お前らにあいつの何がわかる?
満腹の状態で行われる午後の授業において、約五十分間の間意識を保ってはいられない学生は決して少なくない。
少なくとも、左手で頬杖をついて、今まさに睡魔という強大な敵と格闘している青柳九龍という少年もまた例外ではない。
「えーっと、この問二は…そうだな、青柳、答えてみろ」
オレンジ色に青のメッシュが入ったぼさぼさ髪の女性教諭が、夢と現を彷徨う九龍へと問題を解くよう指名する。
その指名された彼はというと、返事をせず俯いたまま微動だにしない。今し方意識が夢の方へと引きずられていく有様だったのだ。
「はぁ~、仕方ねえ」
女性教諭は溜め息をつくと、手にしていた教師用のテキストを丸めながら彼の席へと近付いてゆく。そして彼の傍らへと距離を詰めたところで、彼女は軽い深呼吸をする。
「起きんかバカモンがぃ!」
掛け声とともに机へ向け丸めたテキストが思いきり叩きつけられる。その瞬間、硬い紙質の表紙から放たれる独特の高い音が教室じゅうに響き渡る。その音にクラスの生徒もいくらか驚いた様子を見せる者も散見された。
当然、音が発した一番近くにいた九龍も例外ではなかった。ふいに起きた高音に驚き、一気に現実に引き戻された。
「おわぁっ⁉」
驚きの余り、素っ頓狂な声を上げる九龍。現実に帰還した彼は周囲を見回し状況把握を急ぐ。
「夢の世界からおかえり青柳。この時間帯に居眠りしたくなるのはわかるが、びっくりしたからといって反射的にパンチするのは良くない。あたしじゃなかったら大怪我だ」
女性教諭に言われ、九龍はふと気がつくと確かに右腕を振りかぶっていた。幸い、教諭がすんでのところで回避したため惨事にはいたっていなかった。
「あ…ああ、すんません、茶花先生!」
「ふう、謝るくらいなら問題を解いてくれるか?ほれ、そこの問二だ」
肩をすくめる茶花教諭に対し、九龍は深く頭を下げた後すぐさま黒板を見直し問題を解こうと思考を巡らせるのだった。周囲から聞こえてくる小さな笑い声に、彼は歯軋りをするしかなかった。
「あー、恥かいた…」
帰りのホームルームが終わり、窓から見える空がより灰色が濃くなっていくなか、消沈した様子で教室の掃除を行う九龍。そんな彼に、小さな影が話しかける。
「聞いたよ?茶花先生殴り飛ばしかけたって?フリョーだねクロウ」
「うるさいぞミシェル。お前掃除当番じゃないどころか特進コースの一組でクラスすら違うだろ。ジャマだ後にしてくれ」
「えー?いいでしょちょっとくらい。すぐ終わるから」
「お前が今日の二組の掃除全員ぶんを請け負ってくれるなら聞いてもいい」
「うわ、きったな…。わかったよもう。大人しく待ってる…」
そのようなやりとりを交わし、九龍はミシェルを掃除中の教室から追い出す。
やれやれ、と肩をすくめる彼に同じ掃除当番であるモスグリーンの髪の少女と朱色の髪の少年が声をかける。
「ねぇ、青柳君。いまのって、特進クラスのミシェル・M・雨傘って子だよね?アメリカ人ハーフで飛び級の」
「あ、そうだよ。たしか入学式の新入生挨拶もやってたよね。もしかして付き合ってるの?」
唐突に今退室したひとりの少女のことを訊かれた九龍は、どこか不思議がる様子で答える。
「いや、ただの友達だが。て言うかなんでもそういう方に結びつけないでくれるか?」
「へぇ、そうなの。なら失礼。いやホラさ、あの子頭凄く良いらしいじゃん?成績も特進クラス内でも結構高いって話も聞くし?」
「おまけに両親の血筋っていうの?お人形さんみたいにかわいいってんじゃん。反則じゃない?」
二人のミシェルを持ち上げていく話し方に、箒を掃きながらそれを聞いていた九龍は鼻につくものを感じていた。
「…で、結局何が言いたいわけ?」
大分投げやりな言い方をする九龍。彼は内心、さっさと掃除を終えてこの二人から今すぐ解放されたい気持ちを強く感じていた。
ふと九龍が二人の口元に目が行くと、それが他人を称賛する者の口元ではないことに気がつく。
「でもさ、やっぱり子どもっていうか。ナマイキだよね?口の聞き方がなってないっていうの?僕ら一応年上だよ?」
「そーそー、この前とか、私の友達があの子にバカにされたって聞いたし。君、友達だったらさ。注意してくんない?」
──チッ、と九龍は舌打ちをする。本題を聞いた途端、心中で燻り出したモノがあった。彼の箒の掃き方は次第に荒くなっていく。
返事をせず、無言で箒で塵を掃いていく九龍に苛立ちを覚えた朱色の髪の少年が彼の肩をつかむ。
「おい、シカトすんなよ。まだ話は─」
「黙ってろ。今の話はバカにされる側に問題があるんだよ。分かったらさっさと掃除をしろ」
「はあ?なによそれ。あんなガキの肩持つの?成績良いだけのナマイキな──」
その時、彼はモスグリーンの髪の少女の言葉を遮るように肩をつかむ少年の手を振りほどいた後、今度は二人に詰め寄り、怒気が籠った目で睨み付ける。
「お前らにあいつの何がわかる?あいつはお前らが思っている以上にできた人間だ。少なくとも他人の文句を本人の前で言えないようなチキン野郎よりはよっぽどな」
それだけを言い残し、掃除を再開する九龍。二人も彼の威圧に慄いた為にそれ以上は話すことはなく、教室の掃除に専念するのであった。




