ゲン爺の鍛冶屋
翌日の午後、ナッシュは執務室で書類を片付けながら、ふとルイと交わした何気ない会話を思い出していた。
「そういえば、団長」
数日前、ルイがそんなふうに切り出したことがあった。
「うちの弟、騎士団にいるんですが、剣を新調したくてゲン爺のところに何度も通ってるんですよ。なかなか首を縦に振ってもらえないみたいで」
「ゲン爺……ああ、鍛冶屋の」
「そうです。団長も知ってました?腕は間違いなく一流なんですが、気に入った依頼しか受けないとかで。街の冒険者や騎士の間じゃ、割と有名な話んなんですよ」
その時は特に気にも留めていなかった会話だったが、今になって思い返すと、これほど都合のいい話もない。
(そうだ、ちょうど短剣も、そろそろ新しいのを見繕おうと思っていたところだったな)
剣術そのものは、正直得意な部類ではない。魔法の方がよほど性に合っている。それでも護身用にと、常に短剣は一振り携えていた。もう何年も使い続けているので、確かに刃こぼれも目立ってきている。
新調するにはちょうどいい頃合いだ。理由としても、これ以上ないくらい自然なはずだった。
(別に、他に理由があるわけじゃない)
またも自分にそう言い聞かせながら、ナッシュは書類仕事を早々に切り上げ、私服に着替えて詰所を出た。
街へ向かう道中、頭の中では何度もその理由を反芻していた。有名な鍛冶屋に、ちょうど新調したい短剣がある。ただそれだけの、ごく普通の用事のはずだ。それ以上でも以下でもない。
夕暮れに染まる街並みを歩きながら、ナッシュは目当ての店を探した。鍛冶屋と薬屋が一つになった小さな店構え――ルイから聞いた特徴と一致する建物を見つけ、少し緊張しながら足を止める。
(本当に、剣を見てもらいに来ただけだからな)
誰に言うでもなく、心の中でもう一度そう繰り返す。それにしては、いやに鼓動が早くなっている気がしたが、それには気づかないふりをしながら、ナッシュは店の扉に手をかけた。
カウンターの奥から、鍛冶屋らしい年配の男の姿が見える。目つきは鋭いが、どこか職人らしい落ち着きを感じさせる佇まいだった。
「いらっしゃい。何の用だい」
低く渋い声に、ナッシュは一瞬言葉に詰まりながらも、努めて自然な調子で切り出した。
「短剣を新調したくて来た。腕のいい鍛冶屋だと聞いたものでな」
その男――おそらくゲンであろう――は、値踏みをするようにこちらをじろりと見た。店の奥には、様々な種類の乾燥した薬草が丁寧に束ねられている。その光景に、ナッシュの目線が思わず吸い込まれる。
(この匂い……)
特に理由はないはずなのに、なぜかその香りだけで、少しだけ落ち着かない気持ちになる自分がいた。




