巻一:神仙(その一)
〜老子、木公、広成子、黄安、孟岐の物語〜
古代中国の神秘とファンタジーが詰まった『太平広記』。その幕開けを飾る、途方もないスケールで描かれた五人の仙人たちの物語を、現代の小説風に紐解いていきましょう。
老子〜謎多き「最強の仙人」〜
老子という人物については、実に不思議な噂が絶えない。
彼の本名は李耳、字は伯陽という。楚の国の生まれだが、その誕生エピソードからして常識外れだ。
母親が大きな流れ星のオーラを浴びて身籠もったとか、天地が生まれる前から存在していたとか、さらには「母親の胎内に72年間も留まり、左の脇の下から白髪の老人の姿で生まれてきた」ため、「老子(老いた子供)」と呼ばれるようになった、などと言われている。
また、時代ごとに名前を変え、黄帝の時代には「広成子」として、またある時は「范蠡」として歴史の裏で活躍していたという伝説もある。
しかし、仙術の大家である葛洪はこうバッサリと切り捨てる。
「老子が人間ではなく神や精霊だなんてのは、後世の人間が彼を神格化しすぎたせいだ。彼だって元は人間であり、ひたすら道を究めて仙人になったのだ。ハナから神様だったなら、我々普通の人間が仙術を学ぶ意味なんてないだろう?」
孔子との出会い
あの有名な儒教の祖・孔子も、かつて老子のもとを訪ねて教えを乞うたことがある。
しかし、老子は孔子に対して容赦がなかった。
「君のその傲慢な態度と、多すぎる欲望、そして野心を捨て去りなさい。そんなものは君にとって何の役にも立たない」
孔子が「仁義」について熱く語ると、老子はこう一蹴した。
「蚊やアブに肌を刺されて一晩中眠れないのと同じように、その『仁義』とやらは人の心をざわつかせ、乱す最悪の害悪だ。白鳥は毎日水浴びをしなくても白いし、カラスは毎日墨で染めなくても黒いだろう? 天地や星々、草木が自然のままであるように、君も自然のままに行動すればいい。わざわざ太鼓を叩いて逃げた羊を探し回るような真似(仁義を説き回ること)は、人間の本質を狂わせるだけだ」
圧倒された孔子は、家に帰ってから三日間、一言も口をきけなかった。そして弟子にこう語ったという。
「鳥は撃ち落とせる。獣は網で捕らえられる。魚は釣り上げられる。だが、雲に乗って天を駆ける龍だけはどうにもならない。老子はまさに龍だ。私は口を開けたまま塞ぐこともできず、ただ圧倒されるしかなかった」
トンデモ金銭トラブル? 徐甲の復活劇
老子が西の関所を越えて旅に出ようとした時のこと。関所の役人である尹喜は、彼がタダモノではないと見抜き、弟子入りを志願した。
実はこの時、老子には徐甲という若い使用人がいた。彼は老子のもとで長年働いていたが、給料が720万銭も未払いになっていたのだ。徐甲は老子が関所を越えてどこかへ行ってしまうと焦り、役人の尹喜に「未払い賃金を請求してくれ」と訴え出た。
それを聞いた老子はため息をつき、徐甲に言った。
「お前はとっくの昔に死ぬ運命だったのだ。私が雇った時、お前はあまりに貧しく可哀想だったから、『太玄清生符』というお札の力で今まで生かしてやってきたというのに……。まあいい、口を開けて地面を向きなさい」
徐甲が言われた通りにすると、彼の口からポロリとお札がこぼれ落ちた。その瞬間、徐甲の肉体は崩れ去り、ただの白骨死体になってしまったのである。
これを見た尹喜は驚き、慌てて老子に土下座して命乞いをした。「どうか彼を許し、生き返らせてあげてください! お給料は私が代わりに払いますから!」
老子が再び白骨にお札を投げ入れると、徐甲は元通りの生身の人間に戻った。尹喜は約束通り200万銭を徐甲にポンと支払い、彼を解雇した。
その後、老子は尹喜に「道徳経」五千文字を書き残し、いずこかへと去っていったという。
木公〜東の空を統べる男神〜
木公は、「東王父」や「東王公」とも呼ばれる、万物の始まりのエネルギーから生まれた神仙だ。
紫の雲を傘にし、青い雲を城壁とした天空の宮殿に住んでいる。彼のもとには何億もの仙童や玉女(天女)たちが仕え、世界中の「仙人になった男たち」のリストを管理している(ちなみに女性の仙人を管理するのは西王母である)。
彼は時折、天女たちと「投壺」(壺に矢を投げ入れる古代のダーツのような遊び)をして遊ぶ。彼らが矢を見事に壺に入れると、天は「ハハハ!」と笑い(これが雷や天候の変化になる)、矢が外れると天は鼻で嗤うという。なんともスケールの大きな遊びである。
広成子〜1200歳を超えても衰えないマスター〜
広成子は、崆峒山の石室に引きこもっている古代の仙人だ。
ある時、天下を治める黄帝が「究極の真理(至道)」を教えてほしいと彼を訪ねてきた。
しかし広成子は「お前が天下を治めてから、鳥は季節を待たずに飛び去り、草木は秋を待たずに枯れるようになった。そんな底の浅いお前に、究極の真理など教えられるか」と追い返してしまう。
黄帝は諦めず、政治から離れて三ヶ月間心を清め、再びひざまずいて教えを乞うた。
すると広成子はこう答えた。
「究極の道とは、深く暗く、見えず聞こえないものだ。精神を集中させて静寂を保てば、肉体はおのずと整う。外からの刺激を遮断し、知識をひけらかすな。私は自分の内なる調和を守り抜いた。だから1200歳になっても、この肉体は全く衰えていないのだ」
黄安〜万年を生きるおしゃべりな門番〜
黄安は代郡のしがない門番だった。見た目は卑屈で冴えない男だが、いつもムチを持ち、地面に何かを書いては計算ばかりしていた。夜になると、彼が地面に書いた跡が池になったという。
80歳を超えても子どものような若々しい見た目をしており、朱砂(水銀の鉱物)を飲んでいたため、全身が真っ赤だった。冬でも服を着ず、体長1メートルほどの巨大な亀の上にちょこんと座っていた。
ある人が「その亀、何歳なんですか?」と尋ねると、黄安はニヤリと笑って答えた。
「昔、伏羲(ふっき:古代の神)が網を発明した時に捕まえた亀をもらったんだよ。こいつは太陽や月の光を嫌って、2000年に一度だけ甲羅から頭を出すんだ。俺はこいつの上で、すでに5回も頭を出すのを見ているよ」
つまり、黄安は少なくとも1万年は生きている計算になる。彼は歩く時もその亀を背負ってトコトコと走っていたそうだ。
孟岐〜歴史の生き証人〜
孟岐は清河という土地に住む、御年700歳の隠遁者だ。
彼に周の時代の初期(数百年前)の話を聞くと、まるで昨日見てきたかのように鮮明に語ってくれる。
「周公旦様が儀式のために祭壇に登った時なんて、俺はその横で成王様の足をマッサージしていたんだぜ。その時、周公旦様からこの玉の笏(しゃく:儀式用の細長い板)をいただいたのさ」
彼はその笏を宝物にし、常に服の裾でキュッキュッと磨き続けていたため、元々厚みがあった笏は、今では折れそうなほどペラペラに薄くなってしまっていた。
彼は桂の葉を主食にしており、後に仙術を愛好する漢の武帝に手厚く迎えられたが、やがてどこかへふらりと姿を消してしまったという。




