不思議な気持ち
家に着く頃には、日はすっかり傾いていた。工房の明かりを消して戻ってきたゲンと、夕食の支度を終えたアジェーナが、シャンティの帰りを待っていた。
「おかえり、シャンティ。今日はギルドまで一緒に行ってくれたんだって? ラーナさんから伝言もらったよ」
「ん、ビノさんの腰、大丈夫かな」
「湿布を持たせておいたから、二、三日で落ち着くだろうさ」
夕食の席につきながら、シャンティは今日あったことをぽつぽつと話し始めた。
「実はね、ギルドに着いた時、中で喧嘩があって。男の人が飛ばされてきて、ぶつかりそうになったんだけど」
「なんだって!?」
ゲンが眉をつり上げて身を乗り出す。
「怪我はしてないのかい?」
「ん。それは大丈夫。あの…宮廷魔術師団の人が助けてくれたから」
「そうかい、あぁ本当にケガがなくてよかったよ、まったく血の気の多いのが暴れたんだねぇ。」
アジェーナがほっとしたように胸を撫で下ろす。シャンティはスープを口に運びながら、それ以上詳しく話すことはしなかった、いや話せなかった。
助けてもらった時、抱きしめられたこと。眼鏡が少しずれたこと。そして、その相手と至近距離で目が合ったこと――そういった細かい出来事は、なんとなく自分だけの気持ちとして取っておきたかった。
それに、眼鏡がずれたことなど、大したことではないはずだ。おじいちゃんが作ってくれたこの眼鏡は、ちょっとやそっとの衝撃でずれたりしない、おじいちゃん自慢のしっかりとした作りのものなのだから。
(きっと私が思ってるより、ちゃんとかけ直せてたはず)
そう自分に言い聞かせながら、シャンティは食事を続けた。
「助けてくれた人にはちゃんとお礼を言ったのかい」
「ん、言ったよ」
「そうか。宮廷魔術師団の人なら、ちゃんとした身分の人だろうね。良かったじゃないか」
アジェーナがにこにこしながら言うのに、シャンティは曖昧に頷くだけにとどめた。
夕食を終え、後片付けを手伝ってから、シャンティは自分の部屋にに戻った。パジャマに着替え、ベッドに横になる。
いつもなら、眠りに落ちる前のこの時間は、明日仕込む薬草のことや、新しく試してみたい調合のことで頭がいっぱいになる。乾燥させたラベンダーの分量を少し変えてみようかとか、傷薬にもう少し違う香草を混ぜてみようかとか、そういうことを考えながら眠りにつくのが、寝る前のルーティーンだった。
なのに今夜は、頭の中を占めているのは薬草のことではなかった。
助けてもらった時の、あの人の焦った表情。間近で見た目の色。「大丈夫か」と聞いてくれた、少し低い声。
思い出すたびに、じんわりと頬が熱くなる。こんな感覚は、生まれて初めてだった。誰かのことをこんなに繰り返し思い出してしまうなんて、今までの人生で一度もなかったことだ。
(変なの……私、どうしちゃったんだろう)
薬草のことを考えようとしても、気づけばまたあの光景に戻ってしまう。なんだろう、と戸惑いながらも、その嬉しい気持ちを手放したくない、そんな不思議な気分を味わっていた。
結局その夜、シャンティはいつもより少し長く寝つけないまま、目を閉じたのだった。




