『煙』14.日常と奈落の間で
14.日常と奈落の間で
目覚めると見慣れない天井が目に入った。
ぼんやりとする意識で、昨日のことを思い出す。
学校の後、アデーレを送って、その後でロメオに襲われて。
でもザクト様が助けてくれてその後…その、後……
「!ザクト様!!」
私は飛び起きる。
そうだ、シャワーから出てそのあとに寝てしまったのだ。
誰かに運ばれるような感覚だけは覚えている。
その誰かは間違いなくこの部屋の主であるザクト様で。
ベッドサイドの時計を確認すると時刻は午後6時。
昨日眠ってしまったのが23時ごろだったから、しっかり7時間は眠ってしまった。
でもベッドには私以外の姿はない。
「…」
私はベッドを降りて、リビングに向かう。
冷たい床が少し火照った身体に気持ちよい。
薄暗いリビングのソファの上に、あの方はいた。
横たわり瞼を閉じて、規則的な呼吸をしている。
眠っている。私がベッドを占領してしまったから。
「ごめんなさい、ザクト様。」
ちいさな声で呟く。目を覚まされたら、また改めて言おう。
「……」
私は彼を見る。
暗闇になれた目に彼の整った顔立ちが目に入る。
目元に掛かる前髪を退けると長いまつげと、滑らかな肌が。
触れたくなった。
「……」
自分でも信じられない行動に出てしまった。
私は跪き彼の額に唇を押しつけた。これは感謝の気持ちだ。
何も疚しいことはしていないと、私は自分に言い聞かせた。
「ありがとう、ございます。」
私はもう一度シャワーを浴びようとバスルームに向かった。
「やあ、おはようショウエン。よく眠れたかい?」
シャワーから上がると彼が起きていた。
「すみません、起こしてしまいましたか?」
「いいや、大丈夫だ。それと昨日のうちにDに君の服類を君の部屋に運ばせておいた。…あと今日は学校に行きなさい。君の友人も心配していたからね。」
「アデーレが…?もしかして、昨日のこと知って…?」
「口止めはしているから、漏れては居ないだろう。しかし、Cの話だと彼女も奴らにマークされている可能性がある。今日は君の護衛と共に、彼女にも目を光らせておくよ。」
私のような人間だけでなく、アデーレにまで気を遣って下さっている。
「ありがとうございます。何から何まで、本当に。」
「いいってことよ。あと今日の放課後、ちょっと遊びに行こう。服とかはそれまでにこっちで用意しておくから、ね。いいかい?」
私は頷く。
あなたが望むのなら、どこへでも付いていきます。
朝食を済ませて『自分の部屋』に行く。
ここは、何年ぶりだろうか。
部屋は掃除されていて、昨日まで人が使っていなかったとは思えない程手入れがされている。
私の制服は、リビングの机の上にあった。
新品であることは、一目で分かる。
ちゃんと仕付けも切られていて、袖を通すだけでいい。
D、ありがとう。
鞄も昨日車に置き忘れていたものだ。
中身を確認したが、特に問題はない。
私は身なりを整えてザクト様の部屋に向かった。
「…あ、Dそれに…」
ザクト様の部屋の前にはDがいた。
いつものダークグレーのスーツではなく、黒いスーツにサングラスを掛けている。
扉を挟んでその隣にも、同じ服装の男がいる。
確か、昨日倉庫で見た。
「Cです。ショウエン様。本日はDとともにあなたの護衛をさせていただきます。」
「あとAとEもあなたと、あなたのご学友に付きます。…今日一日はこれを。」
そう言ってDは私にピンズを渡した。
制服の襟に付けろということらしい。
「監視装置です。音声と映像を自動的にこちらに送ります。…お手洗い等で不必要なときは、この紅い部分を三秒ほど長押しすると消えます。」
「念が入っているね。」
「ええ。何があるか分かりませんから。」
制服にそのピンズを付けていると、ザクト様が部屋から出てきた。
服装は、シャツにワインレッドのベスト。黒いスラックス。
目には丸いサングラス。いつもの格好、だ。
「さて、登校しようか。ショウエン。」
「はい。」
私は彼に先導されて、地下の駐車場まで歩く。
車は、あの黒いバンではなく多人数乗りの高級車。
威圧感のある風体に、内部はふかふかの革張りのシート。
私の送迎の為に出すような車ではない。
「ザクト様、私…」
「気にしない気にしない。演出の一つなんだから。」
「演出…?」
「そう、演出」
彼に押されるまま車に乗り込んだ。
車の中だというのに広くて、落ち着かない。
DとCは運転席と助手席に。
AとEはそれぞれ別の車両で私達に着いてくるらしい。
「ま、君は普段通りにしていればいい。あとは俺達がやっておくから。」
心底楽しそうなザクト様に私はただ従うしかなかった。
「(どうなっている…どうなっている!!)」
ロメオは教室の窓から校門を見て焦っていた。
目撃者というアデーレを登校中に攫おうと部下を配置しておいたのに、尽く連絡が付かなくなった。
その上、ショウエンは普段通り、いや高級車に護衛と、重厚な警備で登校してきた。
倉庫は謎の爆発で粉々になり、今ロメオの会社で後始末を行っている。
「(…まさか、彼女は普通の人間ではないのか?)」
精々、小金持ちの家の子供と思っていたロメオは衝撃と、そして恐怖に打ち震えた。
ショウエンは校舎に入るまで二人の護衛を左右に侍らして来た。
車の傍には、紅い髪の男が立っていることが辛うじてロメオには分かった。
「…!」
その男がロメオを見る。
何かを伝えようとしているのか、口が動く。
何を言おうとしているのかは判別できないが、その目がロメオを射貫く。
得物を狙う獣の眼だった。
「どうしたの、バルトくん。」
「凄い汗だよ?」
「なんでもない!!なんでも!!」
ロメオは恐ろしくなり、窓辺から離れた。
「ショウエン!!ショウエン!!」
彼女が、アデーレが私の姿を見るなり抱きついてくる。
毎朝の彼女の日課、水やり。
恐らく今日も来るだろうと予想して、花壇の前で待っていたのだ。
「アデーレ、心配掛けてごめんね。私は大丈夫だから…」
私は事の顛末を話した。
彼女は最後まで聞いた後に、深呼吸をした。
「…実は、さっきバルトくんらしき人を見たの。見たこともないくらい、焦った表情をしていたから最初は誰か分からなかったわ。」
「…そう。アデーレ、昨日から変わったこととかは、ない?」
「うん。特には……多分。」
アデーレは気付いていないようだ。
実はザクト様の部下のBがアデーレを見張っていたのだが、今朝から回数にして三回、何者かがアデーレに近付こうとしたのだ。
Bが彼女に悟らせないように始末したらしいのだが…。
「アデーレ、暫くは一緒に帰ろう。」
「でも……分かったわ、そうする。宜しくね、ショウエン。」
私はもう一度、アデーレを抱きしめた。
何事もなく授業、何事もなく昼休み、午後の授業。
そして、アデーレを送って、そしていまDの家に居る。
驚いたのは、家の中が殆ど何も無い状態になっていたことだ。
ザクト様が、殆どをノウエンタワーに運んだらしい。
家の中には、今日一日いなかったBがいた。
アタッシュケースに、組み立てられた銃器が、リビングの床に置かれている。
「準備、出来ています。」
「ご苦労。作戦開始は、21:00。現地には20:50に到着だ。」
「ザクト様…これは……」
「今朝言った、遊びに行く準備さ。さ、ショウエンも着替えておいで。」
「ご用意はお部屋に運んであります。さあ。」
Dが私を二階に誘う。
慣れたはずの私の部屋は、部屋の中央に置かれたアタッシュケースを除いて何も無い。
今朝、タワーの私室に運ばれていたから何も問題はない。
しかし少しだけ寂しさを感じる。
「……」
Dが下がったのを確認して、私はアタッシュケースを開けた。
その中には、服が。
「これは、戦闘服…」
黒いインナースーツと防弾チョッキ。
各部位プロテクターにヘルメット。
ハンドガン。そしてバトルナイフ。
「…」
引き抜くと刀身が光る。
私はそれを二三度振るう。
丁度、良い。重さ、持ち手、大きさ。
全てが丁度良い。
私はそれを試しに振るった。
ひゅんっと、空を切る音が鳴る。




