決意
桐谷がこの学校に来たのは、偏差値が自分にあっていたからでも、特有の資格が取れるからでもなかった。彼はただ一つの目的からこの高校に来た。目的とは自分の幼馴染であり、恋人であった篠田夏樹が中学時代に自殺したから。自殺の原因は、ありきたりかつ社会に溢れている病魔、いじめだった。いじめの主犯である木下友則と吉沢咲がこの学校を志願していると知った桐谷は親の反対を押し切って自分の偏差値よりも低い、この高校を受験した。夏樹という最愛の人物を失った桐谷にとって人生などクズほどの価値も有していなかったのだ。高校に入っても吉沢の悪意に満ちた行動はとどまることを知らず、人を傷つけ続けた。桐谷の憎悪は限界に達しついに萎えた。桐谷は呆れ、哀しんだ。こんなにも血も涙もない者がいるのだと。そして、そんな顔をほとんどの人物が裏に隠し持っていたことを。しかし、桐谷は憎悪でも憤怒でもなく、もう二度と夏樹のような人物を出さないためにも何かしなければならないと考え続けてきた。しかし高校に入って2年、桐谷は行動を起こせずにいた。
体育教師が言おうとしたことを思い出そうとしている間、村川は地獄のような時間を味わうこととなった。早く違うと言ってくれ。それだけを心の中で念じ続ける。あまり眠れなかったせいで気分が悪く、脂汗が背を伝うのがわかった。村川は吐きそうなのをぐっとこらえて、体育教師の言葉を待った。ようやく体育教師が髭で覆われた口を開いた。
「ああ、そうだ。ここらへんに本州からヤクザの一味がやってきたという連絡が入った」
村川の額を不自然な汗が伝う。くそっ!ここで終わりなのか。体育教師は皆を見渡し、
「不審な人物を見つけたら近づかず、教師や警察に連絡すること」
最後の語尾を強く言い終え、体育教師は食事を許可した。堰を切ったように一瞬で食堂がにぎわい始める。音の洪水の中で、村川は小さくため息をついた。
「まだばれていないようだな……」
村川はひとり小さくつぶやくと、バイキング形式の飯を取るために席を立った。
疲れと経験をいっぱいに詰め込んだバスの中で村川はひとりため息をついた。ゆっくり青い海が朱に染まっていく。幼児が考えなしに絵具をかき混ぜるかのように、青に血のような赤が溶け込んでいく。今日の行事の目玉である首里城は素晴らしい物であったが、村川は銃のことに気を取られていた。村川は美しくも眩しい夕焼けに目を細めながら、やるべきことを考えた。ホテルに戻ってからできる最善の事柄は上層階級への聞き込みだけだった。銃の行方の核心を掴めれば、意地でも持ち物検査でもするべきなのだろうが、自分にそれができるとは村川は思えなかった。村川はどうしようもなくなったら教師に言おうと心に決めて、沈んでいく夕日を眺め始めた。あたりは少しずつ薄暗い闇に包まれていく。
ホテルに着き、食事を終えると、いよいよ村川の動機は早まり始めた。いやに暑さが定にまとわりつく。ついに上級階層に銃の事を訊かなければならないのだ。行事の時にしか話したことのない上層階級の連中にふざけた話を振るというのだから、緊張しないはずがなかった。上層階級は基本的にDQNとつながっていることが多い、というのが村川の知識だったので余計に震え上がった。しかも今後の事を考えると、それ以上の想像はしたくなくなった。もしかしたら話のそのものも聞いてくれないのではないか、という嫌な推測が脳裏をよぎる。村川は一人、廊下に出た。向かうのは上層階級が集まった部屋。部屋に比べて廊下はやけに涼しくて暗かった。聞き込みで銃の行方を掴んだとしても、これからどうするというのだ。ふと思い浮かんだ、自分への問いが村川の足を止める。村川はドアの前でひとり立ちすくんでしまった。やっぱりもう一度砂浜に行ってみようかな……村川は湧き出る弱みみからの誘惑に耐え、ドアをノックしようとした。しかし、いつまで経ってもノックできない。このままここに突っ立っていたら、完全に不審者ではないか。そんな思いとは裏腹に、やはり村川はドアをノックすることができずにいた。こうしていても仕方がないだろうと下唇を噛んで、無理やりノックしようとするのだが、どうしてもすることが出来ない。足音が近くで聞こえたので、今来たような感じを装う。すぐに一人の男が現れ、村川を一瞥すると静かに部屋に消えて行った。男はノックなどしていなかった。村川はふと、ノックなどしなくともいいことに気がつき唖然とした。
呆気にとられ、村川が唖然としているといきなり目の前のドアが開いた。気が付くと村川の目の前に長身の男が立っている。
「何やってるんだ?村川」
息をするのも忘れて驚愕する村川を長身の男は目を細めて見た。整った中性的な顔立ち、少し長いサラサラの髪、木下だった。
「いや、何でもないよ」
「そうか、誰かに用事があったんじゃないのか?」
木下の鋭い問いかけに一瞬村川は肺を圧迫するような威圧を感じた。
「ああ、ちょっと用事があってね」
村川は木下とすれ違って部屋に入った。廊下とは違う生暖かい空気と、上層階級の威圧的な雰囲気。それだけで村川は圧倒されてしまう。部屋にいたのは3人。全員野球部の連中だ。一人が村川の存在に気が付き、ぼんやりと見つめてくる。それだけで威圧的に睥睨されているような気分になった。彼は上層階級の一人、合田だ。
「なんか用?」
合田が短く声をかけてきた。
「あ、あの」
意を決して言ってみたはいいが、やはり面と向かうと怖気づいてしまう。
「お前……なんて名前だっけ?」
言い終える前に合田が尋ねる。
「あ、俺は村川だよ……」
村川は怯え、小声になってしまう。その間にも合田は容赦なく村川を見つめてくる。
「あ、あのさ銃の……」
「何だって!?もっと大きな声で言えよ」
普通の声量ながら合田の声は明らかに威圧的な響きがこもっていた。一瞬にして村川の頭の中が真っ白になってしまう。
「……あ、あの銃が……」
「何、銃?」
合田が村川を睨みつける。村川は床を見て話をしていた。
「そう、銃。じゅ、銃の事で訊きたいことがあって」
一瞬、ほんの一瞬だが、呆れたような冷めた雰囲気が部屋を包み込んだ。
「銃の事って一体何だ?」
合田の声に少し笑いが混じった。村川は一瞬にして羞恥心に打ちのめされた。村川は顔を赤くしながら必死に言葉を紡ごうと頭をひねった、が何も思い浮かばない。永遠のよう時間が過ぎたかと思われたころ、部屋のドアが勢いよく空いた。村川は驚愕し、大きく体を震わせた。機械人形のようにがくがくとドアの方を見ると、ジャージ姿の担任が立っていた。その場にいた全員が、何が始まるのかと、体を強張らせた。村川の背を汗が気味悪く伝った。




