眼鏡の下の秘密
カーテンの隙間から差し込む朝日に眩しさを感じながらシャンティーナは目を覚ました。
ベッドから手を伸ばし、枕元に置いた眼鏡へと手を伸ばす。いつもと同じ朝のルーティーンだ。
いつも通りの手触りを確認しながら、寝ぼけ眼のままかける。いつも通り布団の中でもぞもぞしながら、自分に声をかけるようにつぶやく。
「……よし」
ゆっくりベッドから起き上がりシャンティは着替えを済ませる。この眼鏡は、物心つく前からずっと肌身離さずかけているものだ。理由を尋ねたことは何度かあるが、おじいちゃんもおばあちゃんも「大事な目を守るためだよ」としか答えてくれない。特に深く聞いたことはないし、二人がそう言うなら、そうなのだろうなぁと思っている。
階段を降りると、あたたかな匂いが鼻をくすぐった。台所ではおばあちゃんのアジェーナが鍋をかき混ぜている。
「おはよう、シャンティ。よく眠れた?」
「おはよう、おばあちゃん。うん、ぐっすり」
おじいちゃんのゲンは、もう工房の方に顔を出しているのだろう。朝食の席には姿がない。シャンティはパンとスープの匂いに幸せを感じながら、椅子に腰を下ろした。
朝食を終えると、いつもので一日が動き出す。まずは裏の薬草畑を見回り、朝露の残る葉を選んで摘み取る。乾燥棚の様子を確かめたら、昨日仕込んだポーションの色を光にかざして確認する。小さな薬局を営んでいるのでこの時間だけは、気を抜くことができない。薬草が大好きなシャンティにとってはたまらなく楽しい時間で、どの葉がどの効能を持ち、どう組み合わせれば効果が増すのか——考えているだけで時間はあっという間に過ぎていく。
いつもの朝が変わったのは、朝の仕事が一段落した頃だった。
隣のパン屋のラーマさんが薬局のドアから入ってきた。
「シャンティちゃん、大変! うちの人、朝からぎっくり腰になっちゃって……」
「え、ビノさん大丈夫?」
「動けそうにないの。今日のギルドへの配達、一緒に行ってくれない?」
パン屋は毎朝、冒険者ギルドへパンを卸している。ついでにシャンティが作るポーションも一緒に運んでくれるのが、いつもの流れだった。だが荷物の積み下ろしを一人でこなすのは、さすがに大変だろう。
「もちろん!私も一緒に行くよ。荷運び、手伝う」
「本当? 助かるわ……!」
荷馬車に瓶詰めのポーションを積み込み、シャンティはラーナの隣に乗り込んだ。ガタゴトと揺れる荷台の中、最近ハマっている薬草のハンドクリームの新しいレシピを考えながらシャンティは街の景色を眺めていた。
冒険者ギルドの建物が見えてくる頃には、いつも通りの喧騒が耳に届いていた。武器を担いだ冒険者たちの笑い声、依頼板の前で大声で相談している声。見慣れた光景のはずだった。
馬車を降り、ラーナと二人で荷物を運ぶ。搬入口の扉に近づいたところで、シャンティは中の様子を呼びに行こうと一人先に足を進めた、その時だった。
ギルドの中から怒声が響いたかと思うと、扉が勢いよく開き、大柄な男の体が宙を舞った。
「――え?」
考える間もなかった。飛ばされてきた男の体が、そのままシャンティの方へと突っ込んでくる。
「危ない!」
誰かの声がした。とっさに目を閉じたシャンティの体に、重たい衝撃が走る——はずだった。だが、その一瞬前に、何かが割り込んできた感触があった。
目を開けると、見知らぬ男性がシャンティを庇うようにしてシャンティを抱きしめるような形になった。
「……っ大丈夫か」
男性の声が、途中で止まった。
身体がぶつかった拍子に、シャンティの眼鏡がほんの少しにずれてしまっていた。かけ直す間もなく、間近から覗き込んできた男性と目が合う。
紫色の瞳を、まっすぐに。
男性の表情が固まった。ほんの数秒、時が止まったかのような沈黙が流れる。
シャンティは慌てて眼鏡の位置を直した。なぜだか心臓が、信じられないくらいの早鐘を打っている。
「た、助けていただいて、ありがとうございます」
声をかけると、男性は我に返ったように瞬きをした。整った顔立ちに、動揺の色がまだ残っている。
「……いや。怪我はないか」
「は、はい、大丈夫です」
男性はゆっくりとシャンティから離れ、シャンティの肩に手をのせる。肩に乗せられた手を見ながら、ちらりと彼を見上げる。宮廷魔術師団の紋章らしきものが、上着の胸元に光っていた。シャンティの無事を確かめたその男性は喧噪の中に紛れていった。
あ、搬入!急いで荷馬車に戻ると、準備を整えてくれていたラーナと何度か往復しながら搬入をしていく。いつもならシャンティは終わったらさっさと荷馬車に戻るのだが、今日は何度か振り返りながらその場を後にしたのだった。
一方、男性——ナルニエル・ヴィオレンティーノは、立ち尽くしたまま彼女の後ろ姿を目で追っていた。
(紫色の瞳……この国にはいないはずの色だ)
見間違い、というには綺麗すぎた。だが確信は持てない。ほんの一瞬、眼鏡がずれた隙に見えただけなのだから。
「団長、あの男の連行終わりました。……団長?」
部下の声にも、ナルニエルはしばらく答えなかった。雑踏の中に消えていった女性の後ろ姿を、まだ目が探していたのだった。




