52話招待状
温泉編から帰って一週間。叶は久しぶりの配信で、旅の思い出を軽く語る回を設けていた。
「――此度は、しばし遠方まで湯治に出向いておってな。良い骨休めになった」
『クリム様どこ行ってたんですか!』
『気になる、詳しく!』
「場所については、伏せさせてもらう。まあ、鄙びた土地よ」
身バレを避けるため、詳しい地名や宿の名は伏せる。それは配信を始めた頃からの徹底事項だった。だが、それでもどうしても伝えたいことが、一つだけあった。
「ただ――一つだけ言わせてくれ。その途中で立ち寄った、小さな神社があってな」
『神社?』
『パワースポット的な?』
「うむ。今は訪れる者も少なく、静かな社であった。だが、実に清々しく、良い気の流れる場所だった。もし縁があれば、皆も一度は訪れてみるといい」
言葉にしながら、叶の脳裏には稲実の神の笑い声と、あの境内の光景が蘇っていた。あの場所が、少しでも多くの人の目に留まればいい――そんな願いを込めて、叶はその一言を静かに配信に乗せた。
『クリム様が勧めるなら気になる』
『どこかは分からないけど、いつか行ってみたい』
『こういう不確かな情報がまた冒険心をくすぐる』
コメント欄には、素直な好奇心が並んでいた。叶はその反応に小さく笑みをこぼしたが、話しているうちに、次第に言葉が止まらなくなっていった。
「――いや、正直に申そう。神社だけの話ではない。あの土地そのものが、実に良かった」
『お、クリム様が語り出した』
『珍しい、こんなに饒舌なの』
「朝、田んぼの畦道を歩けばな、稲穂が風に波打つ音が聞こえる。夜には、小川で蛍が舞う。画面越しでは、到底伝えきれぬ光景だった」
叶は語りながら、あの土地の記憶を一つひとつ手繰り寄せていく。老爺から分けてもらった茄子の瑞々しさ、蕎麦屋の香り、女将の温かいもてなし。そして、どこか懐かしい――東北の実家を思い出させる、あの空気。
「都会の喧騒に慣れた身には、あの静けさが、いっそ贅沢に思えてな。夜は星がよく見える。空気も違う。何より、人の温かさが違う」
『クリム様の田舎トーク熱いw』
『語彙力が急に増した』
『これは行きたくなるやつだ』
『統治者様、意外と田舎好きなんですね』
「うむ。この身は、ああいう土地の良さを、もっと世に伝えたいと思うておる。都会の便利さも良いが……ああして、時が緩やかに流れる場所も、悪くないと知ってほしい」
配信終了後、コメント欄には「田舎に行きたくなった」「実家に帰ろうかな」といった声が数多く並んでいた。叶はそのやり取りを見返しながら、思わず頬が緩むのを感じた。
「さて、湯治の話はこのくらいにして――今日は、他に話したいことがある」
もっとも、その「日常」の中身は、以前とは少しばかり違っている。視界の端に、たまに人ならざるモノがちらつく。今のところ実害はない。だが、稲実の神から授かったという加護の効果なのか、それとも単に「見える人」になってしまった副作用なのか、叶自身にもまだ判然としなかった。
まあ、いい。今は考えないでおこう。
仕事終わり、いつものようにコンビニ袋を提げて自宅アパートに帰ると、足元にラヴィがすり寄ってきた。真っ白な毛並みが、玄関の灯りに照らされてふわりと光る。
「ただいま、ラヴィ」
抱き上げてやると、満足げに喉を鳴らす。この温もりに救われている自分がいる、と叶は思う。異世界の統治実務も、正体を知られかけた冷や汗ものの一件も、この一匹の重みの前ではいくらか軽くなった。
夕食を済ませ、いつものルーティンでノートパソコンを開く。クリムゾフィア名義の活動用メールアドレスには、企業案件の問い合わせやファンレターの類が日々届く。すべて自分一人で管理しているため、目を通すのも返信するのも自分の役目だった。
その中に、見慣れない差出人名があった。件名には、こうある。
『【出演オファー】大型FPS大会「V-CROWN」参戦のお願い』
面白い話、という予感には、これまでの経験上、良くも悪くも身構えてしまう。叶は苦笑しながらメールを開いた。
文面は丁寧だった。大手個人勢の配信者――界隈じゃかなり顔が広く、企画力にも定評のある人物が、主催として名を連ねている。参加者はほぼ全員、名の知れたVtuberか配信者。数十チームが競い合う、界隈でもかなり大きな企画だという。
そして最後の一文に、目が留まった。
『クリムゾフィア様の、あの独特な威厳と統率力に、ぜひ本大会にお力添えいただきたく存じます。規格外の存在に、規格外の大会をご覧いただければ幸いです』
名指しでの、直々の参戦オファーだった。
叶は言葉に詰まった。
脳裏に浮かぶのは、これまで何度も断り続けてきたコラボ企画の数々だ。メイベルとの一件以降、少しずつ他者との関わりを持てるようになったとはいえ、根本にある「素顔を見せられない」という制約は変わらない。ましてやゲーム大会となれば、他の参加者との濃密なやり取り――スクリムだのボイスチャットだのが避けられない。
返事を出す前に、まずは知っておくべきだろう。叶はメールの署名にあったリンクをたどり、V-CROWNの公式サイトを開いた。
過去にも五回開催されており、今回で六回目を迎えるという。回を重ねるごとに規模を拡大してきたらしく、参加予定者リストに並ぶ名前を見るだけで、その厚みが伝わってくる。個人勢の実力者から、大手事務所の看板配信者まで、界隈で名の知れた面々がずらりと連なっていた。
試しに、主催者――ブレイズという配信者の過去配信をいくつか漁ってみる。豪快な喋り口と、テンポの良い進行。企画の一つひとつに、視聴者を飽きさせない工夫が凝らされているのが見て取れた。この人物が本気で作り上げる大会となれば、生半可な規模では終わらないだろう。
画面をスクロールする指が、自然と止まった。
(本当に、俺なんかが出て大丈夫なのか)
これまでの配信は、基本的に一人語りだった。異世界の統治者として、視聴者に向けて語りかけるスタイル。他人と肩を並べて戦うという経験は、メイベルとのラジオ形式のコラボ一度きりしかない。
それでも、画面の向こうの参加者リストを眺めていると、不思議と胸の奥が疼くのを感じた。怖い。だが、それ以上に――少しだけ、心が惹かれている自分がいた。
誰かに相談したい。だが、こんな内容を事務所にいきなり伝えるのも気が引ける。そもそも、Vtuberとしての活動について本音で語り合える相手など、そう多くない。
叶の頭に浮かんだのは、たった一人の顔だった。
(メイベル、か)
これまで唯一、本格的にコラボを交わした相手。彼女ならば、この界隈の空気も、大会というものの重みも、正しく教えてくれるはずだ。
叶はメールの文面をそのまま転送し、メイベルにメッセージを添えた。
『こんな話が来たんだが、どう思う?』
数分と経たずに、返信の通知が届いた。
『えっ、V-CROWN!? あれめちゃくちゃ大きい企画だよ! 主催のブレイズさん、企画力の塊みたいな人だし』
興奮気味の文面に、叶は思わず苦笑した。
『……そんなにか』
『そんなにだよ! というか、名指しでオファーが来るってことは、クリムゾフィアの存在、界隈でちゃんと評価されてるってことだから。これ、あんまりない機会だと思う』
叶の脳裏に、クリムの声が蘇る。かつてこの体の持ち主が言った言葉だ。
(――我は、頼られて悪い気はせぬ性分でな)
NOと言えない。それはクリムの、そして今この体を借りている叶自身の、根っこにある性分だった。
『正直、ゲームは苦手だ。恥をかくだけかもしれない』
叶が打ち明けると、しばらくして返信が届いた。
『大丈夫だって。実力より、クリムゾフィアらしさを出せば、それで十分魅力になるから。あたしが保証する』
その言葉に、叶は、膝の上でうとうとし始めたラヴィの背を、無意識に撫でた。
断る理由は、いくらでも思いつく。実力不足、正体バレのリスク、これまで貫いてきた「一人語りの統治者」というスタイルとの矛盾。
だが――。
ふと、フェスタの日のことを思い出す。倒れた男性を助けたときの、あの一瞬の高揚。誰かのために動いた、その感覚。
そして温泉編で聞いた、稲実の神の言葉も。信仰を失い、独りで荒ぶるしかなかった神。孤立が何を生むかを、叶は身をもって見てきたばかりだった。
(一人で立ち続けることだけが、強さじゃない。それは、俺自身も分かってるはずだ)
画面の向こうで、メイベルが返事を待っている。
『……少し、考えさせてください』
『了解! 急かすつもりはないから、じっくり考えて』
メッセージのやり取りを終えたあと、叶はしばらく天井を見上げていた。ラヴィが、心配そうにこちらを覗き込んでくる。
「なあ、ラヴィ。お前はどう思う?」
答えが返ってくるはずもないのに、そう問いかけずにはいられなかった。ラヴィは小さく鳴くと、叶の膝の上でくるりと丸くなった。まるで「好きにすればいい」とでも言うように。
叶は苦笑して、スマートフォンの画面をもう一度開いた。大会の詳細ページが、そこに表示されている。
参加チーム数、ルール、そして――名だたる配信者たちの名前がずらりと並ぶ参加予定者リスト。見覚えのある名前も、初めて見る名前もある。
これだけの規模の企画に、自分は名指しで呼ばれた。
断ることは簡単だ。だが、断ったところで、この「NOと言えない」性分が、いつまでも自分を守ってくれるわけではないことも、叶はもう知っていた。
どうせいつか、正面から誰かと向き合わなければならない日が来る。それなら――。
「やってみるか」
誰に言うでもなく、そう呟いた。決意を固めた瞬間、少しだけ胃の底が冷えるのを感じた。だが同時に、久しぶりに感じる高揚感もあった。
翌日、会社の昼休み。缶コーヒー片手に休憩スペースでぼんやりしていると、石井が向かいの席にどかりと腰を下ろした。
「なんか、今日やけに機嫌良さそうじゃん」
「そうか?」
「そうだよ。なんかいいことあった?」
叶は一瞬、言葉に詰まった。まさか「推しの配信で大会に出ることになった」とは言えない。
「……いや、まあ。ちょっとした挑戦をすることになってな」
「挑戦? 仕事の話?」
「そんなようなものだ」
曖昧に濁すと、石井は不思議そうに首を傾げたものの、それ以上は深追いしてこなかった。
「まあ、なんかよく分かんないけど、頑張れよ」
「ああ、ありがとう」
石井の屈託のない励ましに、叶は密かに救われた気持ちになった。かつての石井なら、こういう時に鋭く突っ込んでくることもあったが、最近はどこか大人になったのか、そっとしておいてくれることも増えた。
こうして、笹川叶――もといクリムゾフィアの、初めての大型コラボ企画への挑戦が幕を開けることになる。
このときの叶は、まだ知らない。この大会で出会う二人のチームメイトが、それぞれに自分と同じような「秘密」を抱えていることを。




