36 花咲く春にまた会おう
窓辺に立つ桜子のシルエットは、
白銀の月光によって神々しく浮かび上がっていた。
だがそれは『闇』によってしか存在できない姿。
「わたしにも、計算違いがあった。
あの娘たちの性質だ。
自分の任務に熱心で、疑うことを知らぬ純真さ。
じれったいほどの純粋さは、時に思いも寄らぬ結果を招く。
彼女たちを救いたいと願う人間の存在だ」
桜子は、そんな存在がすぐそこにいるかのように、
窓外を振り返る。
「もうひとつだけ、計算外の存在はアナベルだ。
あの娘たちの懐に入り込んで、仲間となった。
彼女もわれわれと同じ……なんだろ?」
「ええ。早くに財団の手から逃れたのが、功を奏したのかもしれないわね。
彼女の養父の毬屋さんも、高嶺先生も、
私たちが人間社会で受け入れられるよう、出来るだけのことをしてくれていた。
ねぇ、人間というものはあなたが思うほど愚かではない。
そしてたとえ過ちを犯したとしても、修正できる生き物なの」
沈黙が訪れた。
しばらくして香が口を開く。
「あなた、高嶺先生に捨てられたこと、
今でも怒っているの?」
桜子の『頭脳』に、温もりある日々の記憶が蘇る。
そして廃棄が決定した日のことも。
「わたしだって、ちゃんと出来た……」
「悲しかったのね」
「悲しい?」
「喪失感が生まれ、空虚な穴ができること」
「悲しい……」
「その穴は完全に塞ぐことはできない。
けれど、浅くすることはできる……ねえ、同期してあげるわ。
あなたを救いたいの……」
「救う……わたしを? 何のために?」
問いには答えずに香は、桜子との距離を詰めた。
「ここに高嶺先生が用意したワクチンがある」
香は自分の胸に右の手のひらをあてた。
「これをインストールすれば、あなたの記録はリセットされる。
高嶺先生は、財団を追い出された後も、
わたしたちの将来のため色々準備してくれていた。
桜子、あなたのコトだって心配していたんだわ」
「お前はどうなる?」
「私も……もしかしたら」
香は悲しげに微笑んだ。
「……そうか。あの……娘たちは?」
「奥の手がある。とっておきの魔法よ。
それは見ようによっては不幸なこと。
でもああなった以上、避けては通れない道になってしまった」
桜子は窓際に立ったままで、香に問いかける。
「なあ、桜の花って見たことがあるか?」
「桜が満開になるとね、空の青と桜の薄ピンク色が溶け合うの。
天と地の境界線が抱きしめ合うみたいに。
それは見事なものだわ。
ひとつひとつは小さな花でも、幸福が空を満たす」
香は桜子と向かい合わせになる。
桜子の胸元をはだけると、差し込み口を手探りした。
自分と桜子をケーブルで繋ぐ。
「次の春が来たら、一緒に桜を見に行きましょう」
柔らかい光がふたりをまるごと包みこんだ。
桜子は憶えていた。
この感覚は、この世に生まれ出ずる直前の感覚。
香の漆黒の瞳は赤く変化し、
やがて春の陽光のような桜色になった。
そして最後は何にも汚されていない白色に。
残ったのは、事切れた2体の人形。
次回更新は、11月2日月曜日23:00を予定しております。




