18不穏な客と城の大わらわ。嵐のような来訪者と夫の溜息
オルゴールの優しい音色が響く夜から数日後、城は平穏な日々を過ごしていた。ルカスは新しい木製の馬と積み木で遊び、ディートリッヒは執務の合間に時折オルゴールの音に耳を傾けるようになった。
毒舌にも以前より明らかに表情豊かに反応するようになっていたある日の午後、ルカスと薬草畑の手入れをしていると城の門番が血相を変えて駆け寄ってきた。何事かと顔を向ける。
「フロラティア様! ディートリッヒ伯爵様! 大変でございます! 北門に不審な馬車が到着し、門を開けるよう求めております!」
門番の慌てぶりに眉をひそめた。辺境の地に予告なく訪れるような貴族は珍しい。しかも不審な馬車とは穏やかではない。
「ご苦労なこと。一体どこの物好きな貴族?中央の嫌味な監査官がまた来たわけではないでしょ」
門番は顔を青ざめさせた。
「それが……馬車の紋章は王家のものと、王太子妃様の紋章でございます」
門番の言葉に思わず目を見開いた。ソノア。なぜ、この期に及んで彼女が独断でここまでやって来るというのか。王都での夜会の後、ヴァルター伯爵家へ来る理由は一つもないはずなのに。
ディートリッヒが執務室から出てきた。彼は門番の報告を聞くと表情から一切の感情が消え、いつもの氷のようなプレッシャーを湛えた。
「馬車を止め門は開けるな。私が行く」
ディートリッヒの声は静かでありながら、城全体に響き渡るような威圧感がある。門番は恐縮し、踵を返して駆け戻っていった。
「一体何のつもり? こんな時にわざわざ王太子妃様が辺境までいらっしゃるなんて、まともな理由があるとは思えない」
ディートリッヒはちらりと見た瞳には、深い警戒の色が。
「……何が目的かは分からんが碌なことではないだろう」
言い放ち、こちらとルカスを残して北門へと向かっていった。ルカスは不安そうに服の裾を握りしめている。
「フロラティア様……」
「大丈夫だからねルカス。朴念仁がいるのだから、何も心配することはないの」
言ったものの心臓も不安と苛立ちで大きく高鳴っていた。ソノアが一体何を企んでいるのか。
数分後、北門の方から騒がしい声が聞こえてきた。どうやらソノアが強引に門を開けさせようとしているようだ。城の使用人たちが、門の前で大わらわになっているのが想像できた。
「開けなさい! 私は王太子妃! このような辺境の門番が行く手を阻むなど、許されることではないのよ」
甲高い声が風に乗って城の中まで届いてくる。相変わらず癇に障るなぁ。
「随分とご立派なこと。辺境までわざわざ出向いてきて門の前で喚き散らすなんて、王太子妃の品格も地に落ちた」
呟くと、ルカスが不安そうに私を見上げた。
「フロラティア様……」
「大丈夫よルカス。女は騒ぎたいだけだわ。でも、そうはさせない」
ルカスを連れて北門の方へと向かった。門前にはディートリッヒと数人の騎士たちが、ソノアと彼女の侍女たちを前に立ちはだかっていた。ソノアは顔を真っ赤にして門番や騎士たちに罵声を浴びせている。
「なぜ門を開けないの!? 私が誰だか分かっているのでしょうねぇ!? このような辺境の地でこのような目に遭わせるとは後悔させてやる!」
叫ぶと、ディートリッヒが冷たい声で口を開いた。
「王太子妃殿下。許可なく辺境伯領に立ち入ることは認められておりません。速やかにお引き取り願いたい」
「な、なんですって!? ぶ、無礼者! 私の許可なく、の門を閉じるとは、ヴァルター伯爵も随分と傲慢になりましたことねぇ!」
怒りで顔を歪ませたので、ディートリッヒの隣に現れた。
「ごきげんよう、こんなところで何をしているの? 辺境の空気が恋しくなった、なんてことはないわよね」
見て目を見開いた顔には、驚きと隠しきれない焦りの色が浮かんでいた。
「うるさいわよ!開けなさいと言っているのが聞こえないの!? 粗末な門の前で待たせるなんて、不敬罪で処刑されたいの!ねえ!?」
金切り声がのどかな辺境の空気を切り裂いた。北門の前はカオス。連れてきた近衛兵とウチの騎士たちが睨み合い、間でソノアがヒステリックに叫んでいる。ディートリッヒは眉間に深い皺を刻み頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
「……頭が痛くなる声だ」
ぼそりと呟いた本音に思わず吹き出しそうになった。
「あら奇遇。同じことを考えていた。発情期の山猫みたいだもの」
毒づきながらさらに門の前に進み出ると、ソノアが目を吊り上げた。
「お姉様!どういう教育をしたら野蛮な騎士たちが育つのかしら!」
「 元気そうで何より。でも、ここは王宮の舞踏会場じゃない。大声を出したら森の熊が求愛されたと勘違いして出てくる」
「は、熊ですって……熊!? ば、バカにしないで!」
顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「それで? 事前の連絡もなしに、一体何の用。お茶をしに来たわけではないでしょ」
冷ややかに尋ねるとソノアはふんと鼻を鳴らし、扇子を広げた。
「お姉様が惨めな生活をしていると聞いて、居ても立ってもいられなくて来たの! 視察よ、視察! 王家の慈悲として辺境の暮らしぶりをチェックしてあげる!」
要するにアラ探しに来たということ。夜会での屈辱を晴らすためにわざわざここまで。暇なことだ。
「お引き取り願いたいところだが……」
ディートリッヒが低い声で唸る。しかし、相手は腐っても王太子妃。門前払いをすれば口実にまた中央で何を言われるか分からない。




