第28話「奥様の選択」
「いたっ……!」
大きな影がアマレッティの視界を覆い、あっと思う合間にヴァリエに胡桃色の髪を乱雑に掴み上げられた。
「ヴァ、ヴァリエ! アマレッティに酷い真似は……っ」
「坊ちゃま、目的を果たす際には冷徹さも必要です。勿論、殺しはしません。殺しはしませんが少々痛い目に遭って頂く」
アマレッティの目の前に、抜き身の剣が日の光を浴びて綺麗に光った。アマレッティは声を飲み込み、オルレアンを見る。
オルレアンも、アマレッティを見ていた。
自分にできる事は分かっていた。分かっているのに、アマレッティは迷う。
(オルレアン様)
アマレッティがどうすればいいのか教えて欲しい。たった一言でいい。オルレアンが何とかしろと、言ってくれれば――助けてくれと言ってくれれば。
「分かった」
縋るようなアマレッティには何も言わず、オルレアンは即断した。チェルトが目を瞬き、ヴァリエが怪訝そうな顔をする。
「……嘘や誤魔化しはききませんよ」
「自分の事なら我慢もできるが、それ以外は別の話だ」
「オ――オルレアン様……」
絶望的な気持ちで、アマレッティはそれを聞いた。オルレアンが決めた事なのに素直に従えず、首を横に小さく振る。
(それではオルレアン様が危ないです)
ならば自分はどうするのだ。自問自答に視界が意味もなく揺らいだ。涙を浮かべたアマレッティに、チェルトが狼狽える。
「ア……アマレッティ……」
「指輪はここにはない」
「では貴殿に指輪の在処まで案内して頂く事にしよう」
チェルトの狼狽を見て取ったヴァリエが早々とアマレッティから剣を引いた。
「チェルト様、やりましたな。私めが取りに行って参りますので、しばしお待ちを」
「え……あ……」
ヴァリエに突き飛ばされたアマレッティは石畳の上を転がる。手の平が擦れて、赤く血が滲んだ。
(痛い)
しゃくり上げながらアマレッティは上半身を起こす。戻ってきたヴァリエに、チェルトが迷いながら一歩踏み出した。
「ヴァ……ヴァリエ、こういうのは良くないんじゃないのか……」
「今更何を仰います」
「だ、だって……アマレッティが泣いて……」
「それよりもチェルト様、指輪を。私がお預かりします。こ奴の指輪を取りに行っている間、私は坊ちゃまをお側で守れません。何の罠があるとも分からない、他にも狙っている連中がいるかもしれない。チェルト様がそのようにご自身で指輪を持っているのは危険です」
にこやかにヴァリエが手を差し出す。突然の申し出にチェルトがアマレッティと同じ蜂蜜色の目を、何度も瞬いていた。
「渡すな」
そう低く警告したのは、オルレアンだった。ヴァリエが顔を顰め、チェルトが振り向く。
「お前がなりたいんだろうヴァロア公爵に。なら渡すな。指輪を二つ揃えられた瞬間に、そいつがヴァロア公爵になるんだぞ」
「チェルト様、耳を貸してはなりません。何かの罠やも」
「ぼ……僕は……」
「私は坊ちゃまの忠実な部下です。坊ちゃまもそれをご存知だからこそ、真っ先に指輪の件を相談して下さったのではないですか」
チェルトが指輪を握り締めたまま、ヴァリエを泣き出しそうな顔で見た。それにヴァリエは笑顔で頷き返す。
「大丈夫ですチェルト坊ちゃま。私めに全てお任せ下さい。坊ちゃまは何もなさらなくても、全て私が良いように致しましょう」
アマレッティにはチェルトの心の動きが手に取るように分かった。迷っているのだ、何かがおかしいと感じている。分かっている。
けれどそれを直視できない。理解したくない。
だから投げ出す。何も自分で決める事ができずに。
チェルトが何かを恐れるようにそっと指輪をヴァリエの手に乗せた。ヴァリエは満足気に頷き、オルレアンを柱に縛り付けていた縄を、一閃して斬り捨てる。
「立て。おかしな動きをすればその場で斬り捨てる」
「……」
「オ、オルレアン様」
両手首を縛られただけの状態になったオルレアンは、ヴァリエに従って立ち上がった。
「この状態の僕を城内で連れ回す気か?」
「城内に入らずともこの廃園は王城の外にも繋がっている。そうだ、レジーナ女王に横入りされないよう、アマレッティ様には証言をお願いします。オルレアン様は急な仕事で王都を出てしまったと――宜しいですかな?」
「そ、そんな。オルレアン様をどうするおつもりですか」
「しばらく私めと一緒に指輪探しです。何、この方が大人しくして下さればすぐ済みますよ。命までとりません。安心してアマレッティ姫はお待ち下さい。さあ、行きましょうか」
口調の丁寧さとは真逆に、ヴァリエはオルレアンの腕をぐいと乱暴に掴み、引きずり始めた。四阿の奥に消えようとする背中に、アマレッティは思わず立ち上がる。
「オルレアン様!」
「――大人しくしてろ馬鹿が」
三歩アマレッティが駆け寄った所で、オルレアンが背中を向けたままそう言った。
「大丈夫だ。一人で何とかできる」
「で、でも危ないです……何があるかっ」
「だとしても、僕の責任だ」
せきにん、とアマレッティは口の中でだけ繰り返した。
このまま大人しく待っていればオルレアンは無事戻ってくるのかもしれない。頭の良いオルレアンの事だ、既に策を打っていて、指輪も揃えてくるかもしれない。それにアマレッティが泣き付けば姉が全て何とかしてくれる気がした。オルレアンの命も、指輪も、アマレッティが誰の花嫁であるのかも。
(だから私ができることなんて……何もしない方がむしろお邪魔にならない……)
アマレッティのように何かを放り出したまま立ち尽くしているチェルトの腰には、剣がある。
姉と約束した。
もう決して、人前で剣は振るわないと――自分の命の危険がない限り。
このまま見送れと、今までの自分が耳元で囁く。失敗したらどうする。失敗して周りにどれだけ迷惑をかけたのか、忘れたのか。オルレアンだって大人しくしていろと言っている。
――そうして流されて流されて、オルレアンの役に立てなくても仕方がないのだ。
オルレアンの妻でなくなっても、仕方がないのか。
「大人しくお待ち下さい。この方のご無事を願うならね」
ヴァリエがにこやかに念を押し、オルレアンの背中を押す。
オルレアンが歩き出した。アマレッティとは別の未来に向けて、アマレッティを置いていく。
(私……何もできなくて、ごめんなさ)
――アマレッティの返事は三択。そこに謝罪はない。
「――っアマレッティ!」
声を張り上げたチェルトに、オルレアンとヴァリエが振り向く。
重なり合う葉の隙間を縫う光に、すらりと引き抜かれた剣が煌めいた。顔を凛と持ち上げ、蜂蜜色の瞳を一点に定める。真正面から受け止めた風が、胡桃色の髪をぶわりと持ち上げて白いレースの裾を揺らした。
「愛しています、オルレアン様」
素足の裏を冷たい石畳に踏みしめ、アマレッティはチェルトから奪い取った剣を握る。
姉との約束を破って――これは自分の意思だ。
「私はアマレッティ・ヴァロア。オルレアン・ヴァロアの妻です」
名乗りを上げたアマレッティを祝福するように、さあっと光が空から降り注ぐ。振り向いたオルレアンの眼差しが眩しそうに細められた。
「指輪もオルレアン様も、返して頂きます。お相手下さい、ヴァリエ様。私は――私はオルレアン様の妻でいたい」




