絶望
海から上がり、熱いシャワーを浴び終えると食事の時間がやってきた。ホテルの食堂はあまり広くなくて、テーブルの上はぎゅうぎゅう詰めだった。村川は皆に速度を合わせて食事を始める。皆は話していて一向に進まないので、村川はぼんやりと拳銃の事を考え始めた。あそこならだれにも見つからないだろう、やっぱり俺にはあんなもの必要ない。味噌汁に映った自分の不安げな顔を眺める。まさか、見つかるわけがない。村川は目だけ動かして、周囲を見る。そして再び、ゆっくりと食事を始めた。ふと、目に映った、窓から見える真っ暗な海が、村川を不安にさせる。やっぱりもう一度見に行こう。村川は決意し、味噌汁を啜った。味噌汁は冷えてしょっぱかった。
食事を終えると皆は友人の部屋に行ったりして、部屋には村川一人になった。よし、少しの間ならばれないだろう。村川は皆がいなくなってすぐ部屋を飛び出した。薄暗い廊下は不気味だった。窓の外では静かに海が佇んでいた。村川の足音だけが静寂の中、大きく響き渡る。他の部屋からは笑い声や話し声が聞こえる。しかし、そんなものをかまっている暇はない。村川はできるだけ静かに中央フロアに出た。エレベータの音が妙に大きく聞こえた。フロアも薄暗かったが、廊下ほどではない。しかし不気味なのは同じだった。
「どうかしました?」
受付にいたスタッフが声をかけてきた。驚き半分、しんどさ半分。
「あ、あの海でハンカチを無くしまして……探したいのですが」
村川は即席の嘘をついた。我ながら苦しかった。スタッフは目を細めて村川を見て、
「わかりました、後で探しておきます。見つけましたら連絡いたしますので」
スタッフは業務的に微笑んで、今は部屋に戻ってください、と言った。
「わかりました……」
村川は静かにそう言ってしまったが、どうしても諦めきれなかった。
「お願いします、少しでいいんです。思い出のハンカチなんです」
村川は必死に訴えた。むろん嘘で、ハンカチなど村川は持っていない。村川の必死な態度が功を奏したのか、スタッフは誰かと電話をしてから、
「わかりました。少しだけですよ」
そう言って立ち上がり、
「私も一緒に捜しましょう」
業務的な微笑みはどこか疲れがにじんでいた。
スタッフが静かにフロアのドアを開けると、生暖かい風が吹き込んできた。それは少し塩の臭いを含んでいた。
「さぁ行きましょう」
海は、まるで村川を飲み込もうとしているかのように黒く、大きかった。まるで闇そのものだった。
砂浜に出てすぐ、村川はあの茂みに向かった。海はぬるく、重い雰囲気で村川を圧迫した。
足が砂に沈んで不快だった。それは昼間の爽やかな海とは全く違った。村川は茂みにかけよると、必死で拳銃を探した。指に草が突き刺さり痛かったが、村川はそれを無視して探し続ける。背中にぬるい風が当たる。
「確かここに……」
拳銃を置いた場所は確かに草が折れてつぶれ、確かにここにあったことを表していた。草の青臭いにおいが鼻をつく。地面はじめじめと湿っていた。村川は必死に草をかき分けて探す。絶望がチラリと覗く。
しかし、いくら探しても拳銃は見当たらない。少し踏み込んで、探してみても全く見つからなかった。おかしい……村川の顔に冷たい汗が流れる。ぽたり、と大きな音を立てて、汗が落ちて砂に穴を穿つ。
「ありませんねぇ」
スタッフの足音が聞こえた。もう一度部屋を探してみたらどうです、そういうスタッフを尻目に村川はまた茂みを探る。しかし、拳銃は見つからなかった。村川の身体は猛暑からではない汗にまみれていった。村川の頭は、なぜかとても重かった。海は村川を威圧するように、静かに波を立てている。
「ありがとうございました」
村川は砂浜から戻って、スタッフに礼を言って部屋に戻った。廊下はさっきより暗く、笑い声は村川を嘲笑っているかのように聞こえた。あの拳銃にはしっかりと俺の指紋が付着している。もし、あれを使った殺しが行われたら……。考えるだけで、悪寒が背中を這う。絶望が鮮明に形作られていく。村川はよたよたと歩いて部屋に戻った。足取りは重かった。部屋に戻ると、同じクラスで村川と同じような境遇の男がいた。佐久間だ。一瞬部屋の中に妙な空気が張り詰める。彼が、村川が部屋に入ると同時に懐に何か隠したのが見えた。ドアが大きな音を立てて閉まる。まさか……こいつが!?
ありえない事ではなかった。佐久間も村川と同じぼっちだった。当然彼女もいない。むしろ、彼が女の子と話している姿すら見たことがない。確かにこいつならクラスへの恨み辛みが一つや二つあってもおかしくはない。村川は自分のベッドに静かに腰かけながら考えた。
佐久間は村川が来てから少しも動かず、虚空を眺めている。演技が下手な奴だ、と村川は思った。訊こうか、訊かないか村川は迷った。もし拳銃を彼が所持していたのなら、彼の指紋も付着する。それならば村川は罪を逃れられるかもしれない。そう考えると訊かなくても良いのでは、と思った。しかしよく考えると、二人の指紋が付いていたなら複数犯と思われるのではないか、村川の脳裏に、捕まる二人の姿とあざ笑うクラスメイトの姿が浮かぶ。それだけは困る。窓の外はぞっとするほど暗く濃厚な闇が包んでいた。




