組織の日常 『家族』
家族
とある日曜日。
ショウエン様の買い物の付き添いで中央繁華街に出た。
ショッピングモールで彼女の新しい靴と鞄を買うために来たのだが、やはり休日は人が多い。
通りを歩くだけで人にぶつかりそうになり、油断すればショウエン様と離れかねない。
そのため、私は彼女の手を握る。
『親子』として七年近く共に過ごしてきたお陰で、全くの他人であるというのにその行為を自然に、そして特になんの感情もなく行うことが出来る。
いや、安心感すら私は感じている。
この手に感じることが出来る体温。
こうして街を一緒に歩くことが出来る幸運を、図らずも持つことが出来て私は嬉しい。
勿論『任務』である。
だが、彼女に対して特別な感情を持つなとは言われていない。
この気持ちは、おそらく娘に向けるモノだ。
異性に向けるモノではないということは確かだ。
「ショウエン様。買い物が終わったらカフェに行ってみませんか?流行りの店があるとCが言っていました。」
「任せる。特に今日は予定がないから。」
「了解しました。」
私は彼女の手を握る力を少しだけ強めた。
人の間をすり抜けて、ブティックに入る。
布や合成繊維、合成革に本革とあらゆる素材、あらゆる種類の品が揃えてある。
今日彼女が欲しいのは通学用鞄だ。
今まで使っていたものは、例の騒動の際に催涙ガスとガソリンの臭いが染みついてしまったため使うのが少々はばかられる。
そのため新しい品が必要になったのだ。
靴についても同じ理由。
丈夫な合成繊維の黒いスクールバッグを彼女は選ぶ。
そして店には靴も多少置いているのだが、どうやら運良く彼女の気に召すモノがあったようだ。
それを持って私の所にくる。
「D、これにしたいのだがどうだろうか?」
「ええ、大丈夫だと思います。会計を済ませてきますね。」
私は靴と鞄を持ってレジに行く。
値段は、安いモノだ。
普段彼女の上司が買う物の10分の1もない。
本当ならもっと良い物を揃えるべきなのだが、『普通の人』として振る舞うなら『平均的な中学生』を演じなければならない。
服飾品なら、我らの母体のノウエンコーポに山とあるが、どれも高価である。
わざわざ中央市街地のモールに来たのも、『よく中学生が持っているもの』を買うためである。
「お買い上げありがとうございました。」
レジの女性が商品を袋に詰めて私に渡した。
ショウエン様は既に入り口で待っている。
「ありがとう、D」
「いいえ」
店の外に出て、空いている方の手で彼女の手を掴む。
「ではカフェに行きましょう。ここから少しの筈ですから…」
と雑踏に足を踏み入れた時だった。
不意に誰かに肩を叩かれる。
そして耳に届く
「ジャンジャックじゃないか!久しぶりだな!」
捨てたはずの、名前が
私は声の方角を振り見た。
崩れた服の、私と同じ歳くらいの男が立っていた。
しかし皺の付いたシャツとよれよれのズボン、かろうじて無精ひげは無いが、だらしない印象を受ける。
どこかで見たことがある様な気がする男だ。
「…どなたですか?」
「忘れちまったのか?まあでも無理はないか。お前が退職してもう十年近くだもんな。」
「……ああ、思い出しましたよ。」
以前務めていた会社の数年上の先輩だった男だ。
二十歳そこそこで専門学校を卒業して直ぐ働いた私になにかと世話を焼いてくれた人物だ。
妻の一件があるまで二年近く一緒に仕事をしていたが、会社を辞めてしまってからは一切連絡を絶っていた。
まあ、裏組織に入り名前も捨てたから当たり前なのだが。
「いや~全く連絡が付かないから心配していたんだぞ?でも、その様子を見ると大丈夫そうだな。」
そう言ってショウエン様をじろじろと見つめる。
彼女は無表情だが、どうやら状況を伺っているようだ。
「…前の職場の関係者ですよ。」
「………ああ、そうなのか。」
「ジャンジャック、その女の子はなんだ?…もしかして、これか?」
と小指を立てる。
「違います。娘です。」
私はさらりと否定するが、この男はじろじろとショウエン様を見つめたまだ。
不愉快だ。
彼女を私の後ろに隠すように追いやり、男に話しかける。
「すみません、娘は人見知りなので…ご用がなければ、このまま行っても宜しいですか?」
つとめて穏やかに、私は言う。
私の過去を知るものに、これ以上関わりたくないのが本音だ。
「まあ、折角会ったんだし話くらいはいいだろ?心配していたんだぜ、辞めてから音沙汰ないし。もしかして…っとも思ってたんだ。でも、仕事にも就いているみたいだし、しかも娘もいるし、羽振りもよさそうだ。そのあたりの話を聞かせてくれよ」
私をなめ回すように見る。
既にショウエン様は視界から遮っているからいいが、かなり不快な視線だ。
一刻も早くショウエン様からこの男を遠ざける必要があるだろう。
「……そうですね、分かりました。ですが娘は用事があるので先に帰らせます。いいですね?」
「ああ、構わないよ。大人の男同士、遠慮無く話そうぜ。」
私はショウエン様を先にカフェに向かわせた。
ここからさほど離れていないし、念のためにとCに護衛を引き継ぐように連絡も入れた。
幸い中央市街地を彷徨いていたらしく、店でショウエン様と合流できるらしい。
「話とは、なんですか」
雑踏から細い筋を何本か進んだ路地裏に入り込む。
話があるなら喫茶店にでも行って聞くのが普通だが、予想通り男は普通の話をするつもりがなかったようだ。
「いやあね、羽振りが随分と良さそうだし、一体何の仕事をしてるのか興味があってね。しかも娘か…再婚でもしたのか?」
「応える必要は、無いと思うのですが。」
そう私が言うと男はあからさまに顔を顰める。
「なんだよ、ツレねえな。昔は随分世話をしたと思うんだが?」
「それに関しては感謝していますが、『今』の私の事を言う必要はないと思います。…それに、それが本題ではないのでしょう?」
世間話をするつもりはないし、いつまでもこの男に構う必要は皆無だ。
男だって、本当に私の近況を知りたいわけではないだろう。
羽振り、と言ったか。
そういえばこの男の身なりは、とてもじゃないが経済的に余裕のあるようには見えない。
私が以前いた会社は、そんなに給料状態は悪くなかったはず、だ。
職を失ったか、あるいは浪費しているか。
理由は分からないが、おそらく私に声を掛けたのは十中八九、金の無心だろう。
「お前、なんか変わったな。まあ、『あんなこと』があった後じゃあ人間変わるしかないか。」
「…あなたも随分と変わりましたね。仕事は上手くいっているのですか?」
会話を先に進めるために、男の近況について話を振る。
男は頭を掻きながら苦々しい顔で。
「仕事な、仕事はあるが金がねえ…」
「借金ですか。」
「そうさ。借金さ。最初はほんの少しだったんだ。でも、段々増えて来ちまって、返すために他の所から借りて…気が付けば、給料の殆どを毎月持って行かれることになっちまった。家族も友達も愛想尽かして、今では誰も助けてくれない。」
「…それは、お気の毒様です。」
「今だって、返してきた帰りだ。財布はすっからかん。生きているのがやっとだ。…だからな、ほんの少しで良いんだ。絶対返すから、な?」
やはりそうだ。私から金を借りる為に呼びかけたのだ。
「…貸したとして、あなたはそれを何に使うのですか?」
「なんでもいいじゃねえか!…あ、すまねえ。いや、色々だ。色々とたりないモンがあるんだよ…」
かなりぎこちない、というか明らかに狼狽えている様子から大方娯楽に使うのだろう。
この様子では、生きているのがやっと、でも娯楽はやめない。
そんな生活をしているのだろう。
金を返してきた帰りと言っていたが、それも怪しく感じる。
娯楽…つまりギャンブルの帰りなのでは無いだろうか。
「…お断りします。私も娘を一人で育てているんです。あまり余裕はないんですよ。」
「一人?再婚してねえのか?…ってことはさっきの子は、養女かなんかなのか?…いや、娘とか言って、やっぱり本当はこれなんだろ?」
とまた小指を。
「しつこいですよ、本当に。…用事がないのなら、これで失礼します。」
「まあ、まてって」
私の肩を男は掴む。
払い落としたい気持ちに駆られるが、こらえる。
「…お前、あの事件のあと本当にどうしたんだ?俺は必死に探したんだぜ?嫁さんの後を追ったんじゃないかとか、どこかでのたれ死んじゃい無いか。でもお前は『消えた』。俺の目の届くところからはな…」
「……」
「引っ越したんじゃないかとも思ったけどよ、今日こうしてこの街で会ったから違うんだろう。…お前、人に言えないような所に今居るんじゃないのか?」
「何が言いたいんですか?」
男は真剣な顔をしようとしているのだろうが、眼が笑っている。
「…裏組織に居るんじゃないかって、俺は心配してんだよ。自暴自棄になって、犯罪に手を染めていないか、とかな。」
事実その通りなのだが、肯定することはない。
無視して帰ろう。
そう思って踵を返そうとした、その時。
「そういや、あの事件のあと警察官が大量に銃殺された事件があったよな。」
男が不意に
「そういえば、ありましたね」
「だろ。犯罪組織の報復かとも思ったけど、犯行声明も特になく、ってやつで当時謎を残したままの事件だ。」
私が引き起こした事件の事を話題に出した。
「犯人はまだ捕まっていないんでしたね。」
「そうさ。容疑者は何人かいらたしいが、全員白。真犯人はどこにもいない……」
私を見る男の目が笑っている。
どうやら、私を疑っているようだ。
「私が犯人だと、言いたいんですか?」
「いいや、そこまで言っていない。だけど、警察はまだ手がかりを探しているってわけだ。話くらいはしてもいいんじゃねえのか?」
どうやら警察に私の事を言うつもりのようだ。
今の私は偽りの身分情報を持っているため、かつてのジャンジャックとしての身分データを照合されるとかなり面倒くさい事になる。
「私としては、警察と関わりたくありません。外聞もありますから。」
「だろうよ。潔白だとしても、警察と関わったら大変だろうな。善良な市民として凶悪犯罪の解決に協力するのは義務だけど、俺とお前の仲だ。お前を警察に知らせたりはしないよ…ただ、すこし心遣いは欲しいところだよな。」
彼にとって、私が警察官連続銃殺事件の犯人かどうかなど関係ないのだろう。
ただ、金が欲しい。そのためにわざわざ話題を出したに過ぎない。
そして、普通の人間ならば警察とは極力関わりたくないという心理を利用して金を脅し取ろうとしている。
こういった手口は、その場の要求を呑むと後々続く。
私はわざとらしくため息を吐く。
ジャケットの懐に手を差し入れた。
その動作に、財布を取り出すのだろうと思ったのだろう。
男は安堵とも取れる表情を浮かべる。
私は煩わしい、といった表情を『作り』、『財布を出すところを見られまい』と演技する為に男に背を向けた。
実際私の手に触れたのはホルスターに収まったハンドガン。
それを男から見えないように取り出し更に持ってきていたショートサプレッサーを装備する。
「……そういえば、ご家族もご友人も疎遠になった、と仰っていましたよね。連絡もしていないんですか?」
「そうさ!こっちから連絡しても、ウンともスンとも言いやしねえ。最近はもう諦めて何もしないけどな。」
「そうですか」
装置がはめ込まれたのを確認して私は振り向いた。
「では、何もしなくても大丈夫ですね」
驚く男の眉間に照準を合わせ、引き金を引いた。
「D、遅かったな」
待ち合わせ場所のカフェに行くと、ショウエン様とCが待っていた。
ショウエン様の前にはパフェが、Cの前にコーヒーとサンドウィッチが置かれていた。
どちらも半分以上すでに食べられている。
「遅くなって申し訳ありません、ショウエン様」
「いや、大丈夫だ。…?」
ショウエン様の鼻が動く。そう、臭いを嗅ぐよう動作。
路地裏を抜けてきたから、生ゴミの臭いでも付いていただろうか。
一応、路地から抜けるときにコロンを振りかけたのだが。
「臭いますか?」
「……煙の、臭いが少し。」
「煙?」
そう言ってCは私のジャケットの裾を掴んで鼻を押し当てる。
「止めろ暑苦しい。」
「あ、ほんとうだな。すげえな嬢ちゃん。」
Cが嗅いだのはジャケットの臭いなどではなく、その内側にあるもの…さっき使ったハンドガンから微かに漂う硝煙の臭いだ。
「お前にしちゃあ、けっこう荒い事したな。」
「昔の知り合い、しかも脅そうとしてきたからな。」
「脅し?お前をか?」
「ああ」
出てきたウェイトレスにコーヒーを頼む。
注文を確認すると直ぐに引っ込んだ。
「脅すなら相手見ろって事だな」
「まあ脅迫自体褒められた事じゃないけどな…ショウエン様、煩わせてしまい申し訳ありませんでした。」
「いいや、構わない。…D、必要な買い物は済んでしまったが、この後どうしよう?」
「俺は嬢ちゃんの服を買いに行くのが良いと思うぜ。隊長も喜ぶだろうし。」
「なぜお前が決める。」
「分かったそうしよう。」
「分かりました。」
「おい、俺の意見だぞ。なんか俺の扱い酷くないか?」
そうやって他愛もない会話を交わしているうちにコーヒーが運ばれてきた。
Cが薦めているだけあって、良い香りだ。
私はそれに口を付けた。
これを呑んだら、さあショウエン様をどの店に連れて行こうかと考えながら。
END
Dにとって組織(特にショウエン)は守るべきものであり、絶対に失いたくないものです。
それを脅かすものは…。
ちなみにDの本当の名前はジャンジャック・スミス。
よくある名前です。




