第7話 一万体の魔物包囲網と、ナポリの土曜の夜を思い出す「四百枚の折り畳みピッツァ(ア・ポルタフォリオ)」
だが、王都の平和はわずか三日しか続かなかった。
四日目の夜明け、王宮の緊急警報の鐘が王都ソラリア全体に鳴り響いた。
完全武装したレオ、ゴラン、エレナ、ヴィクトルの四人が、血相を変えて俺のピッツェリアへと飛び込んできた。
「アンジェロ師匠、国家非常事態です!」とレオが息を切らして叫んだ。「北の火山地帯から、全長百二十メートルの災厄級魔物『大地の装甲リヴァイアサン』が出現し、一万体の魔物軍団を率いて国境の『鉄壁の砦』を包囲しました!」
「現在、王国最強の精鋭部隊である『近衛盾兵団の四百人の戦士たち』が最前線の城壁で食い止めています!」と大魔導士ヴィクトルが通信宝珠を見ながら続けた。「ですが、奇襲によって兵糧庫が焼かれ、四百人の戦士たちは冷たい豪雨の中で十六時間も飲まず食わずで戦い続けています! 我々四人が今から軍用転移陣で救援に飛びますが、四百人の前衛が飢えと魔力切れで倒れれば、城門が突破されて王都まで踏み潰されます!」
俺は無言でエプロンの紐を締め直し、厨房の奥から自分の商売道具一式を掴んでレオの前に立った。
「おい、その最前線で盾を構えて踏ん張ってる一番強い戦士たちは、全部で何人だ?」
「きっちり『四百人』です、アンジェロ師匠」とゴランが答えた。
「よし。俺もその転移陣に乗せろ。今すぐだ」
「えっ!? で、ですが師匠、鉄壁の砦は今まさに一万体の魔物に囲まれて、空から火炎岩や酸の雨が降り注ぐ戦場のど真ん中ですぞ!」とエレナが悲鳴のような声を上げた。「戦闘スキルのない師匠が行けば命が……!」
「外の化け物どもを斬るのはお前ら四人の仕事だ」
俺は静かに、だが一切の反論を許さないプロの目で四人を見据えた。「そして、自分の厨房の中で戦うのは――俺の仕事だ。行くぞ!」
五分後、軍用転移陣の閃光が消えると、俺たちは『鉄壁の砦』の内部広場に立っていた。
そこはまさに地獄だった。空は火山灰で黒く染まり、凍えるような豪雨が血と泥の地面を叩きつけている。半壊した城壁の向こう側からは、一万体の魔物の咆哮と、山のように巨大な『大地の装甲リヴァイアサン』が城門に体当たりする轟音が響き渡っていた。
城壁の上では、レオたち四人がすぐさま加勢に飛び出したものの、守りの要である『四百人の近衛盾兵団』の戦士たちが限界を迎えていた。十六時間の連続戦闘と極度の飢えで足が震え、剣を握る手から力が抜け落ち、今にも防衛線が崩壊しようとしている。
俺は城壁のすぐ裏手、泥濘の広場の中央に足を踏みしめ、腹の底から叫んだ。
「――開店だァッ!!」
――ゴォォォォンッ!!
飛来する火炎岩をガラス窓で小石のように弾き飛ばしながら、戦場のど真ん中に俺の【伝統のナポリピッツェリア】が出現した。
俺は厨房に駆け込むと、一瞬で戦況を計算した。
もし普通の皿盛りのピッツァやパッパルデッレを作っていたら、四百人分を作るのに三時間はかかる。それでは砦が落ちる。
しかも、外の豪雨と乱戦の中で戦っている兵士たちは、両手が塞がっていて皿なんて持てない。必要なのは――『通常の半分近いサイズで一度に大量に窯へ入れられ、45秒で焼き上がり、片手で盾を持ったまま三口で喰える超高カロリーの爆弾』だ!
答えは一つしかなかった。
ナポリの狭い路地裏で、働く男たちが歩きながら片手で食べるために生まれた伝統のストリートフード――『ピッツァ・ア・ポルタフォリオ(四つ折りピッツァ)』だ!
通常の280グラムの生地ではなく、少し小ぶりな160グラムの生地玉を使う。これなら直径が少し小さくなる分、俺の485℃の薪窯の床に『一度に八枚同時』に並べることができ、しかも生地が薄いから【1回45秒】の超高速回転で焼き上げられる!
俺はコックコートを脱ぎ捨ててTシャツとエプロン一枚になり、まずは『業務用スパイラルミキサー』に五十キロの石臼挽き小麦粉と湧き水、天然酵母をぶち込んでフル稼働させた。
同時に『無限業務用冷蔵庫』を開け放つ。そこには、俺が毎日欠かさず仕込んで熟成させておいた何百個もの生地玉の箱と、ヒュドラと皇帝竜猪の骨髄とスペアリブと豚皮を煮詰めた『超高濃度・魔物骨髄ラグー』の大寸胴、山のような『水牛のモッツァレラ』、そして削りたての『24ヶ月熟成パルミジャーノ・レッジャーノ』がスタンバイしていた。
俺は乾いたブナの薪を窯に放り込み、窯の温度を限界突破の【490℃】まで引き上げた。ドームの天井が熱で真っ白に輝く。
「一万体の魔物だか何だか知らねぇが、俺の客を腹ペコで死なせてたまるかよ……!」
そこから、俺一人の「戦争」が始まった。
――パン、パン、パパパンッ!
白大理石の上で、俺の両手が目にも留まらぬ速度で舞った。
二十秒で八枚の生地を伸ばす! お玉ひと振りでサン・マルツァーノのトマトソースと濃縮骨髄ラグーを塗り広げ、24ヶ月熟成パルミジャーノ、水牛のモッツァレラ、バジル、オレガノ、オリーブオイルを散らす!
パーラに八枚乗せ、490℃の炎の渦の中へ一気に滑り込ませる!
外ではレオとゴランが血を流しながら魔物の群れを斬り伏せている。
中では、490℃の熱波が俺の眉毛を焦がし、滝のような汗がTシャツを濡らし、前腕の筋肉が悲鳴を上げた。
15秒、30秒――鉄のパーラで八枚のピッツァを神業のように高速回転させ、45秒きっちりで窯から一気に引き出す!
そして、ここからが『ア・ポルタフォリオ(財布折り)』の真骨頂だ。
俺は焼きたてのピッツァを【ピッツァイオーロの保温包み紙】の上に置くと、湯気で手のひらが真っ赤に火傷しそうになるのも構わず、まず半分(半月型)に折り、さらにもう半分(扇形の四つ折り)へと一気に折りたたんで紙で包んだ!
こうすることで、中の490℃で溶けたモッツァレラと骨髄ラグーとパルミジャーノの熱々の奔流が生地の内側に完全に密閉され、外側は片手で握れるクレープのような形になる!
「最初の四十枚だ! 最前線の盾兵たちに今すぐ配れェッ!」
俺はカウンターの窓から、負傷して後方にいた見習い兵士たちに熱々のバスケットを渡し、息をつく間もなく次の八枚を大理石の上に広げた。
八十枚……百五十枚……二百四十枚!
一秒たりとも手を止めない。ミキサーが唸りを上げ、小麦粉が戦場の硝煙のように厨房に舞い、窯の炎が俺の顔を赤く照らし出す。
腕が鉛のように重くなり、肺が熱気で焼けつくようだったが、俺の口元には自然と獰猛な笑みが浮かんでいた。
「ハッ、悪くねぇな! 一秒も休まずに何百枚も焼き続けるこの地獄の忙しさ……ナポリのピッツェリアの『土曜の夜』を思い出すぜ!!」
俺が汗を振り飛ばしながら三百枚目を折り畳んだその瞬間、俺の魂の熱量に呼応して、目の前のステータス画面が黄金の火花を散らして進化した!
【極限状態における単独連続調理を確認:『ナポリの土曜の夜の死闘』】
【新規最高位スキル覚醒:『ナポリの倍増窯』】
効果:戦時下においてアンジェロが一人で焼き上げ、四つ折り(ア・ポルタフォリオ)にしたピッツァは、職人の魂の熱量を宿す。食べた全ての戦士に対し【疲労の完全消去】【魔力・体力の100%即時回復】および【全戦闘能力+300%(3倍)の限界突破】を付与する!
「三百八十……三百九十……これで『四百枚』だァッ! 全部持ってけェッ!!」
俺が最後のバスケットを突き出すと、見習い兵士たちが城壁の上へと全力で駆け上がっていった。
その時、城壁の上では、四百人の近衛盾兵たちが泥の中に片膝をつき、今にも『大地の装甲リヴァイアサン』の巨体に踏み潰されようとしていた。
そこへ、茶色い保温紙に包まれた四百個の『ピッツァ・ア・ポルタフォリオ』が配られた。
「総員、左手で盾を構えたまま、右手の包みを今すぐ食え!! アンジェロ師匠がたった一人で俺たち四百人のために焼き上げた命のピッツァだァッ!!」
剣聖レオの号令とともに、四百人の精鋭戦士たちが一斉に、湯気を立てる四つ折りピッツァの先端にガブリとかぶりついた。
――バリッ、ジュワァァァァァッ!!
凍てつく豪雨の戦場で、四百人の口の中に490℃の窯の熱気と、とろける水牛モッツァレラ、24ヶ月熟成パルミジャーノ、そして濃縮された骨髄ラグーの旨味が一気に弾けた!
次の瞬間――。
――ドゴォォォォォォォンッ!!
鉄壁の砦の城壁に沿って、なんと『四百本の黄金と真紅の光の柱』が同時に天へと噴き上がり、空を覆っていた黒い暗雲を一撃で吹き飛ばしたのだ!
兵士たちの傷が瞬時に塞がり、凍えていた筋肉にナポリの炎のような力が宿り、重くて持ち上がらなかった大盾が羽のように軽くなる!
「「「うおおおおおおおっ!! 力が、魔力が3倍以上に溢れ出てくるぞォッ!! アンジェロ師匠とナポリピッツァに栄光あれェェッ!!」」」
片手に四つ折りピッツァを握りしめ、もう片方の手で剣と槍を構えた四百人の超人軍団が、レオ、ゴラン、エレナ、ヴィクトルの四人と共に城壁から飛び降り、一万体の魔物軍団に向かって逆突撃を開始した!
俺は首に濡れタオルをかけ、湧き水をラッパ飲みしながらピッツェリアの入り口に寄りかかり、片手でピッツァを食いながら一万体の魔物をゴミのように蹴散らし、レオの一閃で百二十メートルのリヴァイアサンを真っ二つに切り裂くその光景を、満足げな笑顔で眺めていた。




