58話スクリム二日目
カチ、カチ、とマウスをクリックする音だけが、静かな部屋に響いていた。仕事終わりの疲労と、昨夜の反省が入り混じった、独特の緊張感。窓の外はすっかり暗く、モニターの光だけが叶の顔を照らしている。
二日目のスクリムは、初日とはまた違った緊張感の中で始まった。
「昨日の反省を活かそう。焦らず、堅実にいくぞ」
フィガロの声に、いつもより落ち着きが増していた。一晩を挟んだことで、三人とも気持ちの切り替えができていたのかもしれない。
「クリムさんも、無理に索敵を急がなくて大丈夫ですからね。正確さ優先で」
シャーロットの言葉に、叶は素直に頷いた。
「分かった。今日は、慎重にいく」
一ラウンド目、降下直後から、三人は徹底して守りを固めた。物資を集めながらも、無用な接触は避け、地形を活かした立ち回りに徹する。
「――西の茂み、敵の気配。だが、まだこちらには気づいていない」
「やり過ごしましょう。今は物資を優先します」
シャーロットの判断で、三人は静かにその場を離れた。派手さのない、しかし着実な判断の積み重ねが、生存順位を押し上げていく。
二ラウンド目も、同様の堅実さを貫いた。中盤、安全圏の収縮に巻き込まれかけた場面があったが、叶の的確な地形把握が功を奏した。
「――東の斜面を登れば、安全圏の中心に近づける。少し遠回りだが、安全だ」
「了解、そちらに向かいましょう」
結果、一ラウンド目、二ラウンド目は、堅実な立ち回りで着実に生存順位を積み重ねた。派手さこそなかったが、初日に比べて、明らかにミスの数が減っていた。
『今日は落ち着いてるな』
『昨日の反省がちゃんと活きてる』
『地味だけど、これが本番向きの動きだと思う』
そして迎えた三ラウンド目。劣勢の中、叶が咄嗟に出した索敵情報――「右手の高台、敵の反応が薄い」――を、シャーロットが即座に拾い上げ、「そこを取りに行きましょう」と指示を飛ばしたことで、チームは形勢を逆転させることに成功した。
「――やった、のか?」
思わず声が上ずる叶に、シャーロットが興奮した様子で返す。
「今の情報、完璧でしたよ! 高台取れたおかげで一気に押せました」
「クリムゾフィア殿、見事だった」
フィガロの珍しく素直な賞賛に、叶は照れくささと誇らしさが入り混じった感情を覚えた。
『クリム様のサブオーダー、キレてる』
『シャーロットさんの拾い方も上手い、コンビネーションだな』
『このチーム、本番でも化けるかもしれん』
コメント欄も、その一幕に沸いていた。
四ラウンド目は、これまでで最も激しい混戦になった。複数のチームが同じ安全圏に殺到し、乱戦の様相を呈する中、叶たちは冷静さを保ち続けた。
「――敵、複数入り乱れてる。狙うなら、消耗しているところだ」
「クリムさんの言う通りです。少し様子を見ましょう」
シャーロットの判断通り、他チーム同士の戦いが落ち着いた頃合いを見計らって、三人は一気に攻勢に転じた。疲弊した敵を的確に狩り、生存順位をさらに押し上げる。
「――綺麗に決まったな」
「ここまで来ると、なんだか癖になりますね」
五ラウンド目、これまでの四ラウンドとは打って変わって、静かな心理戦の様相を呈した。安全圏の収縮が緩やかで、各チームがぎりぎりまで交戦を避け、様子を窺い合う展開だった。
「――誰も動かないな」
フィガロの呟きに、シャーロットが即座に反応する。
「こういう時こそ、こちらから仕掛けるべきです。相手も同じことを考えているはずですから」
「うむ、一理あるな」
叶は改めてマップを見渡した。物陰に潜む複数の気配、そのどれもが、様子見のまま動く気配を見せない。
「――北の集落、二チームが睨み合っている。我らが動けば、漁夫の利を狙える位置だ」
「クリムさん、いい着眼点です。行きましょう」
シャーロットの決断は早かった。三人は音を立てずに接近し、睨み合う二チームの隙を突いて一気に制圧する。膠着状態を破る一手が、見事に決まった瞬間だった。
『心理戦を制した感じだな』
『地味だけどこういう判断力、大事だと思う』
五ラウンド目も、その勢いのまま、着実にポイントを積み上げていった。二日目の成績は、初日と比べて明らかに向上していた。
その日の昼、実は会社でも、ちょっとした出来事があった。取引先との商談中、いつもなら見落としがちな相手の些細な表情の変化を、叶は珍しく敏感に読み取ることができたのだ。
「――今の提案、少し不安そうでしたね。懸念点があれば伺えますか」
叶の一言に、取引先の担当者は驚いた様子で本音を漏らした。結果、商談はいつもよりスムーズにまとまった。
(――これも、索敵の成果、なのかもしれないな)
ゲームの中で培ってきた「相手の様子を読む」感覚が、思わぬところで仕事にも活きている。そのことに、叶は密かな面白みを感じていた。
スクリム終了後、三人だけの通話に切り替わると、シャーロットが弾んだ声で切り出した。
「今日、めちゃくちゃ良い流れでしたね!」
「うむ、俺も驚いた。特にあの高台の判断は、我ながら見事だったと思うぞ」
「クリムさん、自分で言うんですね」
「言わせてくれ、今日くらいは」
叶が茶目っ気混じりに返すと、二人が同時に笑った。
「いいですよ、今日は素直に褒めさせてください。クリムさんの索敵、本当に頼りになります」
「フィガロさんも、援護のタイミング完璧でした」
「照れるな、そう褒めるでない」
フィガロの声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。
その後、三人は雑談交じりに今日の反省点を洗い出した。堅実に立ち回れた場面、まだ噛み合いきらなかった場面――一つひとつを丁寧に振り返る時間は、三人にとって、ただの反省会以上の意味を持ち始めていた。
「なんというか、こういう時間、悪くないな」
叶がぽつりと呟くと、シャーロットが小さく頷く気配がした。
「私も、同感です」
「うむ。明日も、この調子でいこう」
通話を終える間際、フィガロがふと思い出したように切り出した。
「そういえば、二人は普段、配信以外の時間はどう過ごしているんだ?」
唐突な質問に、叶は少し考えてから答えた。
「俺は……まあ、仕事と配信と、あとは飼っている猫の世話くらいだな」
「猫、飼っているんですか? 可愛いんでしょうね」
シャーロットの声が、明らかに華やいだ。
「うむ、それはもう。真っ白でな、性格も穏やかだ」
「あ、そういえば」
シャーロットが、ふと思い出したようにくすくすと笑い出した。
「前に、放送事故で少しだけ猫ちゃんが映り込んでたことありましたよね。あれ、クリムさんのところの子だったんですか」
「――なに、見ていたのか」
叶は思わず声を詰まらせた。まさかあの一瞬の映り込みを、シャーロットに見られていたとは思ってもみなかった。
「見てましたよ。一瞬でしたけど、真っ白でふわふわで、可愛かったです」
「……あれは、色々あってな。詳しくは、また今度話す」
「気になります。でも、無理には聞きません」
シャーロットの優しい引き際に、叶は密かに胸を撫で下ろした。
「今度、写真見せてください。約束ですよ」
「――考えておこう」
ラヴィの正体を思えば、迂闊に見せるわけにもいかない。叶は曖昧に濁しながらも、内心では少し面映ゆい気持ちになっていた。
「私は、休日はもっぱら読書ですね。あとは、たまに夜な夜な出かけることもあります」
シャーロットの言葉に、叶は何気なく相槌を打った。
「夜な夜な、とは、また風流だな」
「ふふ、まあ、そんなようなものです」
その言葉の裏に、彼女自身の「本業」が潜んでいることなど、叶は知る由もなかった。
「俺は、古い書物を集めるのが趣味でな。良い掘り出し物があると、つい財布の紐が緩んでしまう」
フィガロの言葉にも、同じように、語られない一面が隠れていた。だが、この夜の三人は、そうした秘密の存在すら意識しないまま、ただ穏やかな時間を分かち合っていた。
二日目のスクリムは、確かな手応えと共に幕を閉じた。




