59話スクリム三日目
朝から、なんとなく体が重かった。連日の残業と練習の疲れが、ここにきてじわりと蓄積していたのかもしれない。目を擦りながらパソコンの前に座った叶は、いつもより一拍遅れて配信を開始した。
三日目は、これまでとは打って変わって、噛み合わない一日になった。
二日目の好調さが嘘のように、序盤から連携のズレが目立ち始めた。叶の索敵報告とシャーロットの指示にわずかな時間差が生まれ、フィガロの動きが後手に回る場面が続いた。
「――すまん、今のは俺の反応が遅かった」
「いえ、私の指示が曖昧だったからです」
「いや、我の索敵の伝え方が悪かった」
三人が互いに非を認め合う光景に、コメント欄も少し戸惑い気味だった。
『息が合わなくなってる?』
『昨日あんなに良かったのに』
『調子の波ってやつか』
二ラウンド目は、さらに深刻な結果となった。索敵と指示の間に生まれたわずかなズレが、致命的な連携ミスへと繋がったのだ。
「――右手だ、右!」
「え、左ではないんですか?」
「――違う、右だ!」
叶の焦った声と、シャーロットの困惑した声が重なる。結果、二人の動きは正反対の方向へと分かれてしまい、フィガロだけが孤立する形で敵の集中砲火を浴びることになった。
「――くっ……!」
フィガロが早々に脱落し、そのまま二ラウンド目も苦い結果に終わった。
『これは珍しくグダグダだな』
『三人とも噛み合ってない』
『こういう日もあるか』
昼休憩を挟み、三人は一度冷静に状況を整理することにした。マイクをオフにする前、叶は小さくため息をついた。自室の椅子に深く座り直し、天井を見上げる。
(――こんな日もあるか)
そんな思考が頭をよぎった。だが、不思議と気分は沈みきらなかった。むしろ、うまくいかない日をどう乗り越えるか、その練習をしているような感覚があった。
休憩を終え、再びマイクをオンにすると、フィガロの落ち着いた声が響いた。
「――一度、基本に戻ろう」
フィガロの提案で、三人は改めて役割分担を確認し合った。誰が何を担い、どのタイミングで情報を共有するか。当たり前のはずの基礎を、もう一度丁寧に言葉にしていく作業だった。
「私、昨日の調子に少し慣れすぎてたかもしれません。今日は、もう一段階丁寧にいきましょう」
シャーロットの言葉に、叶とフィガロも頷いた。
「索敵報告は、必ず『東西南北』で統一しよう。『右』『左』だと、視点によってズレが生じる」
叶の提案に、二人は素直に頷いた。地味な取り決めだったが、この一言が、午後の展開を大きく変えることになる。
三ラウンド目、叶は改めて意識しながら報告した。
「――北に、敵の反応。距離は中程度」
「了解、北に注意します」
方角を明確にしたことで、これまでのようなズレは一切生じなくなった。小さな工夫が、着実に噛み合いを取り戻していく手応えとなって表れた。
午後のラウンドからは、少しずつ噛み合いを取り戻していった。派手な逆転劇こそなかったが、三人は一つひとつの判断を、丁寧に確認し合いながら進めていった。
「――今の、良かったと思う」
「はい、しっかり拾えました」
小さな成功体験を、その都度言葉にして共有する。地味な作業ではあったが、それが確かな土台になっていくのを、叶は肌で感じていた。
四ラウンド目、噛み合わない一日の中でも、一つだけ光る場面があった。安全圏の端で孤立していた敵を、叶が単独で発見したのだ。
「――南の岩場、一人、動きが鈍い。負傷しているのかもしれない」
「クリムさん、狙えそうですか?」
「――やってみる」
スコープ越しに狙いを定め、慎重に引き金を引く。
――命中。
「――決まった」
「今日一番の良い報告です!」
シャーロットの声に、わずかに沈んでいた空気が和らいだ。噛み合わない一日の中でも、確かな一撃を刻めたことが、三人にとって小さな救いになっていた。
五ラウンド目、疲労の色が見え始めていた三人だったが、それでも粘り強く立ち回った。噛み合わない日だからこそ、無理をせず、確実に守るべきところを守る――そんな意識の共有が、自然と生まれていた。
「――今日は、勝ちにいく日じゃないな」
叶が呟くと、フィガロが同意する気配がした。
「うむ。生き残ることを優先しよう」
「賛成です。今日はそれで十分だと思います」
三人は無理な交戦を避け、地形を活かして最後まで生存に徹した。派手さのない結末だったが、それもまた、この日にふさわしい戦い方だった。五ラウンド目は、大きな成果こそなかったものの、致命的な崩れを見せることなく終えることができた。
三日目のスクリムを終えた夜、三人だけの通話では、いつもより静かな空気が流れていた。
「今日は、正直きつかったな」
叶が素直な感想を漏らすと、フィガロも同意した。
「うむ、俺もだ。だが」
「悪い流れの日があるのも、当然のことです。むしろ、今日みたいな日にどう立て直すかの方が、大事な気がします」
シャーロットの言葉に、叶は深く頷いた。
「――そうだな。今日、俺たちは立て直せた。それは、悪くない収穫だ」
「ええ。明日は、また調子を取り戻していきましょう」
「うむ、期待しているぞ」
少しの沈黙のあと、フィガロがぽつりと切り出した。
「――なあ、こんな日があってもいいと、俺は思う」
「と、言うと?」
「毎回うまくいっていたら、それはそれで怖い。うまくいかない日をどう乗り越えるか、その練習を、今日できたと思えばいい」
フィガロの言葉に、叶は妙に納得した。
「うむ、確かに。本番でも、こういう日が来るかもしれんからな」
「そうですね。今日みたいに、お互いの非を素直に認め合える関係があれば、きっと大丈夫です」
シャーロットの言葉に、三人は静かに頷き合った。声には出さなくとも、その場の空気には、確かな信頼が満ちていた。
「――なんだか、今日で一段階、絆が深まった気がするな」
叶がしみじみと呟くと、二人が同時に笑う気配がした。
「クリムさん、詩的ですね」
「からかうでない」
軽口を交わしながらも、その言葉に嘘はなかった。好調な日ばかりではない――そんな当たり前のことを、三人は身をもって学んでいた。それでも、互いを支え合いながら乗り越えていけるという実感が、三日目の夜、確かに三人の間に根付いていた。




