高揚
一か月も間を開けて申し訳ありません。
川上は一人憎悪に震えていた。部屋には彼一人だった。他のメンバーは何か行事があるのか、喜びながら部屋を出て行った。何が修学旅行だ、みんなジャガイモみたいな顔をほころばせやがって……。彼も村川と同じく、カーストの最下位の男子のひとりだった。何がセックスだ、猿みたいにポンポンやりまくりやがって……くそ、みんな死んじまえ。ぼさぼさな髪を川上は乱暴にかきむしった。片方の指は爪を貪っている。川上の爪はぼろぼろだった。
くそ……ここをカーツ大佐の王国みたいに吹き飛ばしてやりてぇ。場所が場所だし「ソナチネ」のラストみたくフルオートで全員をぶち殺すか……。川上は考えながら、ふとため息をついた。彼は孤独だった。どうしようもなく孤独だった。本当はなぜ自分がこんなにもクラスの連中を憎いと感じているのかわからない。しかし、憎悪があるというのだけは本当だった。連中、殺してやる……川上のビジョンは、とある物のおかげで外の闇と見違えるほどに黒く塗りつぶされていった。
薄暗い部屋でさえない顔の男が二人、緊張した面持ちで互いをけん制しあっていた。二人の間には重い沈黙が浮遊していた。佐久間がチラリと村川を一瞥する。村川は静かにつばを飲み込んだ。まさか、こいつが拳銃を? 佐久間のイヤホンから漏れる騒々しい音楽が静寂の中で存在感を出している。周りの部屋から漏れる声が妙に大きく響いていた。訊くべきか?それとも訊かないか、村川は悩む。実は、村川は佐久間とあまり喋ったことがなかった。
スクールカースト最下位の男子二人組がお縄にかかれば、クラスだけではなく、学校中から嘲笑われる。想像した村川の額をぬるい汗が伝う。汗が村川は汗がにじむほど拳を強く握りしめ、決意を固めた。
「あ、あの」
声がかすれる。我ながら声が出せたとは言いがたい。決意むなしく佐久間は気が付いていないようだった。自分のウォークマンを夢中で弄っている。村川は失望して、うつむいた。しかし確かめないわけにはいかないのだ。村川は、もう一度拳を握りしめ、
「あ、あのさ」
今度は声がしっかり出た。
「え……あ」
佐久間はびっくりして村川を見た。
「佐久間君、さっき……その、何か隠さなかった?」
村川は必死に声を絞り出した。佐久間は目に見えて動揺し始めた。瞳が揺れている。
「何を言っているのか、わからないな……」
佐久間は再び自分のウォークマンに視線を戻す。一瞬ためらったが、村川もここで引くわけにはいかなかった。なんとか説得して拳銃を海にでも捨ててもらわなくては。
「お、俺は見たんだ」
「何を?」
間髪入れず、佐久間が言う。佐久間はウォークマンを弄り始めている。
「何かを隠すのを見ただけで、何を隠したかは……」
負けた……。村川は敗北を感じ、ゆっくりとうつむいた。神への、そして親への懺悔。小さく唇をかむ。自分を罰するかのように。村川にとって永遠のような一瞬が流れた。
「やっぱバレたか」
佐久間の声が静寂を破った。
「えっ」
村川は咄嗟に佐久間の顔を見つめていた。
「実はさ……」
佐久間は照れ臭そうに懐から銀に光るものを取り出した。佐久間の白い腹が見える。村川の動機が一瞬で早まる。しかし、それは銃などではなくゲーム機だった。
「みんな持ってくるとか言ってたからさ、俺も持ってきたんだ……」
佐久間は、はにかんで、言わないで、と微笑んだ。そして、
「みんな持ってこなかったけどね」
とため息をついた。
村川の身体が一瞬、完全に脱力した。
嘘だろ……そんな。安堵すると共に、どっと疲労感と絶望が押し寄せてくる。
「どうしたの?」
佐久間が、村川のあまりの脱力ぶりに心配したのか声をかけてきた。
「いや……何でもないよ。ははは……」
全く笑えなかった。村川は深いため息をつく。せっかく見つけたと思われた解決の糸口を完全に失ってしまったのだ。どうするんだ……?もう幸運は続かない……。村川は静かにベッドへ倒れこんだ。ふかふかでぬるいベッドだった。消毒の臭いが鼻をつく。枕が微妙に硬くてうんざりする。村川は枕に顔をうずめながら打開策を考え始めた。何も浮かばない。そのうち村川は疲労感からうとうとし始めた。視界がかすむ。何も浮かびそうになかった。
本格的に眠りそうになった頃、同室のメンバーが帰ってきた。村川は、その音で眠気の浮遊感からいきなり現実に引き戻された。何時間経ったのか分からず時計を見ると11時を回っていた。歯磨きをする彼らをぼんやりと眺めながら、村川はある事を思いついた。しかし、村川はそれを実行したいとは思わなかった。だが、村川がためらっている間に、彼らは寝支度を済ませてしまう。早く銃の事を言わなければ。そう思いながらも、なかなか行動に移せない。さっきの佐久間の時の事を思い出すとひるんでしまう。しかし、訊かないで終わるわけにはいかなかった。村川は、下ネタや世間話をしているメンバーに拳銃の事を聞いてみることにした。
「あ、あの……さ」
「ん?どうした……?」
近づいてきた村川に気が付き、一人が話しかけてきた。
「おお、村川。海は気持ちよかったか?」
もう一人が割り込んできた。それに、うん、と微笑んで、
「銃のさ……」
村川はわざとそこで切って皆の反応を見る。しかし、皆の反応は薄い。
「ゲームやったことある?」
どうしてそんな事を訊くのかと、眉を寄せて、
「あるよ、みんなでよくやっているよ」
村川は皆を見渡してみたが、反応は薄かった。皆、村川の顔をぼんやりと眺めている。
やっぱりダメか。
「もしみんなが持っているなら、俺も一緒にやりたいな、と思ってね」
村川は即席で嘘をついた。中流階級のコミュニティーに自分が参加できるはずがない。
しかし、
「いいよ、別に。今度IDとか教えろよ」
一人が何ごとでもないように言った。屈託のない笑みを浮かべて。
「え……」
驚くと共にかなり拍子抜けして村川は皆の顔を見渡した。皆、それがどうしたというように笑みを浮かべたりしている。
「わ、わかったID調べてくるよ……ありがとう」
村川はうれしさと驚きのあまり、うわずった声で言った。一瞬、拳銃の事など忘却の彼方に押し飛ばされていた。
「銃のゲームって具体的な何をやるんだ?コールとか?」
嬉しさと驚きで言葉を失っていた村川に、奥の一人が声をかけてきた。コールとはFPS(一人称視点射撃)の有名どころのゲームの略称だ。
「えっ……ああ、そうだな……それもあるけど」
村上は慌てて、別のゲームの名を言った。
「へぇ……メダルオブオナーはやったことないなぁ……」
奥の一人は微笑んで言った。村川は照れてうつむいた。間髪入れず、別の一人が村川に質問をかけてくる。村川はこんなにも多くのクラスメイトとしゃべるのは初めてで、少し感激していた。そのうち一人がスマホを見るなり、
「おい、向うの部屋で木下と中村がズコバコ始めたってよ!」
いきなり下な発言をした。皆は下ネタに反応し、隣の部屋の音を聞くために壁際に寄った。村上と佐久間は一瞬取り残されたが、お前らも来いよ、と一人に言われ、壁際に寄った。隣の部屋は物置だったっけなぁ……ならできるよな、とぼんやりと村川は思った。隣の部屋からは曇った機械音がするだけで女の喘ぎ声など聞こえない。しかし、皆は顔に笑みを張り付けたままだ。実際、喘ぎ声など聞こえなくともいいのだ。村川たちは不思議な一体感と高揚感に包まれていた。夜ならではのテンションと性に対する高校生の好奇心からの高揚は止まることを知らず、皆は静かに盛り上がっていった。夏の夜、男たちはスクールカーストの壁を越えて不思議な団結間に包まれていた。彼らはエッチな事を感じられなくとも、幸せに満ち溢れていた。しかし、彼らや村川は知る余地がなかった。今本当に性行為が隣の部屋で行われていたことを。そして、それがこのクラス始まって以来最大のトラブルを引き起こすことも。夜に漂い始めていた桃色は、やがていっそう黒さを増した闇へと姿を変えていく。闇はこの世界すべてを侵食してしまうかのように広がっていった。




