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お菓子の国のアマレッティ  作者: 永瀬さらさ
短編

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32/41

後日談1「旦那様と結婚式をしてません」

 その日、お菓子の国の城であるヴァロア社が大音響で揺れた。


「オルレアン様ーーーーーーーーーッッッ!!!!! アマレッティですぅ!!」


 ちゃんと名乗って社長室の扉を開いたが、夫の姿は見当たらない。

うるっと目を潤ませたアマレッティは次々に扉を片っ端から開いていく。扉を開いては次へいく社長の妻に社員はぎょっとしたあと、その行動をおそるおそる部屋から顔を出して眺めていた。

「オルレアン様、オルレアン様どこですか!? オルレアン様!」

 廊下の突き当たりの扉を思いっきり開いたら、やっと夫を見つけた。見知らぬ紳士と握手をしようとした体勢のまま、会議室の一番奥にいる。

 あからさまに商談中の空気をひとかけらも飲み込めず、アマレッティはオルレアンに突進した。

「オルレアン様、やっと見つけました! 大変です、あの、あの」

「失礼、妻です。なにがあった」


「わ、私、オルレアン様と結婚式をしてないです!!」


 涙目で訴えると、会議室が静寂に包まれた。

「け、結婚式を挙げないと夫婦じゃないですよね!?」

「……」

「そんなの嫌です、アマレッティはオルレアン様の妻です……!」

「……。言い残すことはそれだけだな?」

 反射運動よろしく一気に壁際まで後ずさったが、もう遅かった。

 客人の前だからか、オルレアンは清々しい微笑みを向ける。だが笑顔もさわやかすぎると怖いということを、この日初めてアマレッティは知った。




「なるほど、つまりはこういうことか」

 ぱしんぱしんと愛用の教鞭を掌で鳴らし、寝室の中を歩き回りながらオルレアンが確認する。

「昼間、貴婦人共のお茶会に招かれたお前は、とあるご令嬢に結婚式のことを尋ねられ、挙式していないことに気づいた」

「は、はい、そうです」

「そうすると、ひょっとしてまだ僕との婚姻が成立していないのではないかと笑われた」

「そ、そうですっ……私、びっくりしてしまって……!」

「そしてお前は大事な商談中の僕のところへ飛び込んできた、と」

 ぱしんっとひときわ鋭く鳴った鞭の音に、アマレッティは寝台の上で首をすくめた。けれど懸命に、両腕に大事なお友達のぬいぐるみを抱き込んで逃亡をこらえていると、オルレアンがぐるりと振り向いた。

「どいつがいい?」

「ゆ、許してくださいオルレアン様……っ! シュークリームちゃんもババロアちゃんも悪くないんです……!」

「僕はどいつがいいか聞いているんだ。それとも全員か?」

 ぶんぶんと首を振ると、そのはずみで腕からころりとシュークリームのぬいぐるみが転げ落ちた。あ、と思った時にはオルレアンがそれを片手にがっしりとつかんでおり、口角に加虐的な笑みが浮かぶ。

「シュ、シュークリームちゃん……っ!」

「僕は何度も言ったな? お前が妻だと。この僕がそう言ったのにお前は信じなかったんだな?」

「で、でも結婚式が」

「言い訳するな! 天井から吊るすぞ、返事!」

「わ、分かりましたオルレアン様……! アマレッティは天井から吊るされます、だからどうか、シュークリームちゃんを返してくださいぃっ」

「坊ちゃま。奥様は本日初めてお茶会にヴァロア公爵夫人として参加なさったのです。その労もいたわらなず、このような振る舞い。いささか気遣いが足りないのでは?」

 就寝の準備を整えながらラムが口を挟む。オルレアンがぎろりと家令に目を向けた。

「馬鹿な妻のせいで大事な商談をふいにするところだったんだぞ」

「そうやって坊ちゃまが稼ぐ分、アマレッティ様がやっかみの集中砲火を浴びておられますな。やれ結婚式を挙げてないのは正式な夫婦ではないからだとか、若い男性は年上の妻なんてすぐ飽きるだとか」

「……」

「その集中砲火の結果、こうなるアマレッティ様は大変可愛らしいと思われませんか」

「……」

「そもそも結婚式を挙げてらっしゃらないのは、ひとえに坊ちゃまが身長を」

 禁句の言葉を鞭のしなる音が遮った。だがラムは余裕の笑みを浮かべ、失礼しましたと退室を申し出る。

(ああっそんな、身長の話をした後のオルレアン様と二人きりなんて……!)

 ぶるぶる震えてしまうが、オルレアンは氷のような空気をまとったまま動かない。おそるおそる、声をかけてみた。

「……あ、あの……オルレアン様?」

「……。立て」

「は、はいっ」

 寝台からおり、オルレアンの真正面に立つ。するとオルレアンが一歩詰めてきた。アマレッティの胸の高さくらいに、オルレアンのつむじが見える距離だ。寝間着姿なので靴の高さがない分、いつもより少し近く感じる。

「……結婚式は三年後だ」

「えっ?」

 どこからそういう話になったのか分からず首を傾げる。すると睨まれた。

「僕の決定が不服か」

「いっいえ! 結婚式……していただけるのですか……?」

「しないとは言ってない」

 じわりとこみあげてくるのは嬉しさだ。と同時に、疑問がわいた。

「でも、どうして三年後なんですか?」

「疑問を持つなら空中ブランコを覚えておらおうか」

「持ちません! 三年後です、分かりました!」

「ふん。結婚式がなんだ。既にお披露目も公言もしているし結婚証明書だって発行されている。法的に条件を満たしているのに、夫婦じゃないわけがないだろう」

 ぶつぶつ言い訳のように呟いているオルレアンに目をぱちぱちしていると、今日のお茶会を思い出した。

「そういえば――オルレアン様。火事のあとはまた寝室が別ですよね。夫婦は毎晩一緒に寝るものだと皆さんが」

「却下、三年後だ」

「ど、どうしてまた三年後なんですか」

「空中ブランコか、このぬいぐるみか」

「分かりました!」

 間髪入れずに頷くと、オルレアンがやっとシュークリームちゃんを解放してくれた。大事なぬいぐるみを抱き締めて安堵していると、オルレアンが両腕を組んでアマレッティを見上げる。

「そのかわり、明日から朝、僕が出かける時には見送りのキスをしにこい」

 まじまじオルレアンを見たあと、ぱあっと目を輝かせた。

「そ、それは、いってらっしゃいのキスですか!?」

「――まあ、そうだ。やりたいなら許してやる」

「やります! ど、どうしましょう、いってらっしゃいのキスだなんて、夫婦みたいです……!」

「ちなみに明日の僕の出発は朝の四時だ」

 赤らんでいた顔が一気に青ざめた。にやりと笑ったオルレアンが、一歩離れて教鞭の先を揺らす。

「お前は僕の妻だ。できるな?」

「わ……分かりました。起きます……っアマレッティは頑張ります! ……あの、でも明日だけですよね?」

「さあ、仕事が立て込んでいるからな。もっと早くなるかもしれない」

「そ、そんな……っ!」

「じゃあ僕は休む。お前もさっさと寝ろ」

「あ、オルレアン様!」

「まだ何かあるのか」

 振り向いたオルレアンに、こくりと喉を鳴らし、シュークリームちゃんを抱き締めた。

「あ、あの……お、おやすみのキスは……」

「――僕に要求する気か?」

「ひっそ、そうですよね! すみませ――」

 言葉の途中でどんと押された。あっさり体が傾き、アマレッティは背後の寝台に腰掛ける形で体勢を崩してしまう。

「オルレアン様?」

「お前はいつも僕より下にいろ」

 ささややきに顔を上げると、額の髪をかき上げられ、影が落とされた。

 ふわりと額に軽く落ちたのは、オルレアンの唇だ。


「そうしたら一生、可愛がってやる」


 居丈高にそう言い放ち、オルレアンは踵を返す。

 ぼうっとそれを見送ったアマレッティは、シュークリームちゃんを抱き締めたまま寝台の上でごろごろ転がった。




 ――その翌日。

「……それで、お前は四つん這いでこれから生きていくことを決めたと」

「はい! これならいつだってオルレアン様の下にいられます……!」

「いい心構えだ。離縁してやる」

 どうしてですか、とヴァロア公爵邸に朝の四時から奥様の悲鳴がこだました。

 ただ、『オルレアン様の背が早く伸びますように』と旦那様が出発したあとで願ったのは、奥様にしては賢明であった――とヴァロア家の使用人達は語り合ったという。




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