割れた心
薄暗い牢屋は外からの光もなく、じめじめとした寒々しい場所だった。
鉄格子の扉が閉じられる音が、狭い空間に重く響く。冷たい石の壁にもたれかかりながら、シャンティは膝を抱えて座り込んだ。ついさっきまで、3人で街の賑わいの中にいたのが夢かのようだった。
紫の瞳を持つ魔女――そんなふうに呼ばれる理由など、シャンティには何一つ心当たりがなかった。それなのに、あの通りで自分を取り囲んだ人々の嫌悪や、恐怖に満ちた表情が、いつまでも頭から離れなかった。
(おじいちゃん、おばあちゃん……)
人垣にはばまれて、二人がどうなったのかが全く分からなかった。が、自分の名を、必死に呼んでいた声だけが、耳の奥に残っている。
しばらくして、見回りに来たらしい憲兵の足音が聞こえてきた。シャンティは咄嗟に格子の近くまで這い寄り、声を上げた。
「あの、すみません」
「何だ」
「一緒にいた、老夫婦のことなんですが……ゲンとアジェーナという名前の。無事でしょうか」
憲兵は少し考えるような素振りを見せてから答えた。
「さあな。そんな名前の連中は聞いたことがない」
「え……」
「あんたを連れてくる時に騒いでた年寄りがいたらしいと聞いているが、こっちには連れて来られてないな」
その言葉にシャンティは、気づけば止まったいた息を、そっと吐き出した。連れて来られていないということは、少なくとも二人とも自由の身のはずだ。胸の奥に張り詰めていたものが、わずかに緩んだ気がした。
「ありがとう、ございます」
礼を言うシャンティに、憲兵は特に何を返すこともなく、そのまま見回りを続けて去っていった。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。再び足音が近づいてきた。疲れ果てて少し目を閉じていたシャンティのもとに数人の憲兵がやってきて、牢屋の鍵を開けた。
「出ろ、移動だ」
これ以上酷い何処かに連れて行かれるとビクビクしていたシャンティは、連れて行かれた先が、牢屋よりは幾分ましな、小さな部屋だったことに驚いた。粗末ながらも寝台があり、窓には小さな明かり取りもついている。
部屋の中で待っていたのは、他の憲兵たちとは違う、階級の高そうな身なりの男だった。憲兵長らしきその人物は、シャンティの前に立つと、静かに口を開いた。
「君の…例の新聞記事だが、まだ信憑性が確認できていない。王都からの正式な指示があるまで、あんたにはひとまずここにいてもらうことになる」
「はい……」
シャンティが小さく頷くと、憲兵長は少し表情を和らげた。
「見たところ、あんたは何も知らないようだな」
「……はい。本当に…何も…」
「そうか…」
憲兵長は小さく息をついた。
「悪いな、部屋を替えてやるぐらいしかできないで。」
その一言に、シャンティは少し驚いたように顔を上げた。自分のせいでもないのに、まっすぐに詫びてくれるその態度に、張り詰めていた緊張が少しだけ緩んだ気がした。
「これ、あんたのだろう」
差し出されたのは、連れて行かれた時に落としてしまった、ナッシュから贈られた髪留めだった。だが、その大部分が大きく捩れて欠けてしまっている。取り押さえられた時、揉み合ううちに割れてしまったのだろう。
「あ……」
「大事なもんだったんだな、申し訳なかったな…」
シャンティはそれを両手でそっと受け取った。指先に触れる、欠けた部分の感触。大切にしていたものが、こんな形で壊れてしまった。
それを見た瞬間、これまでずっと堪えていたものが、一気にこみ上げてきた。目の奥が熱くなり、視界がにじんでいく。
憲兵長はそれだけ伝えると、そっと部屋を後にした。
2人の安否も分からないまま引き離された不安、人々からの恐怖の眼差し、そのすべてが、この小さな壊れた髪留めをきっかけに、堰を切ったようにあふれ出した。
「うっ……」
声を殺すこともせず、シャンティは捕まってから初めて、泣き崩れた。




