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ヤオヨロズ──中道録  作者: 隼理史幸
信頼という木と、恨みという根
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仲直り、してみます。

 剣呑な空気を漂わせる後ろ姿を眺めつつもバスは発車し、陽が落ちて暗くなった道を往く。そんななか、運転手は鏡越しに心配そうな眼をした彼女を見ていた。


「…やれやれ。みんな携帯に夢中か。僕が古いだけなのかな。お嬢さんはどう思います?」


 初老の運転手は訊ねた。既にバスの車内は殆ど客はおらず、居たとしても、ごく僅かを除き目を伏せて眠りに落ちていた。胡桃は少々馴れ馴れしさを覚えつつも、頭の中で回答を練り上げてから口を開く。


「…うーん、あたしも、あんまり良いとは思わないなぁ。手放せないのはホントだけど」


 真面目な話は苦手、と胡桃は肩を竦めながらも、自分なりの答えを述べる。そんな彼女に向けて、何かを思い出したような、可笑しくて仕方ないという素振りで、口もとをほころばせる。


「君、今朝の寝坊助さんだろう?」


 前を向いたまま、思い返して微笑む運転手。対して、胡桃は今朝方のことを思い出し顔を赤くしていた。


「…え? どど、どうしてそれを?」

「今朝も運転していたからね、知ってるとも。かわいい寝顔だったよ」


 そう言われ、胡桃は唇を尖らせながらも必死に自身の記憶の糸から今朝の光景を手探りで探し当てようとする。が、検索には引っ掛からず項垂れる。


「あたしは、覚えてない…です」

「だろうね。僕みたいな初老の人なんて、皆同じに見えるだろうさ」


 どこか自嘲気味の言葉に、にわかに罪悪感を抱きつつも、先程からかわれたことを気にして、むすっとした表情のままの胡桃。彼女に向けて、また思い出したかのような素振りを見せる運転手。


「そうそう、あの真面目そうな男の子にはお礼は言えたのかい?」


 その問いには、考えるまでもなかった。赤い顔をそっぽ向けながら、しかし声だけは真っ直ぐに。


「…はい。ちゃんと言えました」

「ふふ、なら良かった。さっきの子とも仲直りしなさいよ?」


 どことなくその語り口を説教臭く感じた胡桃は、また唇を小さく尖らせる。これ以上なく不機嫌であることをアピールするその仕草に、微笑ましく思う運転手。


 ──暫く経つと、また景色がにわかに変わりゆく。それを物憂げに見つめる運転手を気がかりに思ったか、胡桃は瞳の先を辿っていく。


「…この辺りは、ずいぶん綺麗になったよね」

「…え、まぁ、はい」


 唐突な問いかけに、生返事をしてしまう胡桃。運転手は続ける。


「ここの近く、爆発事故があったのは知ってるね?」

「確か、三年前ですっけ? ニュースでめちゃめちゃ取り上げられてた…」

「そう。原因は未だ不明。死傷者は四十人に上る、この街でも最悪の事故。…僕のせがれもその現場にいた」


 それを聞いて、彼女は肩が跳ねる。冗談など微塵も挟む余地のない、生の声に息を呑んでしまう。


「…少し説教っぽくなるけれどね。前の日、ケンカしちゃったんだ。些細なことさ」


 真っ直ぐ前を向き運転しながらも、その声色には深く淀んだものがあった。それを受けて、胡桃の脳裏につい先刻までの出来事が過る。


「…ケンカするな、ってこと?」

「いんや。ケンカするのは若いのの特権だ。好きなだけするがいい。年取るとそういう余力もなくなるから。けれど、必ず仲直りするんだ。喧嘩別れは、物悲しいものだよ?」


 ふと、景色に目を移しながら、風化しつつあるニュースの内容を思い返す。当時、テレビでは見ない日はないと言わんばかり映し出されたその凄惨な光景は、同じ日を迎える度に魂を悼む記事が取り上げられる。


 かくいう胡桃自身も、親戚が亡くなったと聞いている。あまり接点のない人ではあったが、中学生にして初めての葬式は少なからず記憶に焼き付いていた。


 これらはたかが老人の説教、と切っては捨てられない事であると少なからず理解している胡桃は、複雑に沸き立つ心持ちをどうにかしようと頭を掻きむしる。


「…あ、そろそろあたしも降りますね」


 停車ボタンを押し、バスが止まるのも待たずに鞄を肩に掛けて、そそくさと立ち上がる。揺れでふらつきながらも、ドアが開かれることを確認するや否や、飛び降りるように去ろうとする。


「…明日、仲直りしてみますね」


 振り向かず、そう呟くような大きさで言い残すと、バスを足早に降りていった。


「またのご利用を」


 ぴかぴかに磨かれた帽子を脱ぎ、にわかに笑みを浮かべて、運転手は客の後ろ姿に向けて礼を述べた。そして、バスは再び発車する。


 月明かりと通り過ぎていく街灯が暗くなった車内を照らす。そんな中、ふと鞄を抱き枕代わりにして目を伏せていた乗客の一人が、自身の携帯端末に一件のメールが着信したことに気が付く。


 客は、その文を一瞥すると、運転している初老の男性に向けて、カメラのシャッターを切る。音は鳴らず、フラッシュも焚いていない、運転手は撮られたことにも気が付いていない。


 その後、客は停車ボタンを押す。街の郊外に止まると、寝起きとは思わせぬ慣れた足取りで素早く降車して、夜の景色に消えていく。


 夜空を背に歩くなか、先程の写真をメールの送り主に返信と共に添付する。


「…ふん。面倒なことを」


 曇りぎみになり、顔を隠し始めた月と、メールの送り主に向けて、吐き捨てるように言い放った。

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