り込んで丸まった。
全身が燃え上がるように熱い。幸せで蕩けそうだった。顔を見せられない。
明日も明後日もずっとオルレアンと一緒に居るのに、これから先大丈夫だろうか。
不安だったが、アマレッティはおやすみなさいと、口の中だけで紡ぐ。おやすみとオルレアンが何もかも見透かしたように、静かに返してくれた。




