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大魔法使いは紫色の瞳に恋に堕ちる  作者: ゆうもみじ


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宮廷魔術師団の朝

鏡の前で襟元を整えながら、ナッシュは大きなあくびを噛み殺した。


本名はナルニエル・ヴィオレンティーノ。だが家族や気心の知れた友人たちからは、昔からずっとナッシュと呼ばれている。仕事の場では滅多にその呼び名は出てこないが、邸にいる時くらいは、堅苦しい本名よりもこちらの方がずっと自分らしい気がして気に入っている。


窓の外からは起きろと言わんばかりの太陽の光が差し込んでいる。今日も特に代わり映えのしない一日になるはずだった。書類仕事、部下の訓練の様子見、魔物討伐依頼の割り振り。そのはずだったのだが。


「坊ちゃま、旦那様がお呼びです。おそらく週末の夜会の件で」


「……」


執事の声に、ため息が返事替わりに出てしまう。夜会。その単語を聞くだけで、朝から気力がだいぶ持っていかれる気がする。


「……また縁談か?」


「詳しくは存じ上げません。旦那様からお聞きください」

執事はにこやかに返事をしてくる。


わかっている。だいたい予想はつく。プリストン公爵家か、あるいは別のどこかか。誰であれ、着飾った令嬢たちに囲まれて、当たり障りのない世間話を延々と続けるだけの時間になるのは目に見えていた。なんでこんな顔がいいのかね、と声にならない声を出しながらうんざりしながら部屋を後にする。


(今度こそ何か理由をつけて休めないかな……討伐が長引いたとか、風邪をひいたとか)


そこまで考えて、ナッシュは自分で自分に呆れて笑ってしまう。父にそんな見え透いた言い訳、いや言い訳そのものが通じたことは、これまで一度もない。あの人は息子の嘘くらい、目を見ただけで見抜いてしまう。


結局まともな逃げ道も思いつかないまま、ナッシュは邸を出て宮廷魔術師団の詰所へと向かったのだった。


詰所に入ると、部下たちの威勢のいい声が耳に飛び込んでくる。朝の鍛錬を終えたばかりの一団が汗を拭きながら報告書片手に行き交い、奥の作業机では魔法陣の調整をする者たちが真剣な顔を突き合わせていた。この空気は、正直かなり気に入っている。


「団長、おはようございます!」


真っ先に駆け寄ってきたのはラビアーニだった。目を輝かせながら、今日の予定表を差し出してくる。


「今週の討伐依頼、まとめておきました!あと団長の発注した魔石も新しいのが届いてます」


「ああ、ありがとう。相変わらず仕事早いな」


「それと……もしよかったら、その新しい魔石の研磨、また見学させてもらってもいいですか……?」


期待でいっぱいの目を向けてくるラビアーニに、ナッシュは軽く頷いておいた。仕事に対する熱心さはありがたいし、部下として本当によく働いてくれている。ただ、その目に混じっているものの意味には、今日も気づかないふりをしておきたい。あの手のことに正面から向き合うのは、正直かなり面倒だ。


「団長、朝から悪いんですが」


副団長のルイが書類の束を持って近づいてくる。


「今朝、ギルドから急ぎの依頼が来てます。魔法禁止法に違反した奴の身柄引き取りだそうで」


「それ、第三部隊の担当だろ」


「本来はそうなんですけど……ロディ様のご指名だそうです。団長に直接行ってほしいと」


叔父の名前を聞いて、ナッシュはうんざりした顔になった。


(叔父上の指名……絶対ろくでもない用件だぞ、これ)


昔からそうだ。叔父のロディが「頼み事」と言ってくる時は、大抵の場合、裏に面倒事が隠れていることが多い、いや面倒なことしかない。今日はついてない日だ。とはいえ名指しされた以上、無視するわけにもいかない。


「はいはい、わかったよ。少人数で行こう。ルイ、留守番頼むな」


「了解です」


部下を数人連れて、ナッシュは昼前に詰所を出た。ギルドまでの道中、本当は魔石の研磨も一人でやりたいところだったから、そこは感謝だな、と無理やりポジティブに考えようとしていても、頭の片隅では今朝のやりとり、週末の夜会の憂鬱がまだくすぶっている。今度こそ使える言い訳を考えなきゃな——そんなことを思いながら歩いていたところで、ふとギルドの方から怒鳴り声のようなものが聞こえた気がした。


「様子見てきます」


部下の一人が先に駆けていき、ナッシュも足を速める。近づくにつれ、確かに中で何か揉めているらしいと分かってきた。


次の瞬間、ギルドの扉が勢いよく開き、大柄な男の体が外へと吹っ飛んできた。


「危ない!」


自分の声だったのか、誰かの声だったのか。考えるより先に体が動いていた。飛ばされてきた男の先に、荷物を抱えた少女の姿が見えたからだ。


間に合うか——そう思った時にはもう、自身に風魔法を作動させ少女を抱きしめるようにして飛んできた男から少女をかばうことに成功した。受け身なんて取っている余裕はなかったが、そんなことはどうでもよかった。


「……っ大丈夫か」


声をかけながら顔を覗き込んだ拍子に、少女の眼鏡がほんのわずかにずれる。その下から覗いた瞳の色に、ナッシュは思わず言葉を失った。


紫。


この国では、絶対に見ることのない色だった。


少女は慌てて眼鏡をかけ直すと、丁寧に礼を言ってくる。ナッシュはとっさに平静を装って応えたものの、内心はそれどころではなかった。


(見間違い……いや、確かに見えた)


少女がラーナと呼ばれる女性の方を見ると、荷馬車の方へ走っていった。その後ろ姿を、ナッシュはしばらくの間、目で追い続けていた。


「団長、あの男の連行終わりました。……団長?」


部下に声をかけられても、すぐには反応できなかった。夜会の憂鬱も、叔父の面倒事のことも、いつの間にか頭からすっかり消えていた。


紫色の瞳。この国にいるはずのない色を持つ、あの子は一体——


答えの出ない問いだけが、いつまでも頭の中に居座り続けるのだった。

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