7話『もう一度、君と暮らすために』
後半に少しだけ夫婦の触れ合いを思わせる表現があります。
苦手な方はご注意ください。
ちみっこ悪魔は色々と不安や衝撃が限界に達したらしい。
「寝る……」と言って突如意識を失いバタリと倒れた。
「うおっ、ちょ!」
優輝はギョッとし、慌てて倒れ込む小さな体を受け止めた。
しかし、彼女はダンジョンマスター同様に不老不死。
つまり、死に至るような怪我も病気もしないということだ。
何があっても絶対に傷付かない、頑丈なダンジョン妖精の身体は、この程度ではビクともしない。
『だからそのまま放置しても大丈夫だよ』
明らかに業務外のアドバイスもしてくれたポルカに従い、優輝は糸の途切れた人形のように、ピクリとも動かないちみっこ悪魔を、地面に寝かせた。
彼女を抱きとめた時、膝から落ちて転がっていたタブレットPCとマウスをきちんと地面に置き直し、ため息をひとつ。
(せめて横になって寝てくれ)
厳密には寝るというより、意識をぶち切って強制シャットダウンするという方が正しい。
しかし、人間としての感覚がまだまだ強い優輝からすれば、寝つきが異様にいいというのと同じだ。
怪我をしないどころか、痛みすらないから危機感がないゆえの暴挙だろうが、非常に心臓に悪い。
(起きたら教えないと)
地面に横になって静かに眠る皐月を見た優輝は、ふと座っている硬い地面の感触に眉を寄せた。
反対側のちみっこ悪魔へ目を向け、それからまだ目を覚ます気配のない己の妻を見る。
「なぁポルカ、1個聞きたいんだけど」
『なぁに?ダンジョンの事ならなんでも答えるよ』
「ここ……」
自分たちが今いる場所を言おうとして、優輝は知らないことに気が付いた。
「えっと、聞きたいことは別だったんだけど、俺たちが今いる場所って、なんて言うんだ?」
皐月を固い地面に寝かせたままなのもちょっとアレだなと、胡座をかいて皐月に膝枕をした。
いつもなら真っ先に思い至るはずなのに、今まで思い至らずに放置してしまっていたのは、それだけ優輝も混乱していた証だ。
(ああ、でもさっき倒れ込んできた時の状況を考えるとむしろ膝枕していなかったのは良かったか。)
『特に名前は無いなぁ。一応、ダンジョンの心臓部に当たるけど、わざわざ名前を付ける妖精も居なかったし。』
優しく皐月の頭を撫で、そこから耳、頬を撫でていた優輝は顔をあげる。
地面へと置いたタブレットPCの中で、ポルカは相変わらず可愛い笑顔だ。
「え、そうなのか?」
『うん。だってさ色々と名前を付けたがるのって人間だけでしょ?人間以外の動物は自分の心臓の呼び方なんて決める?』
「あー、なるほど」
ポルカの言いたいことは分かった。
確かにあれこれと生きる事に関係ないことも解明して、白黒をはっきりつけたがるのも、長ったらしい名前を付けたがるのも人間だけだ。
『不便だったら、マスターが自分で決めればいいよ。』
「あー、そこまで不便じゃないけど。じゃあ仮で拠点ってしとこう」
仮なのは、優輝が自分の名付け能力の壊滅的なセンスのなさを知っているからだ。
皐月の意見を聞いてから確定したかった。
ダメと言われたらもちろん、皐月に従う予定である。
しかし人間の名前でなければそこまで酷くないので、許可は多分通るはず。
『分かった。拠点だね。それで拠点がどうしたの?』
「拠点ってさ、今洞窟だけど洞窟以外にはできないのか?」
優輝の本題はそれだ。ここの呼び方ではない。
眠っている皐月を地面に寝かせたままにはしたくないし、これから新婚生活どころか、終わりのない人生でずっとこんな場所で生活したくはない。
『できるよ。ここはそれこそダンジョンの設計みたいに手間も全然要らなくて、マスターが望むものをイメージするだけで好きなように変えられるよ。』
「へぇ、ダンジョンを作る時と全然違うんだな」
『ここはダンジョンの一部だけど、厳密に言うとダンジョンじゃないからね。』
「……ん?」
優輝はうっすらと嫌な予感がした。優輝に理解できない難しい次元の話になるのかと思ったからだ。
『拠点はダンジョン妖精がイメージしたダンジョン妖精だけの場所なんだよ。ほら、会社だと守らなきゃいけない規則が色々あるけど、家だと自分が好きなように過ごせるでしょ?』
「そういう事か、うん。うん、よく分かった」
しかし、さすがはポルカと言うべきか。それとも、さすがは高性能ダンジョンと言うべきか。
優輝の嫌な予感を覆し、説明が非常に分かりやすい。
具体的な仕組みや基盤の理解まではいかないが、何となくは理解できる。
(あれだ。説明で専門用語は全く使わないのに、噛み砕いて一般人にすごく分かりやすい説明をする人)
世の中には、めっちゃ説明が分かりづらい人も居るが、逆にめっちゃ分かりやすい人も居る。
(あいつは間違いなくめっちゃ分かりづらい方だな。)
呼吸に合わせて胸が上下する皐月と違い、人形のように微動だにしないちみっこ悪魔をチラ見して、優輝はそんな失礼な事を思う。
『あえて言うなら細部まで具体的に想像してくれると、再現度は高くなるかな。』
「細部までかぁ……俺の記憶力は普通だからそれはちょっと難しいかもしれない」
優輝の記憶力は極端に良くも無ければ悪くもない。
ごくごく普通。
むしろ勉強はできていた方だが、暗記系は苦手だった。
(それに関しては覚え方が下手だっただけみたいだけど。)
人の名前を覚えるのも苦手だったが、そこは社会人として客先の名前を忘れるわけにはいかない。特に営業なら尚更だ。
必要に迫られた結果、人の名前を覚えるのが得意な先輩の指導で鍛えられ、その苦手は克服した訳だが。
記憶力が良くなった訳ではなく、覚えるコツを身につけただけだ。
つまり、記憶力は変わらず平凡。
例えいくら住み慣れた家でも、家の間取りや家具の場所はともかく、細かい雑貨の配置やデザインまでは詳細にイメージし切るのは難しいだろう。
『その点は大丈夫だと思うよ。』
「ん?どういう事だ」
『まずはやってみて!多分説明するより実際にやってみる方が分かると思うよ!』
「了解、なら早速やってみるよ」
いつも詳細な説明をするポルカがそう言うのならそうなのだろう。
優輝は何をイメージしようか、と思って素直に二人で住んでいた家を思い出す。
家の外装、間取り、寝室のベッドの位置、間接照明の場所、リビングにあるテレビやテーブル、ソファーの場所。食器棚やその上に置かれた家族との写真。
「ん……?」
そして違和感に首を傾げた。
するすると思い出せる鮮明な記憶。
まるで写真を見ているような、テレビを見ているような。
そんな感覚に近いほど、記憶は鮮明だった。
皐月が一目惚れして購入した家具の細かい装飾部分を思い浮かべようとすると、模様の一つひとつや、小さな傷まで鮮明に思い出せる。
「なんだこれ……気持ち悪いぐらい思い出せるんだけど」
『ダンジョンマスターになった時点で記憶力が生き物じゃ不可能なくらい強化されているからね。あー、あれが思い出せそうで思い出せない!って事もなくなるよ!』
「何気に一番ありがたいやつじゃね?」
人によるだろうが、優輝はあの思い出せそうで思い出せないあれが一番嫌だ。
ふと、特に意識したわけでは無いが、皐月の姿が浮かび上がる。
柔らかなオレンジ色の間接照明のみが照らす寝室での、夫婦だけの夜の時間だ。
皐月はベッドに身を預けていた。
乱れた寝間着の胸元が呼吸に合わせて上下し、目がとろりととろけていた。
薄く開いた唇から熱を帯びた吐息が零れ、頬はほんのりと赤い。
髪が額や頬に張り付き、柔肌の上を玉の汗が流れ落ちる。
激しい呼吸に混じる甘い吐息は、ゾクッと背中が粟立つほど甘い。
「っ……」
情事の余韻に包まれたその姿は、とても心臓に悪い。
(やっば)
本当に意識して思い出した訳ではなく、日常でもふと蘇るような記憶が浮かんだだけ。
それがたまたま夫婦の夜の情事後で、よりにもよって優輝の中でも特に忘れられない夜だっただけだ。
しかしそれが、肌に張り付く髪の本数や、流れ落ちる汗の一滴一滴まで見えるほど、細部まで鮮明に思い出せると、まるで今その場所にいるような錯覚を覚える。
(待て待て待てっ!!今思い出すな!)
『新婚だねぇ〜』
(今読み取るのは勘弁してくれ……)
幼い声で言われると、子供に見咎められたような気分で、居た堪れない。
優輝は湧き上がった興奮を抑えるため、必死に精神統一を始めた。
幸か不幸か、身体は妙な反応を示さず、優輝の優輝様はとても静かだった。
(不老不死だと生殖機能はなくなるのか……)
優輝はちょっとショックだった。
『あ、マスター!頭の中のイメージが具現化したよ!』
ショックで固まっていた優輝は、ポルカの声にハッとして顔を上げると、そこには……
──無機質な洞窟ではなく、見慣れた我が家の、あの暖かなリビングが広がっていた。
不老不死だと子孫を作る必要がありませんからね……。
子供というのは、本来は子孫繁栄のために作る存在ですから。
ダンジョン妖精やダンジョンマスターは肉体的には完全無欠で、仮に新幹線に全速力で突撃されても怪我ひとつしませんが、精神的に強いとは限りません。
ちみっこ悪魔ちゃんは今までこれほどの精神負荷を感じたことがなかったので、強制シャットダウンしました。
タブレットPCが重すぎて落ちるのと似たような感じです。




